104:運命の波
ジェスは、何とも言えない緊張感を感じた。
老婆は目を閉じているはずなのに、こちらのことは見透かされているような感覚を覚えた。
言葉に詰まったジェスに代わり、マリラが尋ねる。
「……あなたは、未来が見えるのですか?」
「……いいや。お前さんの思っているような、はっきりした未来を知ることはできない。未来は決まっているわけではないからね」
「けど、俺たちが村に来ることを予見して、迎えるように言ったんだろう」
ライが言うと、カジャラッシャは水盆に手を翳した。澄んだ水の表面は、曇りのない鏡のようだ。
「儂が見たのは強い運命の流れだけ。儂は運命を持つ者が村に来ることを予見したに過ぎない」
「……運命は、未来では、ないのですか?」
マリラは疑問を言葉に出し、考えながら尋ねる。
「運命は、力の流れ、うねり。強い流れは他を巻き込み、惹かれ、弾き合う。その先に未来ができるだけで、どうなるかは儂にもわからない」
「……。」
四人は神官長の言葉を理解しようと、考え込んだ。ジェスは、うーん、と首を捻った後、考えを話す。
「……要するに、何かが起こりそうな予感がするって感じですか?」
ジェスの強引な解釈に、マリラ達は脱力したが、カジャラッシャは声を上げて笑った。
「かかか、愉快じゃのう、全くもってその通りじゃよ! 儂のような人の身に分かるのはその程度じゃ! だのに人は儂の曖昧な言葉を、理解ができんのは自分の修行が足らぬせいだと勝手に思い込み、儂が何もかも見通せると思っておるのじゃからな」
「……はあ」
ライはとりあえずそれを聞いて安心した。
自分達が来ることが、さも決まっていました、分かっていました、などと言われると、監視されているようで面白くないと思っていたからだ。
「そうなんだ……良かったです」
ジェスの言葉に、マリラは聞き返す。
「良かったって、何が?」
「もし、僕達のこの先の未来が全部分かってて、それを聞かされたら嫌だなあって思ってたから」
ジェスの答えに、ライも頷いた。
「同感だな。何もかも決まってるなんて言われたら、やる気をなくすぜ」
「……そうねえ」
マリラも、未来予知には興味はあったが、それで何もかも先のことが分かるようでは、却って生きづらいだろう。
カジャラッシャは自分に未来を聞こうとしない若者達の様子に、満足そうに微笑んだ。
「でも……」
アイリスだけは、少し残念そうにしていた。
「アイリスは、何か知りたい未来があったの?」
「……いえ、私は……もし、何か危険なことがあれば、先に知っておけないかと思ったんです。旅はしていたいけど、皆さんが危険な目にあって、もしものことがあったら……」
アイリスはそう言って、祈りを捧げる時のように、きゅっと両手を組んだ。
カジャラッシャはアイリスの方に顔を向ける。瞳は閉じたままだったが、アイリス、そしてライ、マリラ、ジェスを順に見るように顔を動かした。
「……心配せんでも良い。先のことは分からぬが、お前さん達が、良い運命で結ばれていることは分かる」
「良い運命……」
「縁と言う方が分かりやすいかも知れぬな。――お前さん達は共に歩み、縛られた運命を解いてきた。それが間違いでなかったことは、お前さん達自身が誰より知っている」
その言葉に、アイリスは、心が温かくなる。
「いずれは、道を別つこともあろうが、心のままに進んで行けば良い」
「……はい」
アイリスは、強く頷いた。
カジャラッシャは、水盆に触れた。ゆらゆらと波紋が広がり、水の表面に写る、皆の顔が揺れた。
「さて――お前さん達が実力のある冒険者であることは、良く分かったのでな。儂の頼みを聞いてはもらえぬか」
「え……依頼、ですか?」
「左様じゃ。竜を守ってほしいのじゃよ」
様々な依頼を受け、色々な場所に行ってきた一同も、この言葉にはさすがに驚いた。
「竜って……。そんなのどこにいるんだよ。そもそも、俺達が守る必要があるのか?」
竜は、今や非常に稀有な存在であり、世界を創造した龍に連なる特別な存在だ。高い魔法の力を持ち、非常に強力で長命と伝えられる。
