011:賢者の杖
分厚いカーテンが引かれた仄暗い部屋の中で、水を張った銀の盆を覗いている男がいた。男の名はアルバトロ――現在、この学園を支配している男である。アルバトロが手にしている杖を振るたび、水面に景色が映し出される。
それは、学園に入り込んできた四人の冒険者の姿だった。
「……予想外にやるようだな」
檻に捕えていた魔物を倒された時は、さすがにアルバトロも歯噛みした。
冒険者のうち、一人は見覚えがある。マリラという、この学園の生徒だった女だ。あとの三人は知らないが、恰好からして、魔法使いでないことは明らかである。
アルバトロはにやりと笑った。
来るのであれば来るがいい。存分に恐怖を味わわせてやるだけだ。
魔物をあらかじめ倒しておいたのが効いたのか、その後戦闘はあまりなかった。とはいえ、至る所に魔法陣が描かれており、壁から急に火が吹き出したり、氷が降ってきたりするので、罠には気をつけなければならなかった。だが、時間をかけながらも、マリラ達は着実に学園を攻略していた。
「学園長の部屋は、一番上にあるのよ」
「外から見えた、あの塔みたいな場所ですか?」
「そう」
「しかしまあ、もともと迷路みたいな建物だな」
さっきから階段を上っては下り、似たような廊下を進みと、ぐるぐる回っている気がする。マリラが道案内してくれなければ、確実に迷っていた。
ライの言葉に、マリラは頷いた。
「学園を設計したのも魔法使いだったと聞くわ。何か魔法の意味が込められた――暗喩があるのかもしれない」
「例えば、惑わす魔法のような?」
「さあ……」
マリラは学園で過ごしていた時にこの話を聞いたが、それは分からなかった。魔法の深淵というのは、そう容易く到達できるものではない。
それは、いくら魔法の呪文を知っていても、マリラがその魔法を実際に使えないという事と同じだ。
一行は廊下の突き当たりの、一際大きな扉の前に辿り着いた。
「ここが図書室。そして上が、学園長の部屋……。アルバトロがいるかもしれないから、気を付けて」
まずライとマリラが、罠がないか、中に何か潜んでいないかを一通り確認し、それから注意深く扉を開いた。
「わあ……」
「へえ……」
図書室を見たアイリスとライは、感嘆の声を上げた。それはあまりに巨大な図書室だったからだ。
大きな円形の部屋の壁という壁に、天井まで伸びる高い本棚が並べられている。それらの本棚にはびっしりと本が収められており、その本の多さに圧倒される。何千冊、いや、何万冊の本があるというのだろうか。
「これ、全部魔導書か……?」
口を開けて本を見上げる三人に、マリラは少し誇らしげに話した。
「全部ではないけれど、歴代の先生や生徒が残していったものだから、ほとんどはそうよ。……ここは綺麗なものね」
学園は、魔物が暴れたり、戦闘があったりしたために壊れたと思われる箇所があちこちにあった。廊下を人が歩くだけで、壁が火を吹くのだから、ボロボロに荒れていないはずがない。
しかしこの図書室だけは、マリラの知っていた美しい学園の時のままだった。
「で、学園長の部屋っていうのは?」
ちなみにジェスは、あまり本に興味はなかった。この本の多さに圧倒されはしたが、それよりもこの学園の行方が気になる。
ジェスの問いに、マリラは図書室の中央にある螺旋階段を指差した。
「あれを上がった先ね」
「よし、行こう」
そう言って歩き出す一行を、ライが止めた。
「ちょっと待った。あの本棚、気になるんだよな」
「え?」
そう言ってライは、本棚の一つに近付いていく。
「何か変なところがあるんですか?」
アイリスが見る限り、何の変哲もない本棚だ。
「いや、本棚っていうか手前の床な。何か引き摺ったような跡があるような……」
そう言われてよく見れば、確かに本棚の前の床には、何か擦れたような跡がある。ライはしばらく本棚を調べていたが、ある一点を触った瞬間、本棚がゴリゴリと音を立てて前にせり出してきた。
「おおっ?」
思わず身を引くライだったが、本棚が動いた跡の壁には、小さな空間があった。
「これは!」
ジェスは思わず声を上げる。隠し部屋の中には、鎖で縛られて磔にされている男がいた。
学園の中に閉じ込められている人がいるかもしれないと言われていたが、少なくとも一行は誰にも会わなかった。こんな所に監禁されていたとは。
部屋からは、ひどい臭気がした。男はぐったりと項垂れており、生きているかどうかも定かではない。
ジェスとマリラが男を抱え、ライが急いで鎖を外した。腐ったような臭いのする小部屋から運びだし、図書室の床にそっと寝かせる。
「まだ生きてる」
心臓の鼓動を確かめたジェスは、アイリスを振り返った。アイリスはすぐさま〈癒し〉の魔法をかける。伸び放題となった髪をどけ、顔を顕わにすると、マリラは捕らえられていた男が誰だか気付いた。
「リドル先生!」
長い監禁を物語るように、その体は痩せており、頬はひどくこけている。汚れており、髭も伸び放題であったが、間違いなくそれは、マリラの師だった。
「先生! しっかりして下さい」
「うっ……」
呼びかけに応えるように、リドルは目を覚ました。そして、横になったまま、ゆっくりと自分を見下ろす若い冒険者たちの姿を認め――長い息を吐いた。
「どうやら……助けられたようだね」
そしてリドルは、少しだけ首を動かしてマリラを見た。
「君は……」
「マリラです。かつて先生に教えて頂きました」
「覚えているよ。君は優秀な生徒だった……学園を辞めてしまった時は残念だったが、本当に良かった……」
そう言って体を起こそうとしたリドルを、ジェスとマリラが支える。荷物の中から水を出して飲ませようとすると、リドルは首を振り、呪文を唱えながら、空中でしばらく手を組むような動作をした。次に手を開いた時には、その両手には水が溜まっており、リドルはそれをゆっくりと飲み干した。
ライとジェスは驚いた。杖を使わずに古代語魔法を使う魔法使いを始めて見た。
「杖がなくても魔法って使えるのか?」
ライがマリラに尋ねると、マリラは頷いた。
「杖はあくまで制御の補助だから」
しかし、杖なしで魔法を使うのは難しいのも確かだ。それだけで、リドルの魔法使いとしての実力が窺い知れる。
リドルは息をついた。
「少し休めば良くなるだろう。……しかし、君たちは何故ここに……」
一行は簡単に今までの経緯を説明した。それを聞き、リドルは深く、重い息をついた。
「そうか……多くの先生や生徒たちは、魔法で殺されたり、魔物の餌にされたりして、死んでしまった……。私もアルバトロと戦ったのだが、敗れてあのように閉じ込められてしまった……」
マリラは信じられない思いだった。リドルは学園の先生の中でも、最も優秀な魔法使いの一人とされていたのに。
「先生、教えてください。なぜアルバトロは学園をこのような姿にしてしまったのです? そしてなぜアルバトロが――そんな力を持っているのですか?」
「奴は力に溺れているのだ。身の丈を越えた魔法の力を操る術に――賢者の杖の力に」
リドルはそう言った。
「賢者の杖って?」
ジェスが尋ねたが、マリラも知らなかったので首を横に振る。リドルの話の続きを待つ。
リドルは、これは本来、学園の限られた者しか知らない秘密なのだが、と前置きして話し始めた。
「双頭の蛇を飾りに持つ、世界樹より削り出されたと言われる杖……それは、代々学園長が保管していたのだ。極めて優れた、強力な杖だ……その杖を持つ者は、あらゆる魔法を使えるようになるのだよ」