プロローグ
よろしくお願いします。
プロローグ、別に読まなくても大丈夫だと思います。
人は一生のうちに何度の幸福や悲しみを得るだろう。
例えば、愛。
人は愛の育みに幸福を感じ、愛の終わりに悲しみを感じる。
限られた一生の中で、様々な経験をし、成長し、子孫を残す。
人に限った話というわけでもないだろう。
人ほどの高い知能を持たない動物が愛の育みに幸福を感じるかはわからないが、一生の中で様々な経験をし、成長し、子孫を残す。
そこに幸福や悲しみがなくとも、本能的にそうするのだ。
「はぁ……」
今まで生きてきた中で、何度目になるかわからない溜め息を、老人は吐く。
生きてきた。と形容していいのかもわからない。老人は、その様な概念から外れる者として、存在しているのだから。
その老人は、退屈だった。
漢字にすればたった二文字で片付くその言葉が、老人を悩ませた。
退屈そうに溜め息を吐いたものの、老人の視線は目の前の物体から外れない。
目の前には、老人の何十倍もの直径があるのだろう巨大な球体があった。
その球体は、一つの世界の終焉を映していた。
異形の魔物に蹂躙され、逃げ惑う人々。
世界中の火山は大噴火を起こし、海が割れ地が燃える。
絶望。
そう呼ぶにふさわしい光景だった。
あろうことか溜め息の主、老人は、そんな絶望を目の当たりにして退屈を吐き出したのだった。
「神よ、ここ二千年の間で四百回目の溜め息にございます」
「うるさいルシフェル。放っておけ」
背後から掛けられた声に、言い返すと共に振り返る。
長身痩躯の、金髪の男がそこにいた。
一見しただけでは、男装の麗人に見間違えてしまうかもしれない、容姿の整った男だ。
神と呼ばれた老人は、ルシフェルと呼んだ男の小言に不機嫌そうに眉を下げた。
「神よ、私の名前はミカエルにございます。ルシフェルは双子の兄であります故……」
「そうであったか。天使の名前はややこしいからのう。年のせいか間違えてしもうたわい」
そう言って、実に愉快そうに神は笑った。
笑い声を上げ、手を叩き、まるで酒に酔った人のように笑ってみせた。
「兄、ルシフェルは二億年前に神自らがどこかの世界に落としたではありませぬか」
ミカエルが無表情のまま言うと、それを受けた神はこれまた楽しそうに。
「そうであったそうであった。神であるワシに牙を剥いた罰として下界に落としたんじゃったわい」
二億年前、当時天使長であったルシフェルという天使が、神に不満を抱き反乱を起こした。
その反乱の被害は天界だけに治まらず、いくつかの世界をその影響で消滅させてしまった程のものだった。
あの反乱は楽しかった。
数多の創造した世界を観察して退屈を紛らわすだけだった神の日常に降り注いだ、魅力的なスパイスのようだった。
神に歯向かうという重罪を犯したルシフェルを、殺さずに何処かの世界に落としたのも一種の褒美のようなものだ。
楽しいことを思い出した反動なのか、退屈という感情をより一層強く感じるようになってしまった。
「はぁ……」
そのせいか、無意識的に溜め息が出る。
「神よ。どうなされたのですか」
「気にするでない。お主には一生分からぬことよ」
神。
絶対的な存在であるが故の退屈。
生と死という概念から外れた存在であるが故の虚無感。
一つの世界の文明が滅び、また新たな文明が生まれる。
数えきれない程の数の世界は、世界の内容こそ多少違えど、それをただひたすらに繰り返す。
その光景を何度も何度も見ているだけ。たまに気が向けば新たな世界を創造してみるが、いずれその世界も同じことを繰り返すだけだ。
悠久の時をそうして過ごしてきた神は、退屈という感情から逃れられないでいた。
神は、世界を映す球体に目を向けた。
とある世界で、勇者と人々に呼ばれる人間が世界の危機を救ったところが映し出されていた。
こんな光景も何度見たことだろう。
世界の危機である何かが現われて、勇敢な者がその危機を退ける。
そうして、英雄が生まれて死んでいく。
時に、英雄がいなければ世界は一度滅び再生する。その繰り返しだ。
一時期は英雄と呼ばれるであろう者や既にそう呼ばれる者を観察するのが楽しみであったが、とうの昔に飽きてしまった。
「ミカエルよ」
「はっ」
「退屈じゃ」
「はっ」
ミカエルは呼びかけた時と同じように返事を返すだけで、その後何も言おうとはしなかった。
特に妙案があるわけでもないからそうしているのか、それとも何か考えているから黙っているのだろうか。
元より、神はミカエルから何か案が出てくるのを期待していたわけでもなかった。
球体に思念を送り、別の世界を映し出す。
