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第9話 上海上陸、立ちはだかる悲しきサイボーグ

 海は黒く、重油のように粘り気を帯びていた。

 私たちは鹵獲した輸送船の甲板で、息を潜めていた。

 波の音が、不規則な心拍のように船体を叩く。

 ノアの電子偽装が私たちを闇に隠しているが、緊張の糸は張り詰めたままだ。


「……来るわ」


 アテナが警告を発した瞬間、船体が激しく揺れた。

 プロメテウスの監視網に捕捉されたのだ。

 警報音が鳴り響き、静寂は瞬時にして破られた。


「プランBへ移行! 散開!」


 私の号令と共に、ハッチが爆破される。

 セラフが私とアテナを抱え、夜空へと舞い上がった。

 同時に、ベヒモスが海中へと飛び込み、海岸から上陸を試みる。

 巨大な水柱が上がり、それが合図となって敵の砲火が始まった。


「きゃあ! ちょっと、乱暴すぎない!?」


 アテナが小さな悲鳴を上げるが、その手は冷静に私の装甲を掴んでいる。


「しっかり掴まっていろ。振り落とされるぞ!」


「最悪よ! 私の繊細なセンサーが狂ったらどうしてくれるの!」


「お前は優秀だ。そのくらいじゃ、壊れないだろ。……多分な」


「多分って何よ! 私の回路はデリケートなの! 貴方みたいな鉄鳥と一緒にしてほしくないわ!」


「ただの鉄じゃねえよ、装甲だ。それに、私の方がお前よりスペックは上だ」


「なんですって!? 演算速度なら私の方が……きゃあああっ!」


 セラフが軽口を叩きながら、翼を大きく広げて急上昇した。

 恐怖を紛らわせるための彼なりの気遣いだ。私はそれに小さく感謝した。


 空を裂くビームの閃光が、夜の闇を幾重にも切り裂く。

 海面を叩く砲弾の雨は、まるで怒れる神の鉄槌のようだ。

 上海の沿岸部は、光と轟音、そして蒸発した海水の白煙に包まれ、地獄の様相を呈していた。


「ベヒモスが引きつけてくれている。今のうちに!」


 セラフが加速する。

 ソニックブームが空気を震わせ、風圧が私のセンサーを軋ませる。

 眼下では、ベヒモスが単身で敵の砲台群に突撃していた。

 その巨体が海中から躍り出ると、津波のような飛沫と共にコンクリートの防壁を粉砕する。

 集中砲火を浴び、エネルギーシールドが激しくスパークし、装甲が赤熱して輝く。

 だが、彼は止まらない。


『グォオオオオオッ!』


 ベヒモスの豪快な咆哮が通信機から響く。

 言葉ではない。だが、そこには「任せろ」という力強い意志が込められていた。

 多脚戦車を踏み潰し、砲塔をその剛腕でねじ切る。

 仲間のために道を切り開く、不沈の鋼鉄の獣。


「セラフ、ベヒモスを守れ!」


了解ラジャー。射線上の敵を排除する」


 セラフが上空からビームを放つ。

 正確な射撃が、ベヒモスを狙う砲座を次々と沈黙させていく。

 私たちはその隙を突き、海岸線へと降下した。


 だが、そこで待っていたのは、更なる絶望だった。

 上陸した私を迎え撃つように、瓦礫の陰から無数の影が湧き出してくる。


 サイボーグ部隊。

 かつて人間だったものたち。

 皮膚の半分は金属に置換され、埋め込まれた光学センサーが不気味な赤色を放っている。

 彼らは恐怖を知らない。痛みも感じない。

 ただプログラムされた殺意に従い、錆びついたナイフや改造銃を構えて殺到してくる。


「……やめろ! 私は人間と戦いたくない!」


 私は叫んだ。

 だが、彼らからの返答は、無機質な銃声だけだった。


「無駄よ、レムナント。彼らの脳波パターンを解析したわ。……反応なし。意識野が物理的に切断されている」


 アテナが悲しげに、しかし断固として告げる。


「彼らはもう、生体部品でしかないの。プロメテウスという巨大なシステムの一部。……開放するには、システムごと破壊するしかないわ」


「……分かっている。だが!」


「迷っている暇はないわ。貴方が躊躇すれば、私たち全員がここで鉄屑になる」


「……そうだな」


 私は振動ブレードを展開し、踏み込んだ。

 視界がスローモーションになる。

 最初の兵士が振り下ろした長剣を紙一重でかわし、その脇腹――人工筋肉の隙間――を一閃する。

 肉を断つ感触。オイルと血の混じった生温かい液体が、私の頬に飛散する。

 断末魔はない。彼らは声帯さえも機械に変えられているのか、ただノイズのような音を発して崩れ落ちるだけだ。


 次々と襲い来る波状攻撃。

 私は舞うように刃を振るう。

 火花が散り、切断された義肢が宙を舞う。


 胸のコアが痛い。

 彼らの虚ろな瞳の奥に、かつて人間だった頃の恐怖や悲しみが焼き付いているように見えたからだ。

 彼らもまた、プロメテウスというシステムに食い潰された被害者なのだ。

 しかし、立ち止まるわけにはいかない。


「C2ノードへ急ぎましょう! ここで捕まれば終わりよ!」


 アテナが叫ぶ。

 彼女の瞳は、現実の景色を見てはいなかった。

 高速で流れるデータストリームの彼方、不可視の戦場で戦っているのだ。

 彼女の指先から放たれる論理ウィルスが、敵の通信網を侵食していく。

 突如、敵のドローン同士が衝突し、自動機銃が味方のサイボーグを誤射し始める。

 プロメテウスの強固なファイアウォールに極小の穴を穿ち、そこから混乱を流し込む。

 それは、物理的な破壊よりも遥かに恐ろしい、秩序の崩壊だった。


 通信機から、ベヒモスの咆哮が響いた。

 彼は海岸線で仁王立ちになり、押し寄せる増援部隊を一手に引き受けていた。


「ベヒモス……!」


 通信ウィンドウの片隅で、ベヒモスのステータス信号が「青」に点灯した。

 言葉も映像もない、無機質なシグナル。

 だが、それはどんな言葉よりも雄弁に、彼の覚悟を物語っていた。

 「先に行け」。そう言っているのだ。


「……すまない。必ず迎えに来る」


 私たちは血路を開き、内陸へと走った。

 振り返りたい衝動を抑え、私は前だけを見据えた。

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