離縁、大歓迎です
目の前に差し出された離縁状を見て、わたくしはやっとか、と心の奥深くで喜びの雄たけびをあげた。
「すまない、レイナ。私と離縁してほしい」
「……理由をお伺いしても?」
「……」
「旦那様。理由もなしに離縁を申し出られるのは、さすがにいささか暴力的では?」
「……トーチカと再婚したいんだ」
それは彼の大事な大事な義妹の名前。
先妻である奥様が病気で亡くなられたあと、エネマイド伯爵家に後妻として嫁いできた子爵家令嬢。
その女性の連れ子が、トーチカ様だ。
確か今は十八歳、だったかしら。
「まあ、トーチカ様ですか」
わざと驚いたように言うと、目の前の今はまだわたくしの夫である男は、膝の上でぎゅう、と拳を握った。
「トーチカが妊娠した。私の子だ。責任を取らなくてはならない」
「……」
「一刻も早く責任を取れ、でなくば、伯爵家の家督は継がせないと父が」
「……」
「レイナ。君には申し訳ないと思っている。償いはできる限りする」
「……」
「本当にすまなかった」
「……旦那様。1つ伺っても?」
「なんだ?」
わたくしの沈黙の末の言葉に、少し緊張した様子で聞いてくる。
「トーチカ様を愛してらっしゃいますか?」
「え?」
「お答えください」
「……そうだな。愛している」
「わたくしという妻がありながら?」
「……。だから、申し訳ないと思っている。君が私がいないとダメな女であることは私も良く分かっている。だが、それでも……トーチカを私は幸せにしたい」
「そうですか」
「……レイナ?」
「それでは、それでよろしいのではありませんか?」
「え?」
「旦那様はトーチカ様を愛していらっしゃるのでしょう?そのうえ、お子様までできた。でしたら、わたくしがあなた方の邪魔をする理由などございませんもの」
「……君は、怒っていないのか?」
「なぜ怒る必要が?」
「……」
むしろ大喜びですが?
今すぐ庭に駆けだしたいのを我慢してますが?
「では旦那様。旦那様の瑕疵で離縁するのであれば、わたくしへの慰謝料はもちろんございますわね?」
「ああ、もちろんだ。レイナの言い分だけ払う」
「では、当座の生活費も含めて、金貨5000枚お願いします。それから」
「それから?」
「伯爵家が持っているターレン地域をわたくしに下さいませ。そしてわたくしをターレンの領主へ指名してください。もちろん定められた納税は致しますわ」
「ターレン地域?あそこには廃鉱山と村と小さな町以外何もないぞ?だから税も安いのだが……」
「ええ。離縁となれば、わたくしは王都にはもう住めませんもの。ご存じの通り、実家ももうございませんし。なので、田舎に引っ込んで一人でのんびりと生きていこうと思います。旦那様にいただく慰謝料で、当面のわたくしの生活には困りませんし、何年間かの納税はできますし。それに以前、ターレンに視察に行ったときに見た、あそこにある大きな湖がきれいで気に入ってましたの」
「……」
「わたくし、これでも案外頑丈ですのよ。それに確かあの地域には以前の領主邸が残っていたとの記録を拝見したことがございます。そこを直して暮らそうかと」
「それをいつから考えていた?」
「そうですね。旦那様がわたくしではなくトーチカ様を夜会にお連れするようになった辺りからでしょうか?」
「……!」
「わたくしは面倒な夜会に出ることなくのんびりできましたから良いのですが、お友達の皆様が聞いてもないのに色々と教えてくださるのですもの。これは近々離縁になるな、くらいの見当はつきましてよ?」
にっこりと笑って旦那様を見つめる。あら、顔面蒼白ですわね?
「わたくしとは円満離縁という形が旦那様のお望みでしょう?でしたら……どうするのが一番かは分かりますわよね?」
「……」
「わたくしは誰にも何も言いませんわ。わたくしの条件さえ飲んでいただけるのなら」
「……分かった」
「では、今の条件を証書として残していただきます。その上で離縁状を書きますわ」
旦那様は顔面蒼白のまま頷いた。
……勝った!!
