傘
雷の音で目が覚めた。
辺りを見回すと、公園だ。
(頭いてー……寝てたのか)
携帯を見ると、もう次の日、2014年2月6日になっていた。
やってしまった。
早く帰る予定だったのに。
ついつい飲み会で、はしゃぎすぎてしまった。
飲み過ぎたせいか、とても頭が痛い。
「ついてねぇな」
五十四歳、独身。
私は年齢の割に良い役職にもつけず、しがない毎日を送っている。
「おわっ」
急に、頬に冷たい水滴が落ちてきた。
雨だ。
「ううむ、どうしようか」
仕方ない。
確か近くにコンビニができたはず、そこまで走って行くとしよう。
……
「いらっしゃいませー」
コンビニに入ると、今時の風貌をした、若い青年がモップがけをしていた。
気にせず雨宿りしようと、漫画雑誌を手に取る。
ふと違和感を覚えた。
(こんな漫画あったっけ)
パラパラとページを捲ってみると、見覚えのない連載ばかり。
お気に入りの漫画も見当たらない。
はて、知らぬ間に打ち切りでもされたのか。
……
店内の時計に目をやる。
いつの間にか、もう二時間も経っていた。
こんなくだらない漫画でも暇潰しにはなるものだ。
(……止まないな)
雨は一向に止む気配を見せない。
店員に目を向けると、いまだにモップがけをしている。
熱心なのは良いが、掃除しすぎだろう。
(仕方ない、ビニール傘を買って帰るか)
もっと早くそうすれば良かった、と考えたところで思い出す。
金がない。
確か飲み会で全部使い切ってしまった。
カードにもポイントはないはずだ。
(しくったな……けど明日も会社早いし)
帰らなければならない。
こんな雨の中を? 仕方ない。
そう、仕方ない。
……
私は傘を盗んだ。
もちろん商品のビニール傘ではなく、傘立てにあった、誰かの黒い傘だ。
「意外とばれないもんだな」
最初の公園近くまで戻ってきた。
そういえば、外国人にこんな話を聞いたことがある。
日本人は、財布を落としても交番に届けてくれるほど親切なのに、何故かビニール傘は何の罪悪感も抱かずに持ち去ってしまう、という話だ。
この話は割と合っていると思う。
事実、私は何の罪悪感も持っていない。
もっとも、私の場合はビニール傘ではなく、黒い傘だ。
「いたぞー!」
後ろから野太い声が聞こえた。
振り返ってみると、二十人ほどの警官がいた。
(どうしたんだろう)
あんな大勢……こんな時間に殺人事件でもあったのかな。
「捕まえろー!」
呆気にとられていると、周りを取り囲まれてしまった。
しかも、警官たちは皆、銃を構えている。
「え、ええ? 私ですか?」
私が一体何をしたって言うんだ。
もしかして傘を盗んだことを咎めているのか? いや、しかし……ここまでする必要はないだろうに。
あるいは、極悪な犯罪者と間違われているのだろうか。
「そうだ、お前だ!」
一人の、大柄な警官が叫んだ。
いやいや、私であることは現在の状況を見れば分かる。
私は、これだけ厳重にする必要があるのか、と言いたいのだ。
「すみません、私が何かしたでしょうか?」
「何だと……とぼけるつもりか!」
「いえいえ、私は、えっと」
横目で警官たちを見る。
やはり、異常だ。
「お前はA級の犯罪を犯した。よって、即刻死刑となる」
「はい!?」
「銃殺の許可も降りている。お前が望むなら絞殺でも良いぞ」
この人は何を言っているんだ。
頭がおかしいのか?
「そんなの横暴ですよ。私はただ……その、傘を盗んだだけで」
「それだ! やはり、お前はA級犯罪者じゃないか!」
「何を言ってるんですか! たかが傘じゃないですか! 窃盗が悪いってんなら謝りますよ。そもそも死刑はやりすぎでしょう!」
「反省すらしないのか……」
警官は発砲許可を出そうとする。
私はそれを察して、思いっきり走り出した。
周りを取り囲む警官たちの間を抜けて、なんとか脱出する。
瞬間。
うるさい発砲音と同時に、肩に酷い痛みを感じた。
「うぐうぅぅ!」
撃たれた。
奴ら、本当に撃ちやがった。
信じられない、傷害罪だぞ……交番に駆け込んでやる。
そう思って、痛みに耐えながら走ったが、あることに気付く。
(奴らが警察だ!)
頭がこんがらかる。
どうしてこんな事態になった?
あのとき飲み会に行かなければ。
あのとき早く家に帰っておけば。
尻。
左足。
背中。
次々と痛みが発生する。
痛い痛い痛い痛い、痛い!
もう止めてくれ……死んでしまう。
足が縺れる。
血を流しすぎたせいか、痛みのせいか、視界が定まらなくなってきた。
(もうダメだ……)
ぼやけた視界は、最後に車をとらえた。
無人で走行している車を。
(そうか、これは夢だったんだ。起きたら会社だな)
……
「こんだけ掃除すりゃ、不潔罪には問われないっしょ」
ここは、ある公園の近くに存在するコンビニ。
「あのおっさん、馬鹿だなー。傘を盗むなんて」
青年は呟く。
「ん? あーあ、おっさんめ。中途半端に本を片付けて行きやがったな」
青年は雑誌コーナーに近づき、一冊の雑誌を手に取る。
「ついでに新刊情報っと……次は2024年3月4日か」
青年は満足そうに雑誌を閉じた。
何年とか登場しましたが、未来の世界というよりも、パラレルワールドです。
雷にうたれて、パラレルワールドに転移した主人公のお話でした。