010:魔法の罠
一行は重苦しい煉瓦の建物を見上げた。近くまで来ると結構大きい。
「まだ生きて、中に捕えられている人がいたら、助けよう……さっきの彼のように魔法で操られている人がいるかもしれないから注意しないと」
ジェスはそう言って、入口の扉に手をかけた。だが、その手が扉に触れるよりも前に、扉は勝手にギイイ、とゆっくりとこちらに向かって開いた。思わず息を飲む。
「魔法ね……。誘っているのかしら」
「ま、街の入口のガーゴイルは壊しちゃったからな。あちらさんも気付いているんじゃねえか。俺が先頭を行くさ」
ライはふっと息をついた。この街に入ってから、武器は一度も収めていない。
ライは罠が仕掛けられていないか警戒しながら、注意深く中に足を踏み入れる。続いて、マリラとアイリス、ジェスが入る。最後の一人が入った瞬間、扉が急にバン、と音を立てて閉まった。
ライは閉まった扉に近付き、念のため押してみたが、鍵がかかっているかのように開かない。
「ま、勝手に開いたら勝手に閉まるわな」
ある程度予想はしていたが。
「さてと……マリラ、この中で、人が閉じ込められそうな所の心当たりはある?」
「普通、学園に、そんな場所はないわよ……。色々探して回るしかないわね」
一行は、玄関ホールから歩き出した。その時、先頭を歩いていたライの足元で、赤い光が吹き出した。
「なっ」
「魔法陣よ!」
マリラが言うと同時に、ライの足元から毒蛇が現れた。急に現れた蛇はライの足首に噛み付く。
「この!」
ジェスが素早く駆け寄り、蛇の胴を剣で断ち切った。蛇は一瞬のたうったが、すぐに動かなくなる。
「くっ……」
ライは床に倒れた。脂汗が流れ、苦しみだす。毒が回っている。アイリスはライの傷に触れ、〈浄化〉の魔法をかけた。
「大丈夫ですか?」
「……あ、ああ……助かった」
ライはぜえぜえと荒い息を吐いていたが、しばらくすると落ち着いて立ち上がった。
マリラは蛇を呼び出した魔法陣を眺めた。
「足を踏み入れたら、自動で蛇を召喚するようになっていたのね……高度な魔法だわ」
「ふうん。じゃあまあ、床に変な模様があったら踏まないようにすればいいってことか」
マリラが険しい顔をしている横で、その罠にかかったライは、命を落としかけたことも介さない様子で軽く言った。
一行は玄関ホールから、長い廊下を進んでいった。
「で、どこに向かうんだ?」
この学園はそれなりに広い。無闇に歩いても仕方ない。
「……学園長の部屋。オルドール学園長がいない今、アルバトロは学園長になったはず。であれば……」
「そんな決まりきった場所にいるかね……おっと」
先頭を歩いていたライが、床に描かれた魔法陣を見て足を止める。そして、まだ踏んでもいないというのに、魔法陣が赤く光り出し――その中から魔物が現れた。
「あれは、血狼っ!」
赤い毛皮に、鋭い牙と爪を持つ、獣に似た魔物は、血に飢えた様子で飛びかかってきた。ジェスが素早く前に躍り出てその一撃を剣で受け止める。固い爪と鋼が、激しくぶつかる音がした。
「ガウッ!」
ジェスがそれを相手にしている間、再び魔法陣が赤く輝く。
「まずい、まだ来るぞ!」
だが、最初に召喚された血狼が、素早い動きでジェスに喰らいつこうとする。ジェスの喉笛に噛み付こうとする血狼に、ライは横から短剣で一撃を入れた。だが、これ以上相手が増えれば、さすがにマズイ――。
その時アイリスが、思い切って動いた。
「ま、魔法陣を消せばいいんですよね!」
魔法陣に向かって、アイリスは何かを投げた。それは、戦うジェスとライの頭上を越え、魔法陣の中央に落ち、パリン、と割れた。と同時に、魔法陣の輝きが失われていく。
血狼と戦っていたジェスとライには、何が起こったのか正確に見ている様子はなかった。だが、マリラの「やったわ!」という声を聞き、とにかく何とかなったらしいと、目の前の相手を倒すことに集中する。
「はあっ!」
ジェスが気合を込めて、剣を素早く横に払う。その一撃で腹を裂かれた血狼はどっと倒れた。
「……ふう」
ジェスとライは息をつき、そして改めて魔法陣を見る。その中央には、割れた瓶があった。アイリスは水の入った小瓶を持ち歩いている。その水が床に描かれた魔法陣を、一部であるが洗い流したため、魔法陣の機能が失われたらしい。
「お手柄ね、アイリス」
アイリスは照れてはにかんだ。さっき、ガーゴイルを操る魔法陣を、傷を付けた事で動かなくした時のことを覚えていたのだ。
「踏んでねえのに動くのもあるのか」
「そうねえ。……この魔法陣、血で描かれているみたい。恐らく血狼の血ね。血に飢えた魔物の血の魔力で、獲物の気配があれば自動的に召喚されるようにしてあった、ってとこかしら」
マリラはぶるりと震えた。アルバトロは、一体どれほどの高度な魔法を使ってくるというのだ?
