ウォーターメロン
コレは短編のヲーターメロンの続きです。
ヲーターメロンを読んでから
読まれると宜しいかと思います
午後の6時に祖母が死んだ。
病院の先生はご臨終ですといった。
祖母の遺体は一旦病院で預かってもらい
その後この家に来るそうだ。
祖母の出すスイカを縁側で食べた夏。
祖母はいつも輝いていてキラキラしていた。
祖母がなくなった今、私はやっぱり縁側で昨日畑から取ってきた
祖母が育てたスイカを食べた。
涙でよく味なんて良く分からなかった。
母はまたスイカたべてんの?
そう私に声をかけた。
私は嗚咽で声が出なかった。
鼻水と涙のダブルパンチの顔でスイカをむさぼって、
母の問いかけにただ子供のようにうなずくだけだった。
私が会社を辞めた日から祖母と暮らして3年。
祖母の住む町で私は仕事を見つけ、祖母と一緒に畑やら花壇をいじくった。
夏が来る前に祖母はいつも畑の真ん中にスイカの苗を植えた。
スイカがなるとスイカが傷まないようにスイカの下に藁をひいた。
夏が来るとスイカを祖母は取ってきて、冷やしては私にスイカを出してきた。
土日祝日。会社がない日は私は祖母と縁側でスイカを食べた。
夕方、縁側から見える花壇のアジサイ達のような空の下
祖母と外を散歩した。
地域のお祭りも一緒に行った。
いいお孫さんですねと言ってもらえるのがこの歳ながらうれしい私が居た。
線香花火を一緒にやった。
私が会社から帰ってきて、ストッキングやカバンを投げたままにしておいて
祖母は良く世話を焼いた。
喧嘩にもなったけど、祖母は縁側に座っている私に夏はスイカを差し出してきた。
さすがに夏にスイカは飽きたけど、
私の好物だと思っている祖母が仲直りのために出してくるスイカを
私は仲直りするために食べた。
スイカの事を祖母はヲーターメロンと言った。
3年前、祖母の家で暮らそうと決めて私がこの家に来た日
祖母がうれしそうに、スイカってヲーターメロンって言うんだってと説明した。
その日から祖母はエプロンのポケットに
ウォーターメロンと書いたメモを入れていた。
いつもスイカといわないように、スイカを見てはヲーターメロンと言ってた。
今年の夏前に祖母は苗を植えて、6月に倒れしまった。
6月初頭に祖母はよく私にご飯を出しながらこういった。
「おばあちゃんね最近ご飯が食べれないのよ〜変ね?」
それから少しして祖母が
「最近寝付けないし、おなかが減らないのよねぇでも元気なのよ〜若返ったのかしら?」
と私に元気に話していた
それからさらに少しして、おなかが痛いと言って祖母がうずくまってしまい。
私は救急車を呼んだ。
私の心臓は変にバクバク音を立てた。
それから病院からは、すい臓がんだと言われた。
すい臓ガンはなかなか見つけにくいため、健康診断でも見逃していたのだろうと
先生に説明を受けた。
よくて3ヶ月そう私は言われた。
私は上手く理解できなかった。
3ヶ月、、、、。
私は1人で縁側で何をするんだろう。
とても悲しくなった。
それから祖母はホスピス科、要は末期患者のための病院に入った。
祖母にはホスピス科に入る前に、要するに検査した後に結果を告知した。
祖母は少し落ち込んだ後に
「注射とかおばあちゃん嫌いなのよ〜。だから普通の病院じゃなくて。
そういう病院ないかしらね?千夏ちゃんも仕事があるでしょ?
だからあくまでおばあちゃん病院の方がいいと思うのよ」
そう笑った。祖母の笑顔少しくすんだ様だった。
ホスピス科に入ってから祖母の腹痛は納まったようだ。
私は病院からクスリの説明を受けた。
痛みをなくすためのクスリだそうだ。
祖母は隣の病室の人と仲良くなったらしい。
病室に私が行けばおしゃべりしていた。
私はなんとなくわからないけど、このままの毎日が続く気がしていた。
でも蝕む物は確実だった。
小さく切ったスイカと私用の大きいスイカを病室でコソコソ祖母と食べた。
小さい角切りブロック2つ。祖母が食べれたスイカだった。
少し薬の作用なのかむくれた顔の祖母の顔は
やつれたけれどもキラキラを失ったりしていなかった。
母にも電話した。母には重い話だったようだ。
母も祖母と仲のいい親子だ。
母に祖母の病名と残った時間を告げた後の長い沈黙に耐えられず、
私は母が何かを言う前に電話を切った。
縁側で1人泣く私が居た。
夕暮れのそれはひどくキレイで、アジサイがそれに答えるくらい綺麗だった。
入院して2ヶ月、モルヒネという痛み止めのせいなのか
祖母は痴呆症のようになった。
病院の事を私の家と言い出すようになったけど、私はその姿も別に気に成らなかった。
ある日祖母が病室の前に立っていた。私を見つけると手を振って喋りかけてきた。
「もう暑いわね〜千夏ちゃん。ヲーターメロン好きでしょ?
でもおかしいのよ。私の家なのに畑がないのよ?
千夏ちゃんに出そうと思って畑に植えたヲーターメロン。どうなったのかしら。
いつの間にかウチが大きくなっちゃったみたいでね。世の中変な事があるのねぇ」
祖母は真剣に私に話した。
私は耐えられなくて、走ってトイレに駆け込んで大泣きした。
私はまだ24歳だ。なのにこんなにも色んな事が駆け抜けていく。
私はあの家で祖母と暮らしたいんだ!!そう思った。
こんなにも強く思った事はない。
でも、祖母を介護する時間も、そんな経験も何にも私にはなくて。
そう思うと自分の力のなさに呆然とした。
祖母はそれを知っていて病院に残った事もわかった。
そして私のためにまだヲーターメロンを出そうとする祖母が大好きだ。
それからスグに祖母は寝たっきりになった。
床ずれが出来たのを祖母の体を拭いていた私が見つけ、看護婦さんに手当てしてもらった。
母が祖母の家に泊まるようになって、私と母で祖母の様子を見るようになった。
最後の1週間母と私は交代で祖母の部屋に泊まらせてもらった。
午後6時、祖母は息を大きく吸ってなくなった。
病院の先生達に、私と母は蘇生処置を取らないでくれと頼んだ。
そしてそのまま時計を見た先生が、時刻を継げ祖母はなくなった。
そして私は祖母の残したスイカを縁側で食べている。
母が祖母のエプロンを着て縁側に座った。
そして母がエプロンのポケットをもぞもぞした。
「このエプロンのポケットに紙が入ってるわ、ゴミかしらね?」
そういって母がボロボロになった紙切れを出した。
それは祖母が3年前ポケットにいつも入れていて、スイカの英語名を忘れると
ポケットから出して思い出していた
ウォーターメロンを書いたメモだ!。
「お母さんそれ頂戴!」
そう言って私はそれを母から受け取った。
もうボロボロのメモを私は開いた。
「千夏ちゃんの好きな
ウォーターメロン」
読んでくださってありがとうございます。^^
誤字脱字もあったかと思いますが汗そこの所は見なかったことにしてあげてください汗
7/20後書き追加。
このガンの闘病部分は
私の祖母の私が覚えている範囲を参考に書かせていただきました。
ただフィクションです
なので当たり前ですが私は24じゃないです。
最後のメモですが
私の場合は日記でした。
多分なくなった人の生前のメッセージっ言うのは
しっかり残っている。
そう私は思います。




