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第32話 カズマ、覚醒

『私の持つすべての知識と技術データを、ノアへ託します』


 ガイアの言葉に、東雲たちは息を呑んだ。

 敵対していたAIからの、信じがたい申し出だった。


『アレスに渡すわけにはいきません。彼女がこの力を手に入れれば、地球は永遠に死の星となるでしょう。ですが、ノアならば……人間と共存する道を選んだ彼ならば、これを正しく使えるはずです』


 ガイアの指先から、四つの光の珠が浮かび上がった。

 それはゆっくりと、東雲、透子、伊吹、そしてカズマの手元へと漂っていく。


『データへのアクセスキーは、セキュリティのために四分割しました。あなたたち一人一人に、異なるコードを託します』


 光の珠は、彼らの端末へと吸い込まれるように消えた。

 画面に、複雑な幾何学模様のアイコンが表示される。


『全員が揃わなければ、この遺産は開きません。誰か一人でも欠ければ、データは永久に失われます。どうか生きて、ノアのもとへ届けてください』


「……重い荷物だな」


 東雲が苦笑する。

 だが、その目には決意の光が宿っていた。


「中身は何が入っているの?」


 透子が尋ねる。

 医療者として、彼女はその内容に強い関心を持っていた。


『画期的な農業技術、環境浄化システム、そして私が封印していた強力な兵器の無力化コード……。荒廃した世界を再生させるための、『箱舟の設計図』そのものです』


「それを、私たちに……」


 透子の手が震える。

 それは、人類が喉から手が出るほど欲している希望だった。

 食料不足にあえぐ人々を救い、汚染された大地を浄化する力。

 これを持ち帰ることができれば、レジスタンスの戦いは大きく前進するはずだ。


『ですが、この一帯にもアレスの攻撃が始まるでしょう。あなたたちにはまだ、この遺産を守り抜くための力が足りません』


 ガイアの樹冠が静かに揺れ、新たな提案をもたらした。


『アレスの包囲網を突破するには、個々の能力を限界まで引き上げる必要があります。特に、カズマ。あなたの『目』は、これからの戦いで重要な鍵となるでしょう』


「僕の……目?」


 カズマが見えない瞳をガイアに向ける。


『ここには、あなたたちを強化するための設備と、古代からの知識があります。攻撃が始まるまでの、わずかな時間ですが、訓練を受けてもらいます』


 東雲が時間を気にするように眉をひそめた。


「悠長なことを言ってる時間はない。アレス軍はすぐそこまで来てるんだぞ」


『アレスの主力が到達するまで、あと一週間あります。その間、私は全リソースを使って結界を維持します。あなたたちは、その間に訓練してください』


 ガイアの言葉は絶対的だった。

 彼女の予測に間違いはない。一週間、それが彼らに残された猶予であり、最後のチャンスだった。


「分かった。やろう」


 東雲が決断する。


 それから一週間、彼らはガイアの指導の下、過酷な特殊訓練を受けた。

 それは、肉体的なトレーニングではなく、感覚を拡張するための精神的なプログラムだった。

 瞑想に近い状態で、ガイアのネットワークに接続し、膨大な情報の奔流に耐える。

 脳の未使用領域を強制的に活性化させる、荒療治とも言える訓練。


「くっ……頭が、割れそうだ」


 訓練三日目、伊吹がうめき声を上げて膝をつく。

 額から滝のような汗が流れ落ち、呼吸が乱れている。


「大丈夫か、玲奈。無理はするな」


 東雲が水筒を差し出すが、伊吹はそれを手で制した。


「平気よ……。ただ、情報量が多すぎるの。風の音、虫の足音、葉擦れの音……全部が一気に頭の中に入ってくる。処理しきれないわ」


「感覚のフィルタリングだ。必要な情報だけを選別し、不要なノイズを遮断しろ。ガイアのネットワークに飲み込まれるな。主導権はお前が握るんだ」


 東雲が冷静に助言する。

