109:黒の剣
山の斜面では、戦いが続いていた。
大剣を力の限り振り回すワンスに、細身の突剣で応戦するライ。ワンスの大振りの攻撃を、ライは軽いステップで避けていたが、剣の間合いが違い過ぎるため、ライも容易に近付けないでいた。
「おらおら、攻撃してこねえのか! 避けてばっかりじゃ俺は倒せねえぞ!」
「……それもそうだな」
ライは、ワンスが下段から剣を振り上げてくるのに、突剣を打ち込んで返した。金属が激しくぶつかり合う音がした。次の瞬間には、ライの突剣が、回転しながら宙を舞った。
ワンスは勝利を確信して、ニヤリと笑う。あんな細身の青年の小振りの剣と、自分の怪力で振るう大剣をぶつければ、力押しで剣を弾き飛ばせるに決まっていた。
だが――。
「あごっ!」
油断しきったワンスの顔に、ライの鋭い蹴りが入った。
そして、回転した剣は、狙い澄ましたようにライの元へ落ちてくる。ライはそれを空中で掴むと、峰で喉を叩いた。
「ぐ、あっ……」
ワンスが気絶したのを確認すると、ライはふう、と息をついた。
ライは、ワンスと剣をぶつけた瞬間、手首を返して、ワンスの剣の勢いを利用しつつも、自分から剣を放り上げていた。
真上に投げ上げた剣は、元の、ライの手の中へ落ちてきた。
さすがに連戦で疲れていたが、まだ戦いは終わっていない。こいつらもなかなかの腕ではあったが、一番強いのは間違いなくエデルだった。
エデルの強さは異常だった。
しかし、ジェスやライ一人ではエデルを抑え込むことはできなくても、四人がかりでなら――特に、マリラやアイリスの魔法があれば、さすがに何とかなるはずだ。
ライは早く助けに向かおうと、山の頂上の方を見て――驚きに息を飲んだ。
ジェスとエデルがぶつかる瞬間、マリラは杖を向けて〈眠りの雲〉の呪文を唱えようとした。
(ジェスは怪我を負ってるし、剣の腕ではとてもエデルには――)
この状態で魔法を唱えれば、確実にジェスを巻き込むことになるが、二人まとめて眠らせることになっても、構わなかった。
だが、それを制止したのは、他ならないジェスだった。
「手は出さないでくれ!」
「えっ?」
そしてジェスは、エデルの両の剣を、それこそ目にも止まらぬ速度で、打ち返していった。
二本の剣に、一本の剣で――。単純に考えれば、あのエデルを超える速度で、ジェスは剣を振るっていた。
あまりの剣技に、理解が追い付かない。
マリラとアイリスは、呆然とそれを見守ることしかできなかった。
「な……っ!」
ライもまた、ジェスとエデルの戦いを、驚愕に満ちた目で見ていた。ジェスのそれは、剣の腕の立つライでさえ、目で追うことがやっとの剣速だ。もはや、人間の動ける速さではない。
「どうなって……」
ライはぐっと拳を握りしめた。正直、もはやこれはライが割って入れる次元の戦いではない。
剣が激しくぶつかる度に火花が散り、闇が輝く。
ぜえぜえと、エデルが肩で息をし始めた。
急に動きの良くなったジェスに、エデルは混乱していた。
しかし、ジェスは、エデルの攻撃をただ受け止めるばかりで、自分から斬りかかってこようとはしない。だが、ジェスは息を乱す様子もなく、淡々とエデルの剣を跳ね返していく。
攻め続けているのはこっちのはずなのに、追い詰められている感覚だけがある。
それでも、力を振り絞り、剣で喉を突く。
ジェスの黒い剣が、その突きを真正面から受け止めた。
壮絶な打ち合いは、どれだけ続いただろうか。
ほんの僅かな時間だったのかもしれないが、息を詰めて見守る仲間達には、永遠にも思われるほどの長い時間だった。
「はあ、はあ、はあ……」
エデルの腕はもはや震えていた。息は喉に引っかかり、血の味がする。腕は言うことを聞かず、鉛のように重い。それでも気力だけで剣を振り上げたエデルに――ジェスは横に剣を薙ぎながら水平に突っ込んだ。
漆黒の影が、自分に刺さるように迫り――もはや、見えなかった、まったく動けなかった――死んだと思った。
高く澄んだ音が、向こうの山まで響いて、跳ね返った。
エデルは、どさり、と膝をついた。心臓の音がどこまでもうるさく響き――折れた双剣が、手から転げ落ちる、軽い音がした。
「……。」
ジェスは、静かに剣を鞘に収めた。
圧倒的な力の差だった。なのに、負けたはずのエデルは、傷一つなく――ジェスは、血だらけでそこに立っていた。
あまりのことに、ライも、マリラも、アイリスも声が出ない。目の前にいるのは、本当に――自分達の仲間の、ジェスなのか?
まだ銀の星が散ったままの目を、仲間達に向け、ジェスは――穏やかな顔で笑いかけた。
「うん……竜に怪我はさせちゃったけど……皆も竜も、助かって、良かった」
そのいつもの調子に――ライはほっとした。
「ちょっと、危なかったけどな」
マリラは、口に手を当てて考えていた。
「ねえ、ジェス、さっきの――」
その言葉は続かなかった。山が揺れるほどの振動が、突然彼らを襲った。
マリラの魔法で眠らされていたニケは、目を覚ました。
「むーん……?」
あまりに深い眠りについていたので、自分がどこで、何故眠っていたのかも分からず、辺りを見渡した。ドラドも横で倒れている。
「おーい、ドラド? 何だこりゃ」
揺すられて、ドラドも目を覚ます。魔法使いであるドラドは、マリラの魔法に抵抗を試みたのだが、結局実力の差があったらしく、眠りの魔法に捕らわれてしまった。
ドラドも眠たげな目をこすっていたが、すぐに状況を思い出す。
「そうだ、竜は――!」
ドラドはそこでニケと、ある物を見つけた。
それは、戦いの最中、ドラドがニケの荷物から出して使おうとした火薬だった。
結局、使おうとする前に、ドラドは眠らされてしまったのだが――ニケの荷物から零れた火薬の導火線に、火がついていた。
本当にそれに火が点いていたのは偶然だった。眠らされる直前にドラドが落とした火種が、風に転がって、ニケの荷物に点火してしまっていたのだ。
「はっ……?」
その意味を理解するや否や――ニケとドラドは悲鳴を上げてそこから逃げ出した。
激しい爆発が、何度も山を襲う。
ニケが竜を攻撃するために持ってきていた火薬が、次々に点火され、何度も爆発を起こしていた。
「きゃああっ!」
立っていられなくなり、マリラとアイリスはそこに膝をついた。
「やばい! 山の上でこんな……!」
ライが言った瞬間、火薬の爆発とは違う振動が一行を襲った。
山崩れだ。
竜が座っている崖の迫り出した部分に、激しく亀裂が入ったと思うと、一気に崩れ落ちた。足場がなくなり、竜は宙に投げ出され、抱えていた卵が、竜の手を離れた。
轟音の中、誰かが何かを叫んだ。
ジェスは、卵を追って、走り――崩れかけている岩を踏み台に、跳んだ。
ライは、ジェスの手が卵に届くのを――巨大な卵を、抱えるように空中で捕まえたのを見た。
そこまでだった。
「ジェス――――!」
卵を抱えたジェスは、崩れた岩の足場と共に、遥か崖の下に落ちていった。