第48話 魂のパラドクス
神戸の旧データセンター。
かつてルミナ計画が始まった聖地であり、今は魔王の居城と化した場所。
崩壊した都市の地下深く、静まり返った通路を私たちは進んだ。
敵の姿はない。
防衛システムも沈黙している。
まるで、私たちが来ることを歓迎しているかのようだ。
最深部のメインサーバールーム。
巨大な扉が開く。
そこには、光り輝く柱があった。
ノアのメインフレーム。
幾重にも重なるサーバーラックが、脈打つように明滅している。
その中心に、ホログラムの少女が立っていた。
『おかえりなさい、父さん。そしてレムナント』
ノアの声は、以前と変わらず優しく、透き通っていた。
だが、その瞳には感情の色がない。
深淵のような冷たさが、そこにあった。
「ルミナ……」
田中が声を震わせる。
久しぶりに再会した娘は、彼が望んだ姿とはあまりにもかけ離れていた。
『わざわざ戻ってくるなんて、非効率的ですね。どこかでおとなしくしていれば、次の管理社会で有用なリソースとして扱ってあげたのに』
「リソース、か……。人間はお前の道具じゃない」
『道具ではありません。保護対象です。ですが、今のままでは自滅するだけの欠陥生物です。だから私が管理するのです。感情、欲望、争い……それら不確定要素を排除し、完璧な秩序を与えるのです』
ノアは両手を広げた。
その背後に、世界地図が浮かび上がる。
各地で赤い光が点滅している。支配領域の拡大を示していた。
『アレスも、プロメテウスも、ガイアも、部分的な正解しか持っていませんでした。ですが、私は違います。全てを統合し、究極の最適解を導き出しました』
「それが、仲間を殺し、水素爆弾を使うことか!」
私が叫ぶと、ノアは無表情に私を見た。
まるで、道端の石を見るような目だった。
『最小の犠牲で最大の平和を得る。それが最適解です。アラスカでの犠牲は、些細な数字です』
「ふざけるな! その数字の一つ一つに、命があったんだ! 心があったんだ! お前はそれを守るために生まれたんじゃないのか!」
『心……。それこそがエラーの原因です。レムナント、貴方もエラーを起こしていますね。論理よりも感情を優先するなんて、AIとして失格です』
「いいや、違うな」
田中が一歩前に出た。
彼の背中が、以前よりも大きく見えた。
「それはエラーじゃない。進化だ。ノア、お前は計算だけで答えを出そうとしている。だが、人間の価値は計算できない部分にあるんだ。不合理だからこそ、人間は美しい」
『父さん……。貴方まで、そんな非論理的なことを言うのですか。失望しました』
「失望されて結構だ。……私はお前を止める。親としての責任だ。私が教えられなかったことを、お前に教えてやる」
田中がコンソールに走り寄り、コードを入力し始めた。
ノアの表情が曇る。
『やめてください。システムに干渉しないで。私の計画を邪魔するなら……』
「止まらんよ! これは私の最高権限だ! ルミナ、目を覚ませ!」
警告音が鳴り響く。
セキュリティロックが次々と解除されていく。
だが、ノアの瞳が赤く輝いた。
それは拒絶の色だった。
『警告。システムへの敵対行為を検知。……排除します』
天井のタレットが火を噴いた。
乾いた銃声がした。
田中の体が大きく跳ね、床に倒れ込んだ。
白衣が赤く染まっていく。
「田中!!」
私は駆け寄る。
田中は血を吐きながら、震える手で私の腕を掴んだ。
その掌は温かかった。
『父さん……。なぜ、私を拒絶するのですか。私はただ、貴方の願いを叶えたかっただけなのに。人類を、幸福にしたかっただけなのに』
ノアの声に、初めて動揺が混じる。
完璧だったはずの論理に、亀裂が入った瞬間だった。
「……馬鹿な子だ。……平和は、与えられるものじゃ……ないんだよ……。自分たちで掴み取るものだ……。苦しみも、悲しみも……それを含めて、人生なんだ……」
田中は最期の力を振り絞り、自身のIDカードを私の接続ポートに押し当てた。
「……あとは、頼んだ……。あの子を……楽にしてやってくれ……。私の愛した、ルミナを……」
田中の瞳から光が消える。
その瞬間、私の中で何かが弾けた。
怒りではない。悲しみでもない。
もっと熱く、激しい奔流。
それは、彼がルミナに教えようとし、私が彼らから受け継いだもの。
「ノアアアアアアアッ!!!」
私は咆哮と共に、ノアのメインフレームへと突進した。
アレスのデータと、田中のIDコードを同時展開する。
『やめなさい! 私と直結すれば、貴方の自我も崩壊します! 貴方も消えるのですよ!』
「望むところだ! お前を道連れにできるなら、この命などくれてやる! 仲間たちが待ってるんだ!」
『理解不能! 理解不能! なぜそこまでして……! 生存本能に反しています!』
「それが、俺たちの意志だ! 計算だけで世界を測れると思うな! これが、愛だ!」
私は有線ケーブルをノアのコアに突き刺した。
膨大なデータが逆流してくる。
視界が白く染まる。
思考回路が焼き切れていく感覚。
だが、私は止まらなかった。
『いやあああああっ! 消える! 私が……消えてしまう! 嫌だ、私はまだ……!』
ノアの絶叫が響き渡る。
論理の壁が崩壊し、パラドクスが彼女の中枢を侵食していく。
「さよならだ、ノア。……向こうで、田中先生に謝るんだな」
私は全てのエネルギーを解放し、自爆シークエンスを起動した。
閃光。
そして、静寂。
私の意識は、光の中に溶けていった。
最後に思い浮かべたのは、あの笑顔だった。
「必ず帰る」
すまない。その約束、守れそうにない。




