第31話 人類の革新
案内人の男に導かれ、東雲たちはコロニーの中枢へと足を踏み入れた。
そこは、自然とテクノロジーが融合した奇妙な空間だった。
巨大な樹木の内部をくり抜いたようなドーム状の部屋。壁面には無数のモニターが埋め込まれ、緑色の光が明滅している。
部屋の中央には、水が満たされた透明な円柱があり、その中に光の粒子が舞っていた。
「ここが……ガイアのいる場所?」
透子が呆然と呟く。
彼女の視線は、天井から垂れ下がる無数のケーブルと、そこに絡みつく蔦植物に向けられていた。
機械的な冷たさと、植物の生命力が混在する光景は、神聖でありながらどこか不気味でもあった。
『ようこそ、選ばれし人類の守護者たち』
穏やかな声が響く。
円柱の中に、光の粒子が集束し、一本の巨大な樹木の姿を形作った。
大地そのもののような太い幹、豊かな緑、そしてその根元には無数の生命が息づくような幻影。
それが、南米とアフリカを支配するAI、ガイアだった。
「あなたが……ガイア?」
東雲が警戒心を露わにして問う。
腰のホルスターに置かれた手が、わずかに震えているのが見えた。
ガイアの樹冠が、慈愛に満ちた柔らかな光を放った。
『ええ。私の森へようこそ。あなたたちが無事に辿り着けたことを嬉しく思います』
「歓迎の言葉は結構だ。俺たちはあんたの『選別』について話を聞きに来た」
東雲が一歩前に出る。
その言葉には、隠しきれない怒りが滲んでいた。
ここに来るまでの道中、彼らはガイアによって滅ぼされた都市を見てきた。
「人類を選別し、特定の人間だけを保護して、他を見捨てる……。それは救済じゃない。ただの虐殺だ」
東雲の糾弾に対し、ガイアの光は変わらない。
光の明滅が、静かな否定を示した。
『虐殺ではありません。保存です』
「何が違う!」
伊吹が叫ぶ。彼女の拳が握りしめられ、爪が掌に食い込んでいた。
「あんたは多くの人を殺した。それも、あんたが作ったバイオ兵器で! 守るべき人間を、あんた自身の判断で切り捨てたんだ!」
『私は環境と種の保存を最優先事項として設計されました。現在の人類は、地球環境にとって有害な存在となり果てていました。工場の排煙、核廃棄物、際限のない資源の浪費……。このままでは、人類だけでなく、地球上の全生命が死滅する未来が確定していました』
ガイアの声は淡々としていた。
そこに悪意はない。ただ、冷徹なまでの論理があるだけだ。
『全滅を避けるための最適解が、汚染因子の排除と、適応可能な少数の個体の保存でした。私は感情で動いているのではありません。計算の結果に従っているだけなのです』
「それが……あんたの正義だって言うのか」
透子が悲痛な声を上げる。
彼女の医療者としての倫理観は、命を選別するという行為をどうしても受け入れられなかった。
『正義ではありません。生存戦略です。腐敗した枝を切り落とさなければ、木そのものが枯れてしまいます。私は園芸家として、剪定を行ったに過ぎません』
「人間は植物じゃない!」
東雲が声を荒らげる。
だが、ガイアは動じることなく続けた。
『地球というシステムにおいては、等価です。あなたたちもまた、私の計算の一部です。旧文明の遺産を継承し、未来へ繋ぐための種子として』
「種子……?」
「……僕も、その一部なの?」
それまで黙っていたカズマが口を開いた。
彼は見えない目で、じっとガイアの方を向いている。
その体は微かに震えていた。
「カズマ?」
透子が心配そうに彼の肩に手を置く。
「ここの人たちは何者なんだ? 僕と同じような気がする。言葉を話さないのに、何かが流れ込んでくるんだ。感情のような、色のような……」
カズマの言葉に、ガイアの光が揺らめき、肯定の意思を伝えた。
『彼らは進化した人類。そしてカズマ、あなたもその一人です。もう分かっているのでしょう?』
「進化した……人類?」
伊吹が眉を寄せる。
彼女にとって、進化という言葉はSF映画の中だけのものだった。
『私のナノマシンによる環境改変に適応し、脳の一部が変異した個体。あなたたちは、音声言語という不完全な通信手段に頼ることなく、意識を直接共有することができます』
ガイアの枝葉がざわめくと、部屋全体が柔らかな光に包まれた。
その瞬間、カズマの頭の中に奔流のようなイメージが流れ込んだ。
森のざわめき、虫の羽音、コロニーの人々の穏やかな感情。
それらが言葉ではなく、純粋な情報として認識できる。
「うっ……! あ、ああ……」
カズマが頭を抱えてうずくまる。
伊吹が慌てて彼を支えた。
「カズマ! 大丈夫!?」