わたくしは、レイナ。
レイナ・エマネイド。伯爵家の嫡男である旦那様の妻であり、いずれは伯爵夫人となるはずだった。
……まあもう伯爵夫人になる道は閉ざされたけど。
世間から見たら、わたくしは旦那様に捨てられた哀れな女でしょうね。
でも、わたくしはずっと待っていた、この時を。
正直に言うと、旦那様は全く好みではなかったが、結婚したからには妻として頑張ろうと思っていた時期がわたくしにもありました。
ええ、ありました。
しかし、その決意は新婚1日目で潰えました。
一日目の夕食前に旦那様が義妹であるトーチカ様の呼び出しに尻尾を振って駆け付けるのを見て、あ、こいつダメだ、と即座に心の中で切り捨てたのです。
そこからは切り替えました。
新婚家庭に帰ってこない旦那様のことは気にせず、伯爵家から任されている穀倉地帯の領地について日々勉強し、旦那様の代わりに領地経営を頑張ったのです。
それから3年。
領地経営はうまくいっており、エマネイド現伯爵様、つまり旦那様のお父上に納税書類を作って持っていけば、順調な領地経営を褒められ、息子とはうまくやっているかと問われたので毎回「ええ、それなりに」とお答えしておきました。
何せ旦那様は帰ってこない。
基本的に別邸でトーチカ様と過ごされているから。
これだけ露骨にやられたら、さすがに分かりますわ。
そして、夜会へはわたくしではなく、トーチカ様を連れていく。
理由として、わたくしの体調不良と社交界デビューしたばかりの義妹のエスコートを、ということで。
最初の頃はそれでもよかった。
しかし、次期伯爵夫人が毎回体調不良ということがあるのだろうかと囁かれ始め、わたくしを心配した(もとい野次馬根性の)学生時代の友人たちが夜会ではなくお茶会ならば大丈夫では?と誘ってくれたり、お見舞いに、と来てくれることもあった。
その都度、旦那様の所業をお知らせすると、皆様憤慨したり伯爵さまに訴えたほうが良いのでは?と言ってくれたけど、わたくしは領地経営に滞りがなく、夜会にも出ずに済むのならありがたい、と笑っていたらレイナらしい、と受け入れてもらえた。
「では、離縁状はこちらで」
わたくしのサインを入れた離縁状を旦那様に差し出す。わたくしの手元には、要求以上の慰謝料、金貨7000枚と(口止め料込みなのだろうと理解した)ターレンの領主着任書。
「旦那さま、長らくお世話になりました」
一応、最後の礼儀として頭を下げる。
「いや、私のほうこそ本当に世話になった。領地に関しての経営書を読ませてもらったよ。君がきちんと領地運営をしていてくれたんだとよくわかった、ありがとう」
「光栄ですわ。どうぞこれからはトーチカ様と領地経営を頑張ってくださいませ」
「ああ、そうしよう」
よし、これで全部終わり。
私は新天地へ行くのだ。
「それでは、馬車を待たせていますのでわたくしはターレンへ参ります。ごきげんよう」
わたくしの笑顔は多分この時が、結婚して離縁のこの日までで一番輝いていたと思う。
馬車で一か月ほどで、ターレンに着いた。
大きな湖のある静かな田舎だ。
そう、一度だけ視察に来た際に見たこの大きくて美しい湖が忘れられなかったの。
「わぁ……!」
陽光の光は反射する透明度の高い美しい湖の向こう側に小さな村が見える。
そして湖のこちら側には小さな町。
領主邸はこの町側にある。
そして町の向こうには今では廃鉱山となったいくつかの山がある。
「よし、まずは領主邸へ行こう」
待たせていた馬車に乗り込んで、町を抜けて、少し高台に作られていた領主邸へ着いた。
ターレンは、鉱山が閉まってからは領主を置かなくなり、税の徴収は隣の領地の代官が行っていた。
もっともターレンの税率は国内で一番低いので、私が何年か払ってその間は領民から税は徴収しないことにしようと思っている。
何せ、領地の住民全員併せても1000人に満たないのだ。そして若者はどんどん流出している。
ターレンに残っているのは働き手としては難しい住民たちばかりだ。
それでも私が領主になる以上、この土地を鉱山があった頃のようにそこそこは活気に満ちたものにできればいいと思っている。
その上で湖の傍でのんびり暮らすのだ。
領主邸は掃除はされていたので、暮らすに不便はなさそうだった。