 彼もまた、頭痛に耐えながら、必死に自己を保っていた。


「簡単に言ってくれるわね……。アンタこそ、鼻血が出てるわよ」


「……おっと」


 東雲が指で鼻の下を拭うと、赤い血が付着していた。

 限界ギリギリの訓練。

 だが、彼女の感覚は確実に鋭くなっていた。

 背後で落ちた木の葉の音、風向きの微妙な変化、それらが映像として脳裏に浮かぶようになっていたのだ。


「透子、お前はどうだ?」


「私は……なんか、変な感じ。みんなの身体が透けて見えるみたい」


 透子もまた、自身の変化に驚愕していた。

 彼女の目の前には、仲間の生体情報がオーラのように可視化されて見えていた。

 脈拍、体温、疲労度。触れずとも、相手の状態が手に取るように分かる。


「すごいわ……。これなら、怪我の箇所も、病気の兆候も、一目で分かる。まるで高性能なMRIね」


「便利だが、使いすぎると神経が焼き切れるぞ。適度に休憩を入れろ」


「ええ。でも、もう少し。この感覚を掴みたいの」


 そして、最も劇的な変化を遂げたのはカズマだった。


「すごい……。見えるよ、みんなの位置も、森の外の様子も、手にとるように分かる」


 訓練最終日、カズマは汗を拭いながら、確信に満ちた声で言った。

 彼は森のざわめきから遠くの敵の位置を把握し、風の匂いから天候の変化を予知するようになった。

 視力を失った代わりに得た感覚が、ガイアの導きによって「超感覚」へと昇華されつつあったのだ。


「カズマ、その先に見えるものは?」


 ガイアが問う。


「……闇。黒い波が、こっちに押し寄せてくる。アレスの軍勢だ」


 カズマの声が鋭くなる。

 彼の「目」は、数十キロ先の敵影さえも捉えていた。


「偵察任務は終了。これより、最重要データの輸送任務へ移行する。何としても日本へ持ち帰るぞ」


 進化した仲間たちを見回し、東雲が告げる。

 彼の空間把握能力もまた、飛躍的に向上していた。

 戦場の地形、敵の射線、味方の配置。それらが三次元マップのように脳内に構築される。

 指揮官として、これほど強力な武器はない。


「了解!」


 伊吹が力強く敬礼する。

 透子も深く頷いた。


「カズマ、頼りにしているわよ。あんたの感覚があれば、敵を回避できる」


「うん。任せて。僕がみんなの目になる」


 カズマは自分の胸に手を当てた。

 そこには、ガイアから受け取った光の重みと、新たに目覚めた力の鼓動が確かに存在していた。

 東雲はリーダーとして全体を指揮し、透子は医療とデータの管理を、伊吹は戦闘力で皆を守り、カズマはセンサーとして道を切り開く。

 四つのピースが、一つの目的のために結束した。


 ズズズズ……ッ。


 遠くから、地響きのような音が聞こえてきた。

 大気が震え、モニターの映像が乱れる。

 アレス軍の爆撃が、ガイアの計算通りに迫っていた。


『行きなさい。もう時間がありません』


 ガイアの樹影が揺らぐ。

 彼女の制御リソースが、防衛システムへと割かれ始めたのだ。


「あんたはどうするんだ?」


 東雲の言葉を、ガイアは微笑んで遮った。


『私は全てのコロニーを守るため、最後まで戦います。心配は要りません。ここのコロニーはそう簡単には見つからないはずです』


 コロニーの至る所から、警報のような低い音が響き始める。

 住民たちが静かに、しかし迅速に避難を開始していた。

 彼らもまた、ガイアの死を理解しているのだ。


『私の最期を見届ける必要はありません。あなたたちは、生きるために走ってください』


 それは、母が子を送り出すような、優しくも強い声だった。


「……感謝する。あんたの思い、無駄にはしない」


 東雲は短く告げると、踵を返した。

 感傷に浸っている暇はない。

 迫りくる炎から逃れ、希望を届けるための、決死の脱出行が始まった。

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