107:激突
竜から少し離れた場所の岩陰で、各自はそれぞれ休んでいた。
ジェスとエデルは、今までの旅で行った場所を教え合っていた。アイリスは二人の話を聞いて、興味深そうに目を輝かせている。
ワンスとニケは、交代で望遠鏡を覗き込んで、竜の卵の様子を伺っている。
「ねえねえ、お嬢さん、本なんて読んでないで僕と話そうよ」
「……あなた、それでも魔法使いなの?」
ドラドは、マリラに軽い口調で話しかけたが、軽くあしらわれて肩を竦めた。マリラが読んでいたのは、エデルから借りた『竜の神秘』という本だ。
学園でも同じ本を見かけたが、人気が高くて読めなかった本の一つだ。竜の体の有用性だけでなく、竜の様々な伝承について詳しく書かれてある。
ライは、他の七人とは少し離れたところで、岩に腰かけて考え事をしていた。
(竜か……まさか、この目で拝むことになるとはな……)
子供の頃から、竜の伝承はいくつも伝えられてきた。何度も聞かされた、竜と共に戦場を駆けたという、建国王の伝説を思い出す。
「やっぱり、そうとしか……。」
ライは、独り言を呟き、溜息をついた。
「もうそろそろ、頃合いじゃないかい」
ドラドが、ワンスに言った。エデルはそれを聞いて立ち上がった。
「頃合い?」
「ああ……もうそろそろ卵が孵ってもおかしくないな」
ジェスとアイリスはそれを聞き、顔を輝かせた。この目で竜を見ることができただけでも素晴らしいのに、まさかその誕生に立ち会えるなんて。
だが――。
「行くぞ!」
掛け声を上げたワンス、ニケ、ドラド、そしてエデルがそれぞれの武器を構え、竜目掛けて駆け出した。
「エデルさん?」
ジェスが、驚いて叫ぶのと、ライが剣を抜いて、エデルの前に飛び出たのは同時だった。ガキン、と剣と剣がぶつかる音がした。
エデルは、自分の前に立ちはだかるライを睨みつけた。
「何をする……!」
その時、竜のいる場所で爆発が起きた。ニケが、火薬を括り付けた矢を放っていた。
「ちっ……やりやがって!」
ライは舌打ちをする。
「抜け駆けするつもりか!」
「馬鹿か! ……くっ!」
ワンスは怒鳴る。ライも叫び返しながら、エデルが双剣で斬りかかってくるのを間一髪で避ける。
「えっ……え、ライ?」
起きていることが理解できず、ジェスは慌てて、剣をぶつけるエデルとライを止めようとしたが、ライは急いで叫んだ。
「皆、武器を取れ! 俺らが竜を守らなきゃいけねえのは、こいつらからだ!」
竜が痛みに咆哮を上げた。
ドラドが魔法を唱える。土が盛り上がり、岩の礫が激しく竜の体にぶつかった。続けざまに、ニケの火矢が竜の鱗に刺さる。
だが、竜はそれを避けることはなく、体を丸めて耐えているようだった。
マリラはそれを見て、はっとした。
「動けないんだわ……!」
卵を守るために。切り立って不安定な崖の上に、竜は座っていた。それは、他の者を寄せ付けないという意味では有効だったが――、もし竜が動けば、卵は崖下に転がり落ちてしまうかもしれない。
そして、本来なら鉄壁の防御を誇るはずの竜の鱗は、弱体化した今、矢を通し、その身から血を流していた。最強の生き物であるはずの竜が、一方的に攻撃され続けている。
マリラ達も、ここでやっと理解した。
ワンス達は、竜が弱体化した今を――それも、卵が孵る直前、竜が最も疲弊しているだろう時を狙って、竜を殺してその肉体を手に入れようとしていたのだ。
「そんなこと、させないわよ!」
マリラは杖を掲げた。
〈疾風〉の呪文を唱え、風を操る。強力な風が、ニケの矢を、竜の体に当たらないように吹き飛ばした。
アイリスもまた、竜の前に〈護り〉で壁を張り、ドラドの攻撃魔法を弾き返した。
それを見たワンスは、竜を目指すのを止め、後ろを振り返った。ちっと舌打ちすると、斜面を駆け下り、大剣をマリラとアイリスに向かって振りかざした。
「ニケとドラドは、竜への攻撃を続けろ! 女子供を相手にするのは目覚めが悪いが、仕方ないな」
「っ!」
迫る大剣を、マリラは炎の弾で弾くことで防いだ。だが、その分集中が解け、竜を守っている風が止んでしまう。
「ううっ……」
アイリスは精神集中を続け、竜を守る壁を作り続けるが、ニケとドラドの容赦ない攻撃と、アイリス一人との魔法では、アイリスの分が悪い。
「このっ……!」
「さて、いつまで持つかな」
ワンスは大剣で、炎さえ叩き潰そうという勢いで、こちらへ激しく攻撃を続けてくる。
接近戦になっては、呪文を唱える時間の分、魔法使いの方が不利だ。必死に距離を稼ごうと、マリラは炎をぶつけながら、アイリスを背にかばいながらじりじり後退する。
ワンスもまた、炎を避けながら、距離を詰めようとしてきていた。
魔法や矢が飛び交い、あちこちから激しい爆発音がする。混戦状態となっている様子を視界の端に捉えながら、エデルは、低い声で唸った。
「竜を、守るだと……」
「勘違いしてたようだな」
勘違いしていたのはお互い様だった。
ジェス達は、竜を守るために竜を目指していた。一方、エデル達は、竜を殺すために竜を目指していた。
竜の脅威とは何なのか――マリラとエデルの話を聞きながら、ライは眠ったふりをしながら考えていたのだ。
(カジャラッシャの予見が正しいとして、竜の脅威となる存在なんて――人間しかねえ!)