「この村、いや、この山は竜と繋がりが深くてな。よく竜が卵を温めにくるのじゃよ」
「竜の、卵……?」
「竜は卵から生まれるんですね?」
ジェス達は、素直に驚く。
「今、ここより西の山に、卵を守る竜がいるのじゃが、その竜に、良からぬ運命を感じたものでな……。お前さん達のような強い運命ならば、果たして流れを変えられるやも分からぬ」
「……分かりました」
ジェスは頷いて、仲間を振り返る。
「皆、どうする?」
「何だかはっきりしない依頼だが……竜か……」
ライは考える。竜と戦って倒せという依頼なら、危険すぎるのできっぱり断るが、竜を守れというのは想像もつかない。
竜自身が強いのだから、何かする必要もなさそうだが、逆に考えれば竜に危機が迫る程の脅威とも考えられる。
「……まあ、報酬次第かな」
ライがそう言うと、マリラとアイリスも同意した。
「そうじゃな。ここには金貨はないので、これでどうじゃろうか」
そう言ってカジャラッシャは、懐から、ロザリオを出し、アイリスに渡した。白っぽく、大理石のような色をしているが、持つと不思議と温かく、じんわりと力を感じた。
「石……じゃないですね? これは、何でできているんですか?」
「竜の牙でできておる」
さらりと言われた言葉に、ジェス達は飛び上がりそうになった。
「ええ!?」
「……こ、これは……本当なら、とても値段がつかねえぞ……」
報酬としては十分すぎる品だ。勿論、売るなどとんでもない。
「お前さんなら使えるじゃろう?」
「あっ――ありがとうございます」
アイリスは、持った瞬間、このロザリオの価値が分かったらしい。ロザリオを握り、頷いた。
話が終わり、ジェス達は神殿の外に出た。
「……ああ、すまんが、儂を連れていってくれぬか。目も、足も悪いものでな」
カジャラッシャが一度も、目を開けることがなかったのは、目が不自由なせいなのかと理解した。神殿の中が暗闇でも構わないはずだ。
ジェスとアイリスが、カジャラッシャを横から支えてゆっくり歩く。閉じた扉の前に来ると、ジェス達は、カジャラッシャに断り、四人で扉を引こうとしたが、当の彼女がそれを遮る。
「ふむ。その扉は、その二人で開けるのがいいじゃろう」
「え? 私と、ライで……ですか?」
指名されたマリラと、ライは困惑した。四人でもやっとだった扉が、なぜ二人で開くのか。
しかし、仕方なく言われた通り、ライとマリラは、それぞれ扉の左右の取っ手に手をかけて力一杯引く。
すると――
「あら?」
それなりに力は必要だったものの、ここに入る時よりもむしろ軽い力で扉は開いた。
「……どうなってんだ?」
ライは首を傾げた。他の三人も、驚いている。
「……かかか、驚かれたか。イニャーシャも言っておったろう、この扉は運命の重さだと」
「……。」
四人が出ると、扉はゆっくりと閉まる。
「神龍の神殿は、入る者を試す。一人では開かぬ扉も、他人と共になら開けられるが、その逆もあるということ」
「……?」
試しに、ライは一人で外から扉を押した。びくともしない。
「さっぱり、分からねえが……」
「一人で扉を開けられる者は、そうは居らぬよ……特に」
カジャラッシャは、閉じたままの瞳でジェスを見た。
「お前さんの運命は、まだ、解かれておらぬようじゃからな」
「……僕、ですか?」
それ以上、カジャラッシャは何も語ろうとしなかった。
翌日、西に向かって出発するジェス達を、神官長は見送った。その横には、イニャーシャがついている。
「……代々伝わる竜のロザリオを渡して、宜しかったのですか?」
「新しき竜の命を繋ぐ運命に比べれば些細なことじゃ。それに、あの剣士の青年からは、尋常ではない運命を感じた……」
「……彼が」
ジェスという、黒髪の剣士。明るく素直な好青年で、剣の腕は立ちそうだが、一見、どこにでもいそうな若者にしか見えなかった。
もっと修行を積まなくては――イニャーシャは空を見上げた。風が強いのだろうか、目に痛いほどの青空に、雲が早く流れていた。