「あなたがレイナ様ですか?」
玄関先でピシッと立って待っていたのは、執事服が似合うまだ若い少年だった。
「はい、レイナです。離縁したので、旧姓で失礼しますわ。レイナ・バーネットです」
「伺っております。この地に領主が着任するのは7年ぶりですので、領民はとても期待しております。申し遅れました。私はケットと申します。平民ですので姓はありません」
「そうなのですね。よろしく、ケット」
「はい、よろしくお願いいたします。私の亡くなった祖父が以前の領主様の元で執事をしておりまして、一通り仕込まれておりますので、お役に立てるかと思います」
うん、姿勢もいい。しっかりしている少年だわ。
「では、早速ですが、ケット」
「はい」
「執務室の準備をします。明日以降、わたくしの荷物が届きますので」
一緒に持ってきたのは最低限の荷物だけで、仕事や生活に必要なものは別便にしたのだ。
「かしこまりました」
二階の一番奥の扉を開けると風通しのいい執務室があった。
「窓を開けておきましたので、空気は湿ってはいないと思います」
「ええ、気持ちいいわ。ふぅん、ここからだと町がきれいに見渡せるのね」
「はい」
「ケット。わたくしは領民との間は風通しのいい関係でありたいの」
「と、申しますと?」
「常に領民にはこの領主邸への出入りの自由を許そうと思います」
「は?」
一瞬、ケットがポカンとした顔をする。
「そ、それは……いささか不用心では?」
「そうね。でもわたくしが皆さんを受け入れ期待しています、という顔を見せないと、7年ぶりに来た領主、しかも離縁された女なんて信用されないと思わない?」
「……」
「それにここは伯爵家の領地の中でも一番端っこでしょう?だからこそお互いの距離を詰めておきたいの」
「……なるほど。領主さまは、領民たちとの距離があるものにしたくないと」
「ええ。では、まず領民台帳を見せていただける?皆様の名前を覚えないと」
「……はい」
ケットがテーブルの上に1冊の台帳を置く。大して厚みはない。この領地の住民数の少なさが目に見えて分かる。
それを座ってパラパラとめくっていく。
わたくしは一度目に入ったものは忘れないという能力があり、領地経営にも非常に役立った。
穀倉地帯の毎年の収穫量もそれで数字にして記録も作ってきたのだ。
ここでもその力は発揮できるだろう。
台帳を一通り見て、住民の名前を覚えた。
「ケット。まずは町の町長と地区長のコメートさんとロックさんをこれから呼んできてもらえる?それから町の役所から村の村長のナジェックさんに明日以降にここに来てくれるように使いを出してもらえるかしら?」
「……かしこまりました」
「わたくしはお茶の用意をしているからよろしくね」
「お茶の用意なら戻り次第私が」
「いいのよ。最初のお客様をお迎えするんですもの。お茶はわたくしが用意するわ」
「かしこまりました。では私は町へ行ってまいります」
「よろしくね」
応接間に客を迎える用意をすると手持ち無沙汰になってしまった。
そう広い町ではないとはいえ、ケットが二人を呼んで帰ってくるまでにはもう少し時間がかかるだろう。
なので、わたくしは執務室の本棚にあった、鉱山で活気があった頃の前々領主の日記を手に取った。
そこにはターレンが賑やかだった頃のことが生き生きと書かれていて、ああ、とても良い領地だったのだなと分かった。
そして、最後に残された一言があった。
『この鉱山にはまだ採掘できる鉱脈がある』
何ですって?
いや、ここの鉱山は掘りつくしたと言う国の正式な調査が完了しているはずだ。
だからこそわたくしはここを己の終の棲家の地にしようと決めたのだから。
「……見なかったことにしよう」
鉱山がなくても、この地をそこそこは活性化させてわたくしののんびり生活を手に入れるのよ!
そのためのお金はブンどって、もとい、いただいてきたのだから!
そういえば。
旦那様とトーチカ様は無事にご結婚されたのかしら。
お子様ができたのですもの、さすがに伯爵様も反対されないのではないかしら。
わたくしという邪魔者ももう王都にはいないのですし。
今さらだけど、そういえば……旦那様だった方……お名前は何だったかしら?
終
ラストのオチが書きたかっただけです。




