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第30話 言葉なき案内人

 その頃、地球の反対側では、もう1つの旅が終着点に近づいていた。

 ゴーストの東雲、透子、伊吹、そしてカズマの四名は、ガイアが指定した引き渡しポイントであるエジプトへ到着していた。

 かつては広大な砂漠だったその場所は、今は見る影もない。


「……嘘でしょ。ここ、本当にエジプトなの?」


 伊吹が目の前に広がる光景に呆然とする。

 そこには、熱帯雨林のような鬱蒼うっそうとしたジャングルが広がっていた。

 ピラミッドもスフィンクスも、巨大な樹木とつたに覆い尽くされ、自然の一部と化している。


「ガイアによる緑地化計画か……。聞いてはいたが、ここまでとはな」


 東雲が湿った空気を吸い込みながら、周囲を警戒する。

 気温は高いが、かつてのような乾いた熱気ではない。植物の蒸散作用による、むっとするような湿気だ。


「見て、東雲さん。あそこの遺跡、植物と一体化してる」


 透子が指差した先には、古代の神殿が大樹の根に抱かれるようにして建っていた。

 人工物と自然物が、奇妙な調和を見せている。


「すごい生命力……。ガイアの力って、こんなにも強力なのね」


 透子の言葉には、畏怖と感嘆が混じっていた。


 その神殿の入り口に、1人の男が佇んでいた。

 簡素な麻の服を纏い、肌は健康的に日焼けしている。

 彼は私たちの接近に気づいているはずなのに、微動だにしない。まるで、そこにある石像のように静かだった。


「あなたが案内人か?」


 東雲が声をかける。

 男はゆっくりと首を巡らせ、その深い茶色の瞳で彼らをじっと見つめた。

 敵意はない。だが、言葉を発しようとする気配すらなかった。

 ただ、静寂だけがそこにある。


「おい、聞こえているのか?」


 伊吹が苛立ちを隠せずに詰め寄ろうとするが、カズマがそれを制した。


「待って。この人、何か言ってる気がする」


「言ってる? 口も開いてないぞ」


「言葉じゃないんだ。もっと直接的な……意思みたいなもの」


 カズマは迷いなく男に歩み寄る。

 男はカズマの目を見つめ返し、微かに口角を上げた。

 そして、手招きもせず、ただきびすを返して奥へと歩き出した。

 その背中が、「ついてこい」と語っているようだった。


「行くぞ。罠かもしれないが、進むしかない」


 東雲の決断に従い、4人は男の後を追う。

 遺跡の地下深くに隠されたゲートを通過すると、さらに空気が変わった。

 外界の荒々しい自然とは異なる、制御された清浄な空気。


「うわっ、何これ!」


 伊吹が声を上げる。

 ジャングルの奥深く、巨大な木々のドームの下に、隠されるようにしてコロニーが存在していた。

 木材と石材、そして生きた植物を巧みに組み合わせた住居が、段々畑のように連なっている。

 それぞれの家屋からは柔らかな光が漏れ、小川のせせらぎが心地よいBGMのように流れていた。


「完全に隠蔽されている……。上空からの偵察じゃ、ただの森にしか見えないはずだ」


 東雲が建築技術に舌を巻く。


「見て、あの屋根! 生きたつたで編まれてるわ。それに、壁も土と植物の根で補強されてる」


 透子が目を輝かせて細部を観察する。


「自然を壊さずに、その中に住まわせてもらっている……そんな感じね。すごい技術だわ」


「ああ。コンクリートのジャングルとは大違いだ。ここでは、人が森に『間借り』している」


 東雲が感慨深げに頷く。

 彼の知る都市とは、自然を征服し、排除した上に成り立つものだった。

 だがここでは、人と自然が主従ではなく、対等なパートナーとして存在している。


「それだけじゃない。あそこを見て」


 東雲が顎で示した先には、広大な農耕エリアが広がっていた。

 そこは、まさに豊穣ほうじょうという言葉が相応しい場所だった。

 見たこともないほど巨大な赤い果実がたわわに実り、黄金色の穀物が風に揺れている。

 色とりどりの花が咲き乱れ、甘い香りが辺り一面に漂っていた。


「うわぁ……! 何あの果物! すっごく美味しそう!」


 伊吹が目を輝かせて声を上げる。

 灰色の瓦礫と保存食しか知らない彼女にとって、それは天国のような光景だった。


「信じられない……。土壌汚染の影響が全く見られないわ。葉の色艶も、茎の太さも、完璧な健康状態よ」


 透子が近づいて作物を観察する。

 彼女の医療知識から見ても、ここの生態系は異常なほど健全だった。


「空気が……美味しい気がする」


 カズマが深く呼吸をする。

 肺の中が、清浄なエネルギーで満たされていくような感覚。


「ああ。ここは死んだ世界じゃない。命が爆発している。……少し、怖いくらいにな」


 東雲が呟く。

 東京や他の都市が「過去の遺物」だとするなら、ここは「未来の揺り籠」だ。

 だが、その未来はあまりにも異質で、人類が知るそれとは決定的に異なっていた。


 コロニーの住民たちは皆、口を開くことなく農作業や生活を営んでいる。

 畑を耕す者、果実を収穫する者、子供をあやす者。

 数100人の人間がいるにも関わらず、会話の声や叫び声が一切聞こえない。

 彼らは互いに目配せをするだけで、流れるような連携を見せていた。

 争いも騒音もない、奇妙なほど静かな世界。


「……不気味なほど静かね。ねえ、あの人たち、本当に人間?」


 伊吹が身震いする。

 透子も不安そうに東雲の袖を掴んだ。


「まるで、時間が止まっているみたい……。誰も喋らないなんて、変よ。笑い声も、泣き声もしないなんて」


「……ここでは言葉は不要なのです」


 案内人の男が初めて口を開いた。

 その声は、どこか懐かしく、頭の中に直接響くようだった。

 彼は立ち止まり、コロニーを見下ろすように両手を広げた。


「心で通じ合えますから」


 男の言葉に、カズマがハッとした表情を浮かべる。

 静寂のコロニー。言葉なき世界。

 そこには、旧世界の人類が失ってしまった、あるいは捨て去ってしまった「何か」が息づいているようだった。


「心で通じ合う……? テレパシーってこと?」


 伊吹が眉をひそめる。


「近いですが、少し違います。私たちは『共鳴』しているのです。ガイアという大きな意識の中で。個でありながら全、全でありながら個。孤独という概念は、ここには存在しません」


 男は穏やかに微笑む。

 その笑顔には、一切の陰りがなかった。

 悩みも、苦しみも、争いもない世界。

 それは理想郷ユートピアなのか、それとも個人の意志を奪われた牢獄ディストピアなのか。


「……まるで、蜂のハイヴだな」


 東雲が小声で呟いた。その言葉には、警戒心が含まれていた。

 個を捨てて全体に奉仕する社会。それは、人類が目指すべき進化の形なのか。


「案内しましょう。ガイア様がお待ちです」

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