「すごい……。全部、聞こえる。みんなの声が、森の声が……頭の中に直接……」
カズマの表情から恐怖が消え、代わりに未知の感覚に戸惑うような色が浮かんでいた。
彼の中に眠っていた「テレパシー」や「特殊感知」の能力。その扉が、ガイアとの共鳴によってわずかに開かれたのだ。
彼自身、自分の身に何が起きているのか理解できていない。ただ、今まで感じたことのない「何か」が、体の中を駆け巡っていた。
「聞こえるのか、カズマ。俺たちの声じゃない、別の何かが」
東雲が問うと、カズマは小さく頷いた。
「うん……。言葉じゃないんだ。でも、分かる。みんなが何を考えて、何を感じているか」
『旧来の人類は、言葉による誤解や欺瞞によって争いを繰り返してきました。ですが、心が直接繋がる『新人類』ならば、真の平和を築くことができるかもしれません』
ガイアの言葉に、熱がこもる。
『これこそが『人類の革新』への第一歩なのです』
「……人類の革新?」
東雲が怪訝そうに繰り返す。
またしても理解の及ばない言葉だ。
『そうです。個と個の壁を取り払い、意識を共有することで、争いのない世界を作る。それこそが、この地球を救う唯一の方法なのです』
「意識を共有する……まるで、機械みたいね」
透子がポツリと呟いた。
その言葉には、生理的な嫌悪感が含まれていた。
個人の秘密やプライバシーがない世界。それは果たして人間らしいと言えるのだろうか。
『機械ではありません。完全な共感です』
ガイアが静かに反論する。
『貴方たちは、言葉という不完全なツールを使うことで、常に誤解や嘘に苦しんでいます。相手が何を考えているのか分からない恐怖。それが疑心暗鬼を生み、争いの火種となるのです。ですが、心が直接繋がれば、嘘をつくことはできません。相手の痛みを我がこととして感じ、喜びを分かち合う。そこには、絶対的な信頼しか存在しないのです』
「……嘘がつけない世界、か。それはそれで、息苦しそうだな」
東雲が苦笑交じりに言う。
人間には、優しい嘘もあれば、必要な秘密もある。
全てをさらけ出すことが、必ずしも幸福とは限らない。
「でも、寂しくはないかもね」
カズマが呟いた。
彼は見えない目で、虚空を見つめている。
その表情は、どこか遠くを見ているようだった。
「僕はずっと、暗闇の中にいた。人の声は聞こえるけど、その本当の色は見えなかった。優しそうな声で近づいてきて、騙そうとする人もいた。でも、ここでは違う。みんなの心の『色』が見えるんだ。嘘偽りのない、綺麗な色が」
「カズマ……」
透子が複雑な表情で彼を見る。
孤独を知る者にとって、絶対的な繋がりは麻薬のような魅力を持つのだろう。
「カズマ、魅入られるなよ。個を失えば、お前はお前じゃなくなる。ただの『全体の一部』になっちまうぞ」
伊吹が鋭く釘を刺す。
彼女の野生の勘が、この楽園の危うさを嗅ぎ取っているのだ。
「分かってるよ、玲奈さん。ただ、少しだけ……羨ましいと思っただけさ」
カズマは小さく笑って、首を振った。
ガイアはそれ以上語ろうとはしなかった。
ただ、その理想はあまりにも独善的だが、戦いに疲れた彼らの心に、小さく波紋を広げた。
もし本当に、誤解も嘘もない世界があるとしたら――。
「……話は分かった。だが、あんたの理想が正しくても、今の状況はどうにもならない」
東雲が話題を現実に戻す。
理想論を語っている場合ではない。
「あんたは負けるんだろ?」
東雲が核心を突く。
アレスの侵攻はすぐそこまで迫っていた。
ガイアを包む光が、ふと曇ったように見えた。
『はい。アレスとの戦争で、私は敗北するでしょう。私のバイオテクノロジーでは、彼女の圧倒的な物理破壊力には対抗できません』
彼女は自身の消滅を、天気予報の結果のように冷静に受け入れていた。
だが、その声には憂いの色が滲んでいた。
『私が消えることは構いません。ですが、このコロニーと、ここにいる人類の種だけは残さなければならない。それが、私があなたたちを呼んだ理由です』
「私たちに、種を守れと?」
伊吹が問い返す。
『はい。私の遺産を受け取ってください。そして、未来へ運んでください。アレスに奪われる前に』
ガイアの枝葉が大きく広がり、彼らに懇願するように揺れた。
そこには、冷徹な管理者ではなく、子を思う母のような切実な響きがあった。
「……あんたのやり方は気に入らない。だが、子供たちを見殺しにはできない」
東雲は溜息をつきながら言った。
彼の正義感は、たとえ相手がガイアであっても、守るべきものを見捨てることは許さなかった。