魔物は、竜自身の放つ力によって今、この山には存在していない。その辺の狼や熊などの獣が、いくら弱体化したといえ、竜に敵うはずもない。
竜を狙うのは、欲に駆られた人間。竜の血や、骨の価値を知って、それを求めた者達。
竜の体に特別な力があることを教えたのは、他ならぬ竜だと、ドラゴニアの伝承には伝えられている。
かつて、建国王の友として空を翔けた竜は、死の間際、人間に、自分の体には特別な力があることを教えた。聡い竜は知っていたはずだ。そんなことをすれば、同族の竜は、人に狙われる存在になることを。
それでも竜は、建国王を――人間を信じたからこそ、それを伝えてくれた。竜の秘薬は――その竜の贈り物の最後の一つだった。
ライは、剣を素早く振るい、エデルの剣を叩き落とそうとした。だが――。
「私の邪魔をするな!」
エデルは、ライの剣をいとも簡単に右の剣で弾くと、目にも止まらないほどの速さで、左の剣でライの腹を刺した。
「ぐあっ……!」
体が傾いだライを、エデルは蹴り飛ばした。ライの体は山の斜面を転がり落ちる。
そのライに目もくれず、血に濡れた剣を振り上げ、エデルはただひたすら、竜を目指して駆ける。
(なんて……速さ、と力、だ……!)
エデルの戦いは、何度か見たことがある。双剣を駆使し、魔物を倒していく。剣の実力は自分より上だろうとは思っていたが――あれでもまだ、本気じゃなかったというのか。
「ライさん!」
斜面を転がるライは、腹の傷のせいで、体勢を立て直すことができない。アイリスは咄嗟に〈癒し〉の魔法をかけた。
しかし、それと同時に、竜を守っていた障壁が消え、エデルが竜の元に辿りついてしまう。
「……くそっ!」
ライは立ち上がったが、そこに矢が飛んでくる。ライはそれを躱すと、矢の飛んできた方向を見た。
弓使いのニケが、にやにや笑いながらこちらを見ている。
「兄貴は竜を攻撃しろって言ったけど、このままじゃ火薬が無駄になっちまう。ここまで弱らせれば、竜はあの女が殺してくれるだろ――俺たちはアンタ達を倒した方がよさそうだな」
「くっ!」
振り返ると、竜がエデルに向かい、風の刃の息を吹きかけたのが見えた。しかし、エデルはそれを躱し、右の剣で風の刃を跳ね返す。竜は目を閉じ、卵を守ろうと体を丸めた。
エデルはその剣を、竜の喉に突き立てようと、一気に跳躍したが――。
銀の剣筋と、黒の剣筋が交差した。
エデルの双剣を、ジェスの魔法剣が受け止めていた。
凄まじい衝撃が、二人の間に走る。
「ジェス、貴様……っ!」
「駄目だ!」
エデルは憎しみを込めた目で、竜との間に割って入ったジェスを睨みつけると、いきり立って、双剣を同時に叩きつけるように振り下ろした。ジェスはその重い一撃を、ぎりぎりのところで受け止める。
「どうして! エデルさん、あなたは人を守るために、魔物を倒して回っていたはずだ! だったら、どうして竜を……!」
「黙れ、そこをどけ!」
エデルは燃えるような瞳で、ジェスと、その背後の竜を睨む。ジェスは剣を構え、竜の前に立ちはだかった。それを否定と取ったエデルは、ジェスに狙いを定める。
「ならば……貴様も斬るまでだ!」