今後英雄と呼ばれるであろう人間の青年が、最終決戦をしているところであった。
「神よ」
その世界をそのまま五年程度眺めていただろうか。
ミカエルが唐突に神に声を掛けた。
その間に、青年は悪しき魔物を討ち果たし、世界を救い、英雄として称えられ、意中の相手と結ばれて子供が生まれた。
一つの世界の一人の人間の幸福を見た神は、思い出したように退屈を感じた。
そこに丁度、ミカエルから声が掛かったのだ。
退屈しのぎになるかと、神が少し上機嫌で返事を返すと、ミカエルは相変わらずの無表情で続けた。
「神は英雄と呼ばれる者達が好きなご様子」
「確かに好きだ。だがその者達を見続けるのも、随分昔に飽きてしまった」
数多の世界で様々な形の英雄を見た。
世界を救って英雄になる者、己を高め続けることで気付いたらそう呼ばれていた者、きっかけも様々で、形も様々だった。
人々をどこか惹きつけるその者達に、神も惹かれた。
英雄達を観察しているのに夢中だった時期に比べたら、先の天界内での反乱は神の退屈を紛らわす程度のものでしかない。
あの時は、退屈という感情とは無縁であった。
ふとそう思った神は、その時期をどこか懐かしく思うと共に、寂しさを少し覚えたのだった。
「英雄を眺めることに飽きてしまったのですか」
「そうだ」
「ならば、何故新たな世界を創造なされないのです」
神はミカエルの言っていることがわからなかった。
英雄に飽きたから世界を作る。
そこに行きつく理由も意味不明であるし、新たな世界を創造しても結局はまた同じことの繰り返しになるだけだ。
突然目の前の天使、ミカエルが言った言葉の意味を神はその場で二十年間も考えてみたが答えは出なかった。
球体には、先程の青年の息子が父の意志を継いで新たな世界の脅威に立ち向かっている光景が映っていた。
「ミカエル。お主の言っている意味がわからん」
一つの世界の英雄が世代交代をするほどの年月を考え、神の口から出たのは疑問だった。
神と天使からすれば、二十年はほんの一瞬の一時であるが、ミカエルは無表情のまま何も言わずに、二十年間神の言葉を待ち続けていた。
そして、予想通りの神の言葉に少しだけ口角をあげて笑ってみせた。
神は驚いた。
ミカエルのトレードマークとも天界では認識されているであろう無表情が崩れたからだ。
二億年前、兄が起こした内乱の時ですら崩さなかったその表情が崩れたのを見たのは、はじめてかもしれない。
思わず、吊られて神も笑ってしまう。
きっとミカエルは思わず笑ってしまう名案を思い付いたに違いない。
神は笑みを浮かべたまま、ミカエルを見つめミカエルの言葉を待った。
「今まで神は様々な世界を創造されました。数もそうですが、世界の特徴のことです」
創造した世界で生まれた生物が神である自分にも考えつかないような発明や発見、文明を持つことは度々ある。
神は天界からそれらの事柄で気にいったものがあれば、それに特化した世界を創造した。
そうして、数多の世界を創造する中で、世界一つ一つに特徴を持たせるようにしたのだ。
「科学、魔法、人種、上げだしたらキリのないくらい様々な特徴の世界をお作りになられた」
首を振ることで肯定する。
やがてそれも頭打ちになり、似たような特徴の世界が幾つも存在することは珍しいことではなくなったりもしたが。
「ならば何故、神は英雄の世界をお作りになられないのでしょう」
開いた口が塞がらないとはまさにこのことであろうか。
退屈しのぎと片づけてしまうには勿体ない名案が、ミカエルの口から出たのだ。
「あ、ああ……なぜ今まで考えつかなかった」
目から鱗。そんな諺が何処かの世界にあったのを思い出した。
英雄の世界。
何故今まで作らなかったのか。自問自答をしていれば新たな疑問が湧き出た。
「しかしミカエルよ」
「はっ」
いつの間にかミカエルがまた元の無表情に戻っていることが気になったが、続けることにした。
「英雄とはわしが意識して生み出すものではない。勝手に産まれるものじゃ。どのような世界でもな。英雄の世界とはどういうことか?」
問うと、ミカエルはまた少し笑った。
珍しいことが続くものだ。と神は一瞬そんなことを考えた。
「仰る通りでございます」
「ならば」
「世界の呼び名を、集合世界とします」
言って、ミカエルは笑みをさらに深くする。
一枚の名画のような、そんな笑顔。
「数多の世界に存在する英雄を集めた世界、集合世界をお作りになられればよいのです」
対して、神は言葉を返さない。
暫く呆けていたかと思えば、突然高らかに笑い声をあげた。
そしてそのまま、人の一生が終わる程の年月を笑い続けた。
こうして、神は集合世界を作った。




