18歳 高校生 男
ずっとずっと好きだった。幼い頃から、ずっと。
自分でも辟易する意志の強さ――これは執着と言葉を置き換えてもいいかもしれない。とにかくも、持って生まれた気質が災いして、俺は五歳の時からお向かいのおねーさんに一途な想いを捧げている。
思い立ったが吉日の土曜日。
毎朝玄関から出て行く姿を、こっそり窓から覗いてはいた。こうして直球の目的で訪ねていくのは何年ぶりか。
「おはよー、どしたのわざわざ。ていうか久しぶり、大きくなったね」
一応午前中と言われる時間帯、目の前の女はルームウェアのままで、しかも明らかに寝起きの顔で玄関先に現れた。くそ、先輩後輩同級、果ては校外でもこれより上等で可愛い女子によりどりみどり状態で告白されてきたというのに。絶対俺のこと男として意識してないだろう。
こういう相手には、先手必勝。
「ご無沙汰。俺さ、京都の大学受かった」
「へぇ、もう大学生?」
へぇー、とおねーさんは目を丸くして俺をしげしげと眺めている。近所のおばさんを相手にしている気分になる。
本当に、どうしてこんなのに俺は――と漏れ出そうになるため息は、なんとか心中だけに留めておいた。
「それでわざわざ報告に? あ、もしかして私の方じゃなくて母親? 今日は夕方まで戻らな」
「違う。おばさんの方じゃない」
強く目を見据えて遮ると、おねーさんは「わたし?」と戸惑ったように呟き、ぽりぽり頭を掻いた。
長い間挨拶程度しか交わしていない、八つ下の男に用があると出向かれ、どう反応していいのか分からないのだろう。
あー、と言葉を探すように彼女は口を開いた。
「京都の大学ってどこいくの?」
「国内二位って言われてる国立大学」
はぁ!? とおねーさんは気合いの入った声をあげた。
「あんたそんな頭よかったの、凄いじゃん!」
「それでね、俺、卒業後は外資系の企業に入るつもり」
「つもりって決定!?」
えらっそうにと顔をしかめ、しかし八つ年上の女は次の瞬間感心したように頷いた。
「入れるんじゃない? 学歴で弾かれることはまずないだろうし、努力すれば」
「努力はする。机上の理論はもちろん、大学の外で学べることも、貪欲に吸収していきたい」
「うん、頑張れ若人よ」
笑い含みにおばさんくさい台詞を吐かれ少々ムッとする。それよりも次に言うべき言葉に心を構えた。
「だからさ、合格祝い欲しいと思って」
「は?」
図々しい要求を突きつけられ、一瞬考えたようだ。おねーさんは年上の余裕を見せたいのだろう、次の間には鷹揚に笑っていた。
「まあいっか。ご近所さんのよしみね、奮発してあげよう」
――なんでもおねだりしてみなさい。
例え意図しない状況になろうとも、人間は自分の言動に縛られる。おねーさんは俺が内心で性悪な笑みを浮かべているのを知らない。年下の子供が図体もデカくなり、いつの間にか思春期を過ぎた男へと成長していることに気付かない。
「ところで、最近彼氏と別れたって?」
「な、なんでそれを!?」
あなどるなかれ母親同士のネットワーク。付き合いの希薄な時代であろうと、隣近所の事情は筒抜けだ。
突然会話の矛先を変えられ動揺していたようだが、さすがは年の功、おねーさんはすぐさま体勢を立て直した。
「それが何、もう終わったことだし。今、どうでもいいことでしょ」
「俺、将来性あると思わない?」
「はあ?」
さらに話の方向性を明後日に飛ばされ、おねーさんは素っ頓狂な声を出した。
それでも直後には「あ、まあ一流大学に入るってとこだけ見てもそう言えるんじゃない?」と付き合ってくれる。ああやっぱ良い、この人。
「俺だったら、従姉妹になんか目もくれないよ」
「……何言ってんの、あんた」
「子供の頃から十三年間ずっと好きだった。今も。他によそ見したこともない。合格祝いが欲しい、俺を見てよ」
年上の女は眉間に皺を作り、目を硬く瞑って口から長々と息を吐き出した。
「馬鹿なこと言ってないで――」
「そっちこそ馬鹿にするな。俺は本気だ、疑うなんて許さない」
おねーさんは億劫そうに目を開けて、それから見返してくる視線が案外鋭かったためだろう、呆れたような雰囲気を打ち消し、口調を改めた。
「大学入ったら今までよりずっと世界が広がるよ。自分が見ていた範囲がどれだけ狭かったか実感する。卒業して、社会に出たらなおさら。今の気持ちも、私のこともすぐに思い出せないくらいになるって」
「ちょっと歳が離れてるからって、俺の十三年を軽く見るな。すぐに忘れるようなら、始めから告りにきたりしない。大体、どうして受験したのが国内NO.1じゃなくてNO.2の大学だと思ってる?」
怪訝そうに眉根を寄せるおねーさんに向けて、笑顔を一発。
「そっちの方がここから近いから。今は頼りないけど、数年後を見てよ。誰にも文句言わせない、経済力もつけてみせる。だからさ、俺の将来買って」
なにその自信、とおねーさんは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
「……私、あんた待ってたら三十過ぎるんだけど」
「うん、それでも必ず迎えにくる」
「大学入ったら私より可愛い子いっぱいいる。卒業したらそれこそ頭もよくて仕事も出来る綺麗なおねーさま方がうようよしてる。あんたはきっと、若くて才色兼備な同僚たちからも目を付けられる」
「うん、でも好きになったのは顔とか歳とかじゃないから」
そう言うと、おねーさんは複雑そうな表情をした。ごめん、俺正直だから。
気にせず続ける。
「おまけに在学中は色んなことをとにかく吸収するつもりだから、中々会えないと思う。外資系は寝る暇もないくらいって聞くから、卒業したらしたでやっぱり会える時間は少なくなると思う」
「……私これ、ほんとに告白されてる?」
「でも、浮気しないで待っててほしい」
おねーさんは疑り深そうに訊いてくる。
「そっちが心変わりしないって保証は?」
それには自信を持って答えられる。
「大丈夫、十三年間変わらなかったから。これからも変わらないよ、俺の意志はダイヤモンド並に硬いからね」
そうだよ、俺は外見もいい部類に入るし、自分でもうんざりするくらいこれと決めたものには執着する。意志も曲げないから、一生あなたのことを想い続けるよ、安心して。こんなお買い得な男は滅多にいない。年の差なんて問題外。
だからおねーさん、あなたを俺に頂戴。年上の包容力を活かして、弱ってる時は支えてほしい。お返しに俺も全力で守るから。そうして二人で、いずれ家族を増やして、ずっと幸せでいよう。
その後、往生際悪くうだうだ言っている年上女をやりこめ、とりあえずの卒業祝いをもらうことに成功した。首尾よく家には誰もいないらしいから。
一生一人の、しかも最愛の女しか知らないなんて、最高の人生じゃないのか。