100:墓参
港町バランの馬屋に訪れた一人の冒険者に、主人は馬を貸し出しながら、心配そうに声をかけた。
「お嬢さん、一人旅かい? 悪いこと言わないから、護衛をつけた方がいい。フォレスタニアから来たなら知らんだろうけど、こっちの大陸の魔物は強いよ」
「問題ない」
彼女は素気なく答えると、代金を払って、颯爽と馬に乗っていってしまった。
彼女はドラゴニアの出身だった。この国の魔物の強さもよく知っていたし、その辺の魔物など返り討ちにできた。
赤い髪の双剣の女戦士、エデル。
一度は王国きっての剣の使い手とも呼ばれていた彼女は今、ドラゴニアの地にいた。
エデルは馬を走らせ、乾いた地面をただひたすら進んでいく。
赤く染めた鎧を纏う彼女の姿は、景色の中では目立つ。血を連想させるその色に惹かれ――そうでなくとも人間のような弱い種族は狙われやすい――魔物は次々に襲い掛かってくる。
それらを、エデルはその度に、黙って斬り捨てていく。
どんな魔物であろうと、逃げるという選択肢はない。
それが、人を襲うものである限り――彼女はそれを斬るだけだ。
宿場町に着くと、彼女は宿で一日ほど眠り続ける。一人で旅をしている間、ほとんど眠らないためだ。
夜は魔物が活発になるため、動かずひとところでじっとしているというのが常識だが、それはパーティを組んでいる冒険者の話だ。
エデルのように一人で旅をしていれば、夜に眠れば、たちまち魔物に囲んで喰われてしまう。
彼女が数日以上かかる距離を歩く場合は、夜に進み、日の明るいうちに眠る。それも、周囲に警戒しながらであり、何かが近付いてくれば、すぐ気配で起きるほどの、ごく浅い眠りでしかない。
「……ふっ」
眠りに落ちる瞬間、エデルは自嘲めいたため息をつく。
こうして宿で休んだところで、自分は、物音がすればすぐ起きるようになっているのだから、真に休めたことなどないのだ。
故郷を失った、あの日以来。
宿場街で馬を替え、そこから北に街道を進む。
途中、馬車と、それを護衛する冒険者の集団を追い抜いた。
エデルが冒険者として活動し始めて最初の時は、他の冒険者と共にパーティを組んだこともあった。だが、考え方の違いから、エデルはすぐにパーティを組むのを止めた。
エデルはとにかく、人に害なる魔物を倒して回りたかった。
しかし、彼らは、危険や労力が報酬に見合わなければ、魔物討伐に向かうことはなかった。
別にそれが薄情とも、正義に反するとも思わない。命を懸ける以上、見返りがなければ動かないのは当然のことだ。
そして、エデルは自由に行動するため、それ以来一人旅を続けている。
彼女の剣の腕を知った者が幾度となく、パーティに加わらないかと誘ってきたが、それも全て断わってきた。
「ふん、剣の腕が立つからって、一人で何でもできると思ってたら、そのうち足元をすくわれるね」
誰とも仲間になる気はないと伝えると、腹立たしげにそう言われたこともあった。
(そういえば、彼らは仲のいいパーティだったな)
以前、修道院の魔物退治で一緒に行動した、四人の冒険者を思い出す。ジェスという剣士はなかなかの腕だったし、共にしていた冒険者たちも、魔法や武術など、それぞれの実力はそれなりのものだった。
(……いや、今頃は……三人かもしれないか……)
そのうちの一人――マリラは、魔物退治の折に、ひどい呪いをかけられてしまった。
それを救うことができなかったのは、エデルの中で後悔として、胸の棘となっている。
その呪いを解くのは、不可能だと聞いた。仲間を失い、彼らが悲しむことになれば、見ていられない。エデルは半ば逃げるように修道院を発ったのだ。
そういう意味でも、自分は仲間を持たない方がいいだろう。再び、大切な存在を失うことになるなら。
街道を進めば、数日ほどでアノンの街につく。しかし、そこは素通りして、森を抜ける。街道はアノンの街で終わりになっているため、そこからは道はないが、それでもエデルは迷うことなく、真っ直ぐ馬を走らせていく。
そして彼女は、ようやく目指していた場所につく。
山の麓、多くの墓石だけが並んでいる草原。
「……帰ってきたよ」
エデルはそう告げて、草を掻き分けて歩き、墓石の前にしゃがみこんだ。
ここに戻るのは、久しぶりで、墓石は土埃でだいぶ汚れていた。
ここは、幼いエデル一人を残し、全滅した村だった。
そこにかつての村の面影はない。村が襲撃されたことを知って駆けつけた王国兵が、村の建物を全て焼き払ったからだ。
人の住まない建物は燃やすなどして潰すのが常識だ。魔物がまとまって巣食いやすいからだ。
村の惨状を見た王国兵は、ただ一人生き残っていたエデルを連れ出し、他に誰もいないことを確かめると、村に炎を放った。
故郷が焼かれていくのに、エデルは反対しなかった。
それ以前に、もはや村は見られない状態となっていた。むしろそのようなグシャグシャに潰れた家を見るより、燃やして失くしてもらった方がよかった。
村人達の墓も王国兵が作ってくれた。墓は、村のあった、この場所に作るよりなかった。血に飢えた魔物たちから身を守りながら進まなければならない中、村人達の遺体を全て運び出すのは難しかったからだ。
今はただの草原となり、地図から消えたこの村に、墓参に来るのは、エデルだけだ。
そのエデルにしたって、各地を旅している以上、ここに頻繁に来ることはできない。
エデルは、草むらの中、荒れた墓の前で、一人佇んでいた。やがて、日が暮れていった。
「…………」
燃えるような夕暮れの赤が、彼女と墓を照らす。
草原で一人留まっているエデルに、魔物が襲い掛かってくることはなかった。目を閉じて気配を探っても、近くに魔物の存在を感じない。
(……噂は、本当だったか……。)
エデルは、決意を胸に、剣を強く握りしめ、立ち上がった。
このために、ずっと一人で旅を続け、剣を極めてきた。
「……。」
エデルは、馬に乗り、かつての故郷をあとにした。
山から吹き下ろす冷たい風が、赤い髪を風に流した。
エデル視点の幕間でした。
そして、ひっそりと100話目です……。