113:孵化
アイリスとライは息を吸い込み、せえの、で声を張り上げた。
「「ジェスー!」」
その声を、マリラが風の魔法で広げていく。森中を、空気の波が駆け抜ける。
声がかき消えるギリギリまで広げた後、次は逆に、空気を手繰り寄せるように風を操り、音を自分を中心とした一点に集める。森中の音を拾い集め、その中からジェスの返事が聞こえないか、耳を澄ませる。
「……聞こえない、次だ」
ライは、アイリスの描いた地図に印をつけた。またしばらく進んだところで、同じことを繰り返す。
ライ達三人は、そうやって、広がる森の中を延々探していた。
歩き出した時、マリラがよろける。慌ててアイリスはその体を支えた。
「マリラさん……大丈夫ですか?」
「ええ……」
そう答えたが、かなりしんどかった。森や山を歩き続ける肉体的な疲労に加え、精神を極限まで集中させ、風を精密に操り続けていたのだから。
「……あー。ほら」
ライはマリラの前でしゃがむ。
「何よ」
「何って、背負ってく」
「えっ……」
マリラは言葉を失った。
「そ、それは、大丈夫よ」
「大丈夫じゃねえだろ」
「でも……」
マリラが躊躇っていると、ライは怪訝な目で振り向く。
「言っとくが、前で抱えるのは無理だぞ。それで森を歩くのは危険だから」
「そういうことじゃなくて!」
アイリスは、ライとマリラを交互に見て、口を挟もうかどうか迷った。
(子供の私はともかく、背中におぶってもらうのは、マリラさんは恥ずかしい、ですよね……)
しかしこれからも魔法を使わないといけないマリラに、無理はさせたくないので、できれば背負われることを勧めたい。
マリラの躊躇をどう捉えたか、ライは苦笑した。
「マリラ、お前……。別に、アイリスより重いのは分かってるぞ? 前持ったこともあるし……」
アイリスは咄嗟に目を閉じて顔を逸らしたが、ごっつん、とマリラがライの頭に拳をぶつける音はしっかり聞こえた。
森を歩き続けた一行は、ため息をついた。
「……だいぶ西まで来たな。そのうち、別の山に入っちまう」
「ジェスさん……」
アイリスは、手を組み合わせ、祈った。
(どうか――生きていてください)
ジェスさんと、私達の運命はまだ――繋がっているはず。
その時――向こうで、ドン、と何かが倒れたような音がした。
はっとして、三人は顔を見合わせる。
「……ジェス、なの?」
「分からないが、行くぞ!」
疲れた体に鞭打って、三人は音のした方へと向かった。
(やり過ぎたかな)
倒れてしまった大木の様子を見て、ジェスはそう思った。
ジェスの手には、黒い光を纏った剣がある。魔法剣を発動させ、宙に向かって素振りをするように衝撃波を飛ばし、洞窟の天井から見える木の枝を、切り落として手に入れるつもりだった。
加減を間違えたらしく、木が一本倒れてしまったが、それでも大きな枝が折れて、洞窟の中に落ちてきたので良しとする。
その枝を、やはり魔法剣でちょいちょいと切り分け、手頃な大きさにして組む。火を点けて、風を送って煽り、焚き火をつけた。
『……器用な人間だ』
「あ、煙たいですか?」
ジェスは火にあたり、暖を取る。残念なことに、獲物は捕まらなかったので、干し肉を炙って食べていた。
その時、コツコツ、と竜のいる方から音がした。
「……?」
ジェスがそちらを見ると、竜が、卵から少し体を離し、それを愛おしげに見下ろしている。ジェスも同じように卵を見ていると、卵の表面に、小さなひびが入った。
「!」
ひびは、ゆっくり、ゆっくりと広がると――急にパカリと割れて、眩しい光が表れた。
いや、光ではなく――金色に輝く、小さな竜が、そこにいた。
ジェスは言葉を失い、その目も開いていない、小さな竜を見る。
竜の子は子牛ほどの大きさで、生まれたばかりでもそれなりに大きいのだが、親竜と並ぶととても小さく見える。
濡れた体をふるふる震わせ、羽をぱたぱたさせる。そして、欠伸のように口を開けて一声鳴いた。
「きゅいー……」
甘えるような声を聞き、ジェスはぱっと顔を輝かせた。
「……可愛い!」
『何と愛らしい子よ』
ジェスと親竜が言うのは同時だった。
緑竜は、我が子の体を舐めて落ち着かせてやっていたが、しばらくすると、ジェスの方を向いた。
『人間よ、我が子が無事に孵ったこと、改めて礼を言う』
「竜の赤ちゃん……可愛いですね!」
『じきに、弱った我の力も回復する。そうすればお前を送り届けてやろうと思ったのだが』
「あ、すぴすぴ言ってます。寝ちゃったかな」
全く通じあわない会話だが、緑竜もジェスも気にしなかった。
緑竜は、首をもたげて上を向く。それは何かを見ているというより、ジェスに上を見ろと促しているようだった。
『――どうやら、その必要もないようだな』
「あっち! 煙が上がってます!」
「何だあれ……地面に穴が開いてるのか!」
「地下に空洞があるのよ! 木も近くに倒れてる」
ライ、マリラ、アイリスは、突然上がった煙を目印に、森を走っていた。
間違いないという、確信があった。
「ジェス!」
三人は、地面に空いた大穴に寄り、手をついて覗き込む。
地面の下の空洞に、驚いた顔でこちらを見上げる、ジェスがいた。
「……みんな! 無事だったんだ!」
笑顔でそんな事を言って、手を振るジェスに、マリラは張り詰めていた気が抜けて、その場で腰を抜かしたように座り込んだ。
「……この、馬鹿野郎が!」
ライも怒鳴りながら、小さく震える。
アイリスの瞳から、涙が零れ落ちた。涙を拭うこともせず、濡れた大きな瞳でジェスの存在を、何度も確かめるように見つめる。
「……ジェスさん」
「あ……」
ジェスは、仲間達の様子に、ひどく心配をかけてしまったことを知り、おろおろとした。
そんなジェスに、アイリスは小さく笑った。
マリラは別に太ってるわけではありません。意外とグラマーなだけです。