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鐘楼守の石

 古い町には、大抵鐘楼というものがある。

 鐘楼は高い塔の上に鐘を備えたものだ。この鐘で様々なことを報せて来たものである。敵の襲来であったり、行事であったり、単に時間を報せるものでもあった。

 鐘があるということは、もちろんそれを鳴らす者が居るということだ。つまるところ鐘楼守という役目を持った者が、この高くそびえる塔で寝起きし、役目を果たしてきた。

 鐘楼が出来てから数百年というもの、その役目はある血族が担っている。

 役目は何時しか、業とさえ言えるものになって、血族を手放そうとはしなかった。彼らは鐘楼がある限り、その業を背負っていかなければならない。

 長い血族の歴史の中で、幾らかの者は町を離れようとした。

 だが、彼らは街の事をあまりにも知り過ぎてしまっていた。もし、彼らがこの豊かな街に下心を持つ何者かに捕まるか、或いは与するとすれば。そこに、一人の人間が自由に生きて行こうとする志への理解は一摘みもなく、鐘楼守が忠告、脅迫に屈しなければ、街の外に出たところで、盗賊の仕業に見せかけるように、酷く残酷な方法で殺された。

 不思議な事に、殺された鐘楼守たちの石は、とても美しいものになった。彼らが街を見守る間、彼らの石は燦々と太陽によって磨きあげられていたのである。滑らかな楕円をしたその石は透き通った内面に幾つもの層を張り巡らせ、光の入る加減によって、そこに遠く閉じ込められた光の記憶、過ぎ去った風景が現れた。人はそこに、失われてしまったあまりにも多くの物を求めた。若くして死んだ母の背中でも残ってはいないか、戦争に行ったきり帰ってこない息子の笑顔でも閉じ込められてはいないか、今や遠い所に嫁いで行った、初恋の花屋の娘の、あの少し荒れた細く赤い指先でも留まっていないかと。

 しかし、彼らはその石が決まって見せる恐ろしい光景を目の当たりにすることになる。街の塀の外、夕暮れか朝焼けの穏やかな明かりの中、見知った顔に弄り殺されて行く姿。

 彼らは、自分たちが凡そ鐘楼守について何も知りはしなかったことを思い知った。鐘楼守は街をずっと見守り続けていたが、しかし街の人々は、彼を見ることも、また考えることもなかった。ただ漠然と気味悪がっていた。街を見下ろす不気味な目。しかしその目が見せる閉じ込められた光の記憶は、とても懐かしく、また温かく感じられたのだ。

 そこには若くして死んだ母の、まだ調子の良かった頃の姿がある。未だ帰らない息子の悪戯する姿がある。花屋の娘が不思議な、とても大きな花弁をした褐色の南国花を世話する姿がある。そうしてその傍ら、或いはそれを見つめていた視線の元には、過ぎ去った自分の姿が閉じ込められていた。彼らは確かにそこにあったのだが、しかし今や片方はそこに変わらず居て、もう片方は居ないのである。そうしてそれを見守っていた石の主も、このような楕円の美しい不思議な、鉱石ともつかないものに変わってしまった。


「そういうわけで、今なら格安、たったこんだけ」

 前歯も奥歯もあらかた抜けつくしたらしい行商の男が、ぎこちなく右手の人指し指と親指で値段を示した。大量に石の入った籐の籠の中から、掴みどりで不思議な石を見つけろと言うのだ。

「やるよ」

「よしきた、初乗り半値、いやタダだ」

 行商の男はそうして汚らしく、もう歯なんか噛み合っていない顔で大きく微笑んでみせた。歯というか歯茎を合わせると当たり前に皮膚が余り、それが弛んでなんともひどく締りのない顔となって、とても信用は出来なさそうでさえあった。しかし、ハンタはタダであるし損はしないだろうと、籐の籠に手を突っ込んだ。

 十幾つ掴んで、それを引き揚げる。しかし、どれも表面の滑らからしい小石達は、次々に僅かな掌中の隙間を滑りぬけて行った。結局残ったのはたった一つだけである。ハンタは不満だった。

「はい当たり。お次はどいつだ、さあこいガキども童ども」

 行商の男が畳みかけると、居並んでいた子供たちは我先にと籐の籠に手を突っ込み、小石を掴み取って行った。

「おいこらくそども金払え、足りなきゃツケだぞ容赦せんぞ」

 行商の勢いに、泣きだす子供もいたが、それでも殆どは金を払わず石だけもって蜘蛛の子を散らすように駆けて行った。ハンタはなんとなく、こいつはただの行商ではないと感じた。

「はあ。全く一寸も上手く行きやがらねえ。商売終いだ。ガキ相手はひもじい」

 そう落ち込む行商に、ハンタは自分の掴み取った小石を示した。

「風景が移り変わるってのは嘘だな」

 ハンタの小石には、彫刻の様に一人の娘だけが写り込んでいた。いくら角度を変えても、それは全く変わらず、一人の、線の細い、恐らく若いだろう娘の後ろ姿だ。

「だから言ったろ、そいつは当たりよ、唯一無二の、全くタダの当たりよ」

「これが?」

 行商は籐の籠に残った小石の勘定を始めつつ、続ける。

「そいつは鐘楼守の石だ。本物入れなきゃあ商売の神さんが怒るって、おら師匠から聞いた。だからそいつ一個だけ入れたわけよ。

 いいか、そりゃあ、想い人の石だ。その鐘楼守は、街なんか見守らんで、その娘ばっか見てたのよ、それで、まあ、見とれてるうちに鐘楼からまっさかさまに落っこちて死んだらしいわ」

「殺されたんじゃないのか」

 ハンタの疑いに、行商は臭い息を撒き散らしながら高く笑った。

「娘っ子が振り向いて、まあえらい醜かったんかもな」


 籐の籠を背負って去っていく行商を見送りながら、ハンタはもう一度その石を見つめた。そうしてこの娘の顔を見てみたいと思った。不思議と美しいと思えて仕方無かったのだ。

 ハンタは歩きながら、長い間その石を見詰めていた。掌中に軽く収まる、どんぐりくらいの小さな石だ。黄褐色の滑らかな姿形をしていて、そこに娘の後ろ姿が、透き通る石の中央で像を結んで浮かんでいる。ハンタは街の階段に腰を下ろし、石をあらゆる角度から見つめた。そうして気づけば日は低く輝きを増し、宿を決めなければなるまいと立ち上がった。そこへ、夕日の日差しが差し込み、激しく石を射した。

 強い煌めきに目を細めつつ、ハンタは石を見た。そこに顔がある。娘の振り向いた、純朴な顔がある。像は移り変わり、その瞳へ近づく。そこには、娘を見続けた男の姿があった。しかし、やがて男は手を振り、そうして鐘楼からまっさかさまに落下した。

 それは一瞬だった。夕日が僅かに高度を下げると、もうどうやっても石の像が動く事は無かった。


         終

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