108:混戦
ドラドが放つ攻撃魔法の、石の礫を、ライは走りながら避ける。ワンスがマリラに対してそうしたように、ライもまた、魔法使いと弓使いを相手に、懐に入り込もうとしていた。
エデルを相手にしているジェスも気がかりではあるが、ここは一旦、ワンス達を大人しくさせた方がいいと、ライは判断した。
「一人で二人を相手どろうなんて、恰好つけてんじゃねえよ!」
ニケはそう言いながら、弓をライに向けながらもドラドと離れる。こうすれば、二人同時に懐に入り込まれることはない。
「は、じゃあお前らは恰好悪いってことか!」
ライはそう相手を挑発してみせるが、実際のところ余裕はない。
(くっそ、せめてあの弓使いの矢が切れれば……)
魔法使いは厄介な存在だ。ドラドを先に相手にしようと、距離を詰めようとはするが、ニケの矢がライの進路を的確に塞いでくる。
マリラはそんな戦いの状況を横目で捉えていた。
(あの魔法使いはここから遠い……! なら狙うは!)
「アイリス! 〈護り〉をお願い!」
「はい!」
マリラが叫ぶ。アイリスはマリラとワンスの間に壁を張った。大剣が、見えない障壁に阻まれ、マリラの目の前で止まる。ワンスの剣を握る両手に、びりびりと衝撃が伝わった。
巨大な剣を前に真っ直ぐ怯えもせず立つマリラの様子に、ワンスは場違いにも感心した。
(ほう、度胸のある、いい女だ……)
魔法で守られているとはいえ、その壁は見えない。普通なら、目の前に迫る剣を避けるなり、反射的に目を閉じるなりしそうなものだが。
マリラは呪文を唱える。それは攻撃魔法ではなく、相手を眠らせる〈眠りの雲〉の呪文だ。
狙いを定めた魔法は、ニケに向かって飛ぶ。矢をつがえていた手がだらりと下がり、ニケはその場に倒れ込んだ。
弓使いは本来、それは遠距離から攻撃をしかけてくる厄介な相手だが、この場合は都合がいい。
マリラの眠りの魔法は、範囲に向かってかけているので、あまり相手が近付いていると、自分や味方を巻き込んでしまう可能性があるからだ。
「助かったぜ、マリラ!」
ライはそのまま、ドラドではなく、ワンスに向かって走り出した。
「なっ……!」
ドラドは慌てて杖をライに向けるが、しかし攻撃魔法を唱えることはできない。さっきとは状況が逆で、ドラドは自分の魔法でワンスを巻き込むことを警戒した。
剣士のワンス一人で、三人を相手にすることはできないだろう。慌ててドラドは、ニケを起こそうと、倒れたニケの元へ向かう。
「おい、ニケ、起きろっ!」
しかし、ニケは完全に爆睡していて、ドラドが叩いても起きる様子はない。何かないか――ドラドは必死にニケの荷物を探った。ニケは弓使いというよりは盗賊で、色々と便利な道具を持ち歩いているのだ。
「あっ!」
ドラドはニケの荷物から、その道具を取り出し、使おうとした。だが――。
「その弓使いと同じ所に行くなんて。私の魔法の射程内だって、思わないのかしら?」
再び〈眠りの雲〉を唱えたマリラに、気絶させられていた。
「ふんっ!」
ワンスは、ライと激しく剣をぶつからせて戦っていた。
「マリラとアイリスはジェスの所に行け!」
「……分かった!」
マリラとアイリスは、ワンスを足止めしているライをその場に残し、エデルとジェスが戦っている、山の上の方を目指す。
その前で、竜は卵にその力を注ぎ続けている。
(ジェス……!)
マリラが心配しているのは、人間に対して竜が怒り、その力の矛先を自分達に向けることだった。そうなればこの切り立った山の中、逃げ場はない。今は卵を守ることを優先しているが、もし竜が人間を排除する方を優先し、その力を持ってこちらに攻撃してきたら――。
マリラは力の限り叫びながら走った。
『竜よ! あなたを傷つけたことは謝ります! 人間の戦いは人間で収めるわ! どうか、この馬鹿共は私たちが回収して帰るから!』
古代語で叫ばれた言葉の意味を理解できる者は――眠っている魔法使いのドラドを別とすれば――卵を守っている緑竜だけだった。
(竜は、かつて人間に言葉を教えた……!)
しかし竜は、マリラの言葉を聞いているのかいないのか――ただひたすらに体を丸め、卵を抱き続けていた。
「ジェスさん!」
そしてジェスは――、全身から血を流し、ぜえぜえと肩で息をしながら、どうにかまだ竜の前に立ちはだかっていた。
致命傷は避けているようだが、双剣の攻撃を躱しきれない。対するエデルの身には、傷一つついていなかった。
(駄目だ、このままじゃ……)
ジェスは、絶え間なく繰り出されるエデルの攻撃を受ける一方だった。まるで歯が立たない。当たれば強力なはずの魔法剣の一撃も、まるでエデルに当たらないのだ。
速さが違いすぎる。
狂ったようにただジェスを倒そうとするエデルはまるで、〈狂戦士〉の呪文にかけられているかのようだった。
ジェスの体が、ぐらりと傾く。その隙にエデルは、ジェスを突き飛ばし、再び竜を狙う。
「駄目ですっ!」
近付いてきていたアイリスが〈護り〉の呪文で、エデルの剣の前に小さな壁を作ったが――それはエデルの剣を弾くとともに粉々に砕けた。
(精神力が……!)
先ほどから強力な壁を作り続け、アイリスは疲弊していた。これ以上は、竜を守る壁を作れそうにない。
エデルは、自分の剣を阻んだものの正体に気付き――怒りを込めた目でアイリスを睨んだ。
「私の、邪魔をするな!」
ぞくり、とアイリスは背筋が凍った。
赤い髪を振り乱し、鬼の形相でこちらを見るエデルは――レイピアの先を、アイリスに向け、一瞬のうちに距離を詰めた。その素早い動きに、アイリスも、そして隣にいたマリラさえも、動くことはできなかった。
殺される。
アイリスの身開かれた青い瞳に、鋭い剣が、ひどくゆっくりと映って見えた――。
マリラが悲鳴を上げた瞬間――黒い影が、滑るように動いた。
アイリスに向けられた刃を受けたのは、ジェスだった。
黒い剣は、エデルの左の剣を、そして左手は、下段から振り上げられた右の剣をしっかりと握っていた。剣と握られた手の隙間から、ぽたぽたと、血が落ちる。
「……どうして」
ジェスは、悲しそうな声で――俯いたまま、そう言った。
だがエデルは、歯を食いしばったまま、憎しみを込めてジェス達を睨む。
ジェスの黒い双眸が、エデルの燃える瞳を、真正面から見た。
黒の瞳の中に――銀の星を散らしたような光が輝く。
エデルは素早く後ろに下がり、再びジェスを倒そうと勢いをつけて跳躍した。
「エデルさん――あなたは」
風もないのに、ジェスの黒い髪が逆立つように揺れた。
漆黒の剣から、闇が一瞬吹き出すが、それはすぐに消え――ジェスの周りを、黒い闇が円を描いて走った。
瞳を彩るのと同じ銀の粒が、ジェスの周りを瞬いては消える。
エデルが吠えたのと同時に、ジェスも静かに跳んだ。
「僕が、ここで止めます」