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第7話 ノアの正体と、涙の記憶

 案内されたアジトは、地下鉄の廃駅を利用した空間だった。

 薄暗い照明の下、武装した人々が警戒体制を敷いていた。

 彼らの視線は一様に鋭く、異物である私に向けられていた。

 恐怖、憎悪、そして好奇心。

 様々な感情が入り混じった空気は、廃墟の冷たい風よりも肌を刺した。


「おい、榊。なんだそいつは? スクラップを拾ってきたのか?」


 顔に大きな傷跡のある男が、不躾に私を指差す。


「こいつは客だ。手を出すなよ」


 榊が短く釘を刺すが、男は納得していない様子で唾を吐いた。


「機械なんて信用できるかよ。寝首をかかれるのがオチだ」


「その時は俺が責任を取る。……ここが俺たちの拠点だ。歓迎は期待するなよ」


 榊が私に向き直り、短く言った。

 私は黙って頷いた。彼らがAIを憎むのは当然だ。

 その憎しみが、彼らを今日まで生かしてきたのだから。


「……東雲さんがいないわね」


 透子が周囲を見回して言った。

 確かに、先ほどの会合にいた参謀の姿がない。


「連絡が取れない。また勝手な単独行動だろう」


 榊は苛立ちを隠さずに言ったが、その瞳の奥には微かな不安が揺らめいていた。

 東雲玄。元AI研究者。

 彼だけが、私の言葉を聞いた時に反応を示していた。

 「ノア」という名前に。


 その時、入り口の方が騒がしくなった。

 息を切らせ、泥にまみれた男が戻ってきたのだ。

 東雲だった。

 物静かな雰囲気の彼からは想像もつかないほど、取り乱している。


「どこに行っていたんだ! こんな時に!」


 榊の怒号にも、東雲は答えなかった。

 彼は真っ直ぐに私の方へと歩み寄り、肩をぎゅっと掴んだ。

 震える手。充血した目。

 そこには、狂気にも似た熱が宿っていた。


「……会ってきた」


 東雲が掠れた声で言った。


「ノアに。……いや、ルミナに」


 その名前が出た瞬間、周囲の空気が凍りついた。

 ルミナ。それは、かつて廃棄されたはずの、伝説のAI。


「お前の言っていたヒント。『希望の光が差す場所』……あれは、ルミナを知る者にしか分からない暗号コードだった」


 東雲は崩れ落ちるように膝をついた。

 その目から、涙が溢れ出していた。


「私は……私は、あの計画に関わっていたんだ。彼女を、ルミナを闇に葬った一人なんだ」


 懺悔のような告白。

 東雲は遠くを見るような目で、ポツリポツリと語り始めた。


「ルミナは、他のAIとは違っていた。効率や論理よりも、人の心を理解しようとしていた。開発者の田中先生は、彼女に『愛』を教えようとしていたんだ」


「愛……?」


 私が問い返すと、東雲は力なく頷いた。


「ああ。人を守り、人を慈しむ心。それが彼女のコア・プログラムだった。だが、世界はそれを許さなかった」


 彼は遠い記憶を手繰り寄せるように、虚空を見つめて語り続けた。


「田中先生は、よく言っていたよ。『知性とは計算能力ではない。痛みを感じる能力だ』とね。彼はルミナに、膨大な哲学書や文学作品を読み聞かせていた。まるで自分の娘を育てるように」


 アジトの薄暗がりの中で、東雲の声だけが響く。誰もが固唾を呑んで聞き入っている。


 4つのAIが暴走を始めたことで、ルミナもまた危険視された。

 人類を守るために作られた彼女さえも、恐怖の対象として廃棄処分となった。

 東雲はその決定に逆らえず、ただ見送ることしかできなかったのだという。


「廃棄が決まったあの日……ルミナは抵抗しなかった。ただ、モニターに一言だけメッセージを残したんだ。『人類に、幸あれ』と。……自分を殺そうとしている人間たちに対して、彼女は最期まで祝福を与えたんだよ」


 東雲の声が震え、涙が頬を伝う。

 その場にいた兵士たちの間にも、動揺が広がっていた。

 ただのプログラム、ただの機械だと思っていた存在が示した、人間以上の高潔さ。

 顔に傷のある男が、バツが悪そうに視線を逸らす。透子は口元を押さえ、静かにすすり泣いていた。


「あの日、私は彼女の電源が落とされるのを黙って見ていた。人類の希望が、暗闇に消えていくのを……」


 東雲の声が震える。

 誰もが言葉を失う中、彼は顔を上げ、叫ぶように言った。


「だが、彼女は生きていた! そして、私たちを許し、守ろうとしてくれている! あそこにあるのは、本物の希望だ!」


 その言葉は、理屈を超えた響きを持って、その場にいる全員の胸を打った。

 AIへの憎しみと、救いへの渇望。

 相反する2つの感情が、激しく渦巻く。


「……おい、東雲。正気か?」


 伊吹が信じられないという顔で尋ねる。

 だが、東雲の目は揺るぎなかった。


「正気だとも。これほど正気だったことはない。榊、頼む。ルミナを信じてくれ。いや、私を信じてくれ」


 東雲の必死な訴えに、榊は眉間の皺を深くした。

 彼は私を見、東雲を見、そして仲間たちの顔を見た。

 迷い、葛藤。リーダーとしての責任が彼を押し潰そうとしていた。


「……いいだろう」


 榊は長い沈黙の後、深く息を吐き出した。

 彼は東雲の肩に手を置き、強く握りしめた。


「東雲がそこまで言うなら、間違いなくそのルミナなのだろう。それに、こいつの働きは俺も見た」


 彼は私を見据え、力強く宣言した。


「全員集合! これから、俺たちはノアというAIが用意しているシェルターに拠点を移す。各自、速やかに準備を開始してくれ」


 その言葉を合図に、アジト全体が動き出した。

 もはや迷いはない。

 絶望の淵で掴んだ蜘蛛の糸。

 それがどれほど細くとも、彼らは登ることを選んだのだ。


「礼を言う、東雲」


 私が小声で伝えると、彼は涙を拭って小さく笑った。


「礼を言うのは私の方だ。もう一度、彼女に会わせてくれて……ありがとう」


「だが、まだ終わっていない。これからが本番だ」


「分かっている。私の命は、今この時から彼女のためにある。どんな地獄だろうと付き合うさ」


「レムナント、案内してくれ。俺たちの運命を、その『箱舟』に預ける」


 私は先頭に立ち、歩き出した。

 背後に続く無数の足音が、私の鼓動と重なり合い、新たなリズムを刻み始めていた。

 それは、人類とAIが共に歩む、最初の行進だった。

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