102:山間の村
ジェス達一行は、山の斜面を黙々と登っていた。
山に入って四日。山頂に近付くにつれ、地面は砂利や岩が多くなり、歩きにくくなってきた。
途中、適当な木の枝を切り落として杖にし、各々、足元を見ながらゆっくり慎重に進んでいく。
「みんな、大丈夫?」
先頭を進むジェスが、仲間たちを振り返る。
「お、おう……」
「随分登ったと思うんだけど……」
雲が景色の下に見えるようになった辺りから、霧もかかって、視界が悪くなった。一体自分がどの辺りにいるのか分からない。
「そうだね、ちょっと休憩しようか……」
ジェスがそう言った時だった。風向きが変わって、強い風が霧を吹き飛ばす。急に開けた視界の先には、ドラゴニアの大地が広がり、遠く地平線まで見渡せた。
「わあ……」
雲海の向こうに広がる絶景に、しばし、言葉を忘れて見とれる。
そして、次に前を向いた時――
「村だ!」
山と山の間の窪地に、村が見えた。不思議なことに、山陰にありながら、村は光を放つかのように、輝いて見える。神秘的な光景だった。
「いつの間にか、もう頂上にいたのか……!」
「あと少しだね! 行こう!」
目的地が見え、ジェス達の顔から疲れが吹き飛んだ。
休憩しようとしたことを忘れ、一行は村を目指して進み出した。
ホルンの村は、わずかな畑と、石造りの家が数件あるだけの、小さな村だった。唯一目を引くのは、村の中心にある神殿だ。
白い石を組んで作られた神殿は、想像していたより小さかった。ところどころ、石が欠けており、歴史を感じさせる。
村のもう一つの特徴は、普通の村や町であればあるはずの、柵や壁がないことだった。どこまでが村の敷地なのか、はっきりしない。
「さっきから思ってたけど、この辺には本当に魔物がいないみたいだね。山頂を過ぎて、山に囲まれた内側に入ってから、まったく魔物に合わなかった」
「世界樹のあった森を思い出しますね……」
あの森も、神秘的な力で満たされていた。
村に近付くと、畑で作業をしていた人々は手を止め、ジェス達を振り返った。
村人達の格好を見て、ジェス達は、神官みたいだな、と感じた。彼らの着ている、白を基調とした、質素で丈夫な服は、巡礼の旅をする神官の服によく似ている。
一番手前にいた髭の生えた男性が、ジェス達に頭を下げた。
「お待ちしておりました。ようこそ、おいでくださいました」
「……えっ?」
待っていた、という言葉に、ジェス達は驚く。
「山越えでお疲れでしょう。部屋を用意してございますので、しばらくお休み下さい」
「は、はあ……。ありがとうございます」
すると、若い女性が進み出て、ジェス達を案内する。
訳が分からないまま、ジェス達は今日の宿に案内された。
案内された部屋は、質素だが休むには十分だった。建物が石造りのため、空気がひんやりとしている気がする。
「私はイニャーシャと申します。何かあればお申しつけ下さい」
「あの、じゃあ、聞いてもいいですか?」
「はい、何でしょうか」
ジェスはイニャーシャに尋ねた。
「さっきの言い方だと、僕達がここに来ることを知っていたみたいですが……」
それは全員が思っていた。冒険者が珍しいから、単に歓迎しているといった様子ではなかったし、ジェス達を見て驚いたり警戒したりする様子もなかった。
「はい。皆様が来ることを予見していました」
「一体、どうやって?」
魔法の類で、山に何者かが来るとわかるような仕掛けがあったのだろうか?
「私からお答えすることはできません。皆様がいらっしゃる事を予見したのは私達の神官長であり、私には理解の及ばないものなのです」
「未来予知? まさか……」
マリラは信じられないというように呟いた。
未来を予見する魔法は、多くの魔法使いが開発しようと挑んだが、不可能とされた魔法であり、古代にすらその魔法は存在しなかったのだ。
「気になるな……。俺たちがここに来たのは、俺たちの意思だぜ。その神官長って人には会えないのか?」
「神官長は、神殿の中にいらっしゃいますが、ただいま瞑想に入っておられます。瞑想の間は、何人たりとも入ることはできません。時が来れば、その扉の前までご案内することはできます」
「ふうん……」
案内といっても、この小さな村で、神殿はすぐそこだ。
まあ、今は駄目だけどそのうち案内しますよ、ということなら、素直に従うのがいいだろう。
「じゃあ、私も質問していいかしら?」
マリラは手を挙げた。
「この村って、高い山に囲まれている割に、暗くないのが不思議だったの。山頂から見ても村が輝いて見えたのは気のせいかしら」
「よくお気づきになりましたね」
イニャーシャはそこで初めて微笑みを見せた。
「仰る通り、この村は山の陰に隠れ、太陽の光があまり届きません。そこで、山に鏡を設置し、太陽の光を村に届けているのです」
「大変なことではない? 日の角度を計算して、正確に鏡を取り付けなくてはいけないし、巨大な鏡を持って山を登るなんて……」
「この知恵は、竜によって授けられたものと伝え聞いております。鏡石を置いたのも、恐らくはその竜の為したことなのでしょう」
「竜が……。すごいわ」
マリラは感心した。
竜は、かつて人に言葉を、魔法を教えたという。
長い時を生きる竜は、その力だけでなく、知恵も優れていると伝えられる。
「あの……私も聞いてもいいですか?」
アイリスも手を挙げた。
「はい。貴女は、神官とお見受けします」
「アイリスと申します。聖龍の教えを学んでおりました」
アイリスは礼儀正しく挨拶をした。
「先程、瞑想と仰いましたが……この村と神殿は、神龍の教えを伝えるものなのでしょうか」
「その通りです」
イニャーシャはアイリスの問いを予想していたようで、満足そうに微笑むと、礼を返した。
アイリスとマリラは、温泉に入っていた。
暖かいお湯が湧き出てくる泉だと説明され、驚いた。
「地面を深く掘るとお湯が湧き出すなんて、これも竜の知恵なのかしら?」
マリラはふう、と息をついた。普段の旅ではなかなかお風呂に入れないし、風呂のある宿に泊まったとしても、湯を沸かすのに薪などが必要なため、なかなか湯を張った風呂に浸かることはできない。
山登りで疲れた体がほぐれていくようで、とてもありがたかった。
「気持ちいいですねー」
アイリスも笑顔で答える。
「ところで、神龍の教えって何なの?」
「私も詳しくはないので、うまくは説明できないんですが……マリラさん、始まりの龍、神龍についてはご存知ですよね?」
「ええ。創世神話において、混沌に現れた龍。七つの龍を生み出して眠りにつき、世界の礎となった龍――よね?」
「はい。神龍が眠りについた時、世界は生まれました。神龍が目覚める時が、世界の滅びの時とも言われています」
アイリスは、青く澄んだ瞳をマリラに向けた。
「世界の全ては、神龍に繋がっています。あらゆる出来事、全ての存在の始まり――光龍が光を、闇龍が闇を、風龍が風を、地龍が大地を、炎龍が炎を、水龍が水を、聖龍が命を創り、司るように――神龍は、運命を司ると言われているんです」
「運命……」
マリラはその言葉を繰り返した。
アイリスのような神官は、生命を愛し守る聖龍の意思と繋がることで、傷を癒すなどの魔法を使うことができる。
つまり――運命を司る存在と繋がることができるなら、この先の未来を知ることができるのか?