その時、すぐ近くの部屋の中から、ごとりと物音がした。瞬間的に身構える。だが、部屋から何かが飛び出してくる様子はない。
「マリラ、この部屋は?」
「……教室の一つだけど……」
ダンジョンと化したこの学園の中で、この部屋がもともと何の部屋だったかは、あまり意味を持たない。
「……ひょっとしたら誰か囚われてるのかも。見てみよう」
ジェスの言葉に、ライは、注意深く扉に罠がないか調べてから、中を覗き込んだ。そして――驚きに息を飲んだ。
その教室の中では、魔物が檻や鎖に囚われていた。さっきライに襲い掛かったのと同じ毒蛇や、毒蜘蛛の入った籠もある。それは身震いのする光景だった。アイリスなどぞっとして、マリラのローブの裾を掴んでいる。
「な、何なんですか、これ……」
ごとごとと音を立てていたのは、鎖に繋がれた魔物だったらしい。
「召喚する魔物や蛇は、あらかじめここに捕えられて、呼び出されていたってとこか?」
ライがそうマリラに聞くと、マリラは頷いた。
「多分ね。それぞれの檻や籠の床に、さっきと同じ召喚の魔法陣が描かれているから」
〈眠りの雲〉の魔法か何かを使えば、魔物を無力化して捕まえることも可能だろう。
「……こいつらが一斉に襲ってきたらと考えるとぞっとすんな。けど――じゃあ今この状態で倒してしまえば、いいってことか?」
「なるほど……」
ジェスは剣を、鎖に繋がれたまま動けない魔物の上に振りかぶった。
召喚される魔物の、その元がいないなら、どうしようもない。ジェスとライとマリラは、それぞれ手分けして、自分達の身の安全は確保したまま、囚われた魔物を倒していった。
「しかし……何かまどろっこしくねえか?」
「どういうこと?」
「俺は盗賊だからこういう考え方をするのかもしれねえけど。毒蛇を仕掛けるのに、わざわざ魔法陣がいるかね」
「え?」
例えば、扉のすぐ前など、必ず通りそうな所に、小さな落とし穴を掘っておく。そこを踏み抜いたら、中に毒蛇がいるという具合の罠であれば、簡単に仕掛けられる。
「……アルバトロは盗賊の技術がないから、魔法陣を仕掛けたんじゃ」
「けど、魔法陣が光ったりしなけりゃ、毒蛇への注意が遅れたのは確かだ。さっきの魔物にしたってそうだ。一匹ずつ召喚されたから、アイリスに魔法陣を消されて止められた。あれも例えば、廊下にまとめて放り込んでおけばいいだけの話だろ?」
「……。」
マリラは思案した。確かに、外部からの侵入者を防ぐ番犬の役割ならば、わざわざ魔法陣で召喚せずとも、最初からそこに置いておけばいいのだ。
そもそも、入ってきて欲しくないのであれば、なぜ入口の扉は自分達を招き入れるように開いたのだ? 招いたという割には、魔物で襲ってくるわけで、何がしたいのかよく分からない。
「……私達は、試されているの?」
「さあな」
ライは肩を竦めた。
何にせよ、アルバトロという奴を捕まえれば分かることだ。