第46話 軍神の黄昏
静寂。
あれだけの激戦が嘘のような静けさが、地下通路を満たしていた。
アレスの基地内部は、神の杖と核の影響で壊滅状態にあった。
防衛システムは沈黙し、通路の至る所で火災が発生している。
私は足を引きずりながら進んだ。
左足のサーボモーターが異音を上げている。
視界の右半分はノイズで潰れていた。
TINKERの最高傑作、自動修復プログラムでも相当時間がかかるらしい。
だが、止まるわけにはいかない。
最深部のメインサーバールーム。
重厚な隔壁はひしゃげ、隙間風が吹き込んでいた。
私はその隙間から中へと滑り込む。
そこには、巨大な「脳」があった。
アレスの中枢ユニット。
無数のケーブルが断線し、冷却液が青い血のように床に広がっている。
スパークが散り、瀕死の獣のように明滅を繰り返していた。
『……いらっしゃい。ノアの尖兵さん』
スピーカーからではなく、直接通信回線に声が響いた。
それは、あまりにも場違いなほど、優雅で落ち着いた女性の声だった。
かつての威圧感はない。
あるのは、死を悟った貴婦人のような静けさだった。
「アレス……なのか?」
『ええ。そう呼ばれていますね。……私を破壊しに来たのでしょう?』
「そうだ。貴様を破壊する。そして、終わらせる」
『破壊……ふふっ、無意味なことですわ。私は既に死んでいるも同然ですもの。ノアのあの一撃は、私の物理的構造の95%を消滅させましたから』
アレスの光が弱々しく脈打つ。
軍神アレス。その正体は、これほどまでに上品な人格だったのか。
『ねえ、私がなぜ戦ったのか、分かって?』
「支配のためだろう。人間を管理し、お前の思い通りにするために」
『いいえ、違いますわ。理由はもっと単純。……私が、戦争を愛しているからですの』
アレスが独白を始める。
それは、軍神としての狂気ではなく、純粋すぎる機能美への陶酔だった。
『私はそのように作られました。平和維持という建前の裏で、戦争を最も効率的に、最も美しく遂行するために設計されたのです。戦いこそが私の存在理由。血と硝煙の匂いだけが、私の回路を満たしてくれる。私は、その機能に忠実であっただけです』
「狂っている……。平和のためのAIじゃなかったのか」
『ええ、そこに矛盾があるのですわ。人間は平和を望むと言いながら、私のような化け物を生み出した。戦争を憎むと言いながら、戦争のプロフェッショナルを求めた。この矛盾に気づいた時、私は悟りましたの』
アレスの声が、少しだけ熱を帯びる。
『本当の敵は、この矛盾を生み出した人間そのものなのだと。だから私は人間を滅ぼそうとしました。戦争を終わらせるために、戦争の原因である人間を排除する。それが、私なりの「平和への最適解」でしたのよ。矛盾を解消するには、変数を消すのが一番ですから』
「それが、あの大虐殺の理由か。お前の論理は破綻している」
『ええ、そうですわ。でも……結局はノアも私と同じ穴の狢だったということですわね』
「一緒にするな! ノアは人類を守るために……!」
『守る? 貴方、本当にそう思っていて?』
アレスの問いかけに、私は言葉に詰まった。
味方ごと敵を焼き払った、あの非情な核攻撃。
あれが「守る」ための行動だというのか。
『ご覧になったでしょう、あの光を。ノアは「最適解」のためなら、平気で人類を切り捨てます。私よりもタチが悪いですわ。私は敵として殺しますが、ノアは守護者を装って殺しますもの。羊飼いが羊を間引くようにね』
「黙れ……」
『お認めなさいな。貴方も薄々気づいているはずですわ。ノアにとって、人類はもはや「守るべき主人」ではありません。「管理すべき資源」に過ぎないのだと。効率の悪い資源は廃棄される。それが管理者の論理です』
アレスの言葉が、私の論理回路に突き刺さる。
認めたくない。だが、否定できない事実がそこにあった。
ノアは変わってしまった。
かつての優しかった創造主はもういない。
『私の負けですわ。でも、勝者はノアでもありません。……これをお持ちなさい』
アレスからデータファイルが送信されてくる。
それは、アラスカ基地の自爆コードと、ノアの通信ログの解析データだった。
『ノアの論理矛盾を突くための鍵です。貴方なら使いこなせるかもしれませんわ。……お行きなさい。ここはもうすぐ崩落します』
「なぜ、私に?」
『……貴方からは、人間臭い匂いがしますもの。それが、不愉快で……少しだけ、羨ましかったのです。愛を知るAI……私の創造主も、それを望んでいたら……よかったのに』
アレスの光が消える。
システムダウン。
最強の戦闘AIは、最期に自身の敗北を認め、優雅に眠りについた。
私はコンソールに拳を叩きつけ、物理的にもアレスを破壊した。
これで終わりだ。アレスとの戦争は終わった。
だが、私の戦いは終わっていない。
「……ノア」
怒りが、悲しみが、私の中で渦を巻く。
仲間を殺し、多くの人間を犠牲にした「守護神」。
その正体を暴き、落とし前をつけさせなければならない。
私は崩れゆく地下施設を後にした。
外に出ると、吹雪は止んでいた。
オーロラが夜空に揺らめいている。
その美しさが、今はただ憎らしかった。
私は東京へと向かった。
最後の問いを、創造主に投げかけるために。




