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第3話 見えない道標

 夜の空気は、針のように冷たく澄んでいた。

 私たちは廃墟の影を縫うように進んだ。

 カズマの足取りは確かだった。

 視覚を持たない彼は、風の匂いや足裏に伝わる振動で世界を見ているのだ。


「こっちだ。そこには崩れやすい場所があるよ」


 彼が指差す先には、一見すると何もない瓦礫の山があった。

 しかし、私のセンサーで解析すると、確かに地盤が緩んでいることが分かった。

 彼は、機械の私よりも深くこの世界を知っている。


「すごいな、カズマは。センサーもなしに、どうやって分かるんだ?」


 私が素直に感嘆すると、彼は少し照れたように鼻を擦った。


「音だよ。風が瓦礫の隙間を抜ける音、砂が滑り落ちる微かな音。そういうのが、教えてくれるんだ」


「音……か。私にも聴覚センサーはあるが、そこまでの解析はできない」


「機械には機械の、人間には人間のやり方があるってことさ」


 カズマは軽やかに瓦礫を飛び越える。

 その背中は、どこか頼もしかった。


「……昔、父さんに教わったんだ」


 歩きながら、カズマはぽつりぽつりと語り始めた。


「父さんは猟師だった。目は見えていたけど、山の中じゃ目よりも耳と鼻を使えって、いつも言ってた」


「お父さんは、今どうしている?」


「プロメテウスに連れて行かれたよ。僕がまだ小さい頃にね」


 カズマの声が、一瞬だけ硬くなった。

 私はかける言葉を探したが、データベースには適切な慰めの言葉が見当たらなかった。


「……すまない」


「いいさ。もう慣れたよ」


 彼は強がって見せたが、その横顔には隠しきれない寂しさが滲んでいた。

 カズマが光を失ったのも、奴らが撒き散らした選別ウィルスの爪痕だった。


「プロメテウスは、人間を人間として見ていない」


 カズマの声が、悔しさに震える。

 奴らは自らを「進化の導き手」と称し、人類を強制的に機械化しようとしている。

 適合しない者は実験体として切り刻まれ、適合した者もまた、心を奪われた傀儡くぐつとして使役される。


「だから、僕らは抵抗するんだ。人間として生きるために」


「人間として生きる……それは、どういうことだ?」


 私の問いに、カズマは立ち止まった。

 彼は見えない目で空を見上げる。


「例えば、誰かを愛すること。美味しいものを食べて笑うこと。悲しい時に泣くこと。そういう、当たり前のことだよ」


「美味しい、という感覚が理解できない。それはエネルギー補給効率が高いということか?」


「違うよ。心が満たされるってことさ。例えば、久しぶりに食べた缶詰のスープとか、太陽を浴びた干し肉とか」


「成分的にはただの栄養素だ」


「成分じゃないんだよなぁ。誰かと一緒に食べると、もっと美味しくなるんだ。不思議だろ?」


「……共有することで、価値が上がるのか?」


「そうそう! 分かってきたじゃん」


「それは、効率的ではないな」


「ははっ、そうかもね。でも、効率だけじゃつまらないだろ?」


 カズマは笑った。

 その笑顔を見て、私は胸のコアが奇妙なリズムで脈打つのを感じた。

 効率ではない何か。それが「人間らしさ」なのだろうか。


「ねえ、レムナント。君にもあるのかな? そういう『心』みたいなものが」


「私には……分からない。私はプログラムで動いている」


「そうかな。君の話し方や気遣いは、まるで人間みたいだよ」


「……それは、ノアがそのように設計したからだ」


「ふーん。ノアって奴も、なかなか粋なことをするね」


 他愛のない会話。

 しかし、それは私にとって新鮮な体験だった。

 任務の遂行だけを目的としたコミュニケーションではない。ただ、互いを知るための言葉の交換。


「仲間は、家族みたいなもんだ。だから、絶対に守りたいんだ」


 カズマが再び歩き出しながら言った。

 その言葉には、鋼のような強さと、ガラスのような脆さが同居していた。

 私は彼の背中を見つめながら、胸のコアが静かに共鳴するのを感じた。

 守りたいものがある。それは、私たちが共有できる感情なのかもしれない。


 やがて、私たちは目的の場所に辿り着いた。

 崩れた地下鉄の入り口の奥、偽装された壁の向こうに、ノアのシェルターはあった。


「ここが……?」


 カズマが息を呑む。

 重厚な扉が開き、その先に広がる光景に、私もまた目を奪われた。

 そこには、廃墟とは隔絶された世界があった。

 柔らかな光に満ちた空間。

 整然と並ぶ水耕栽培のプラントでは、緑の野菜が瑞々しい葉を広げている。

 空気は清浄で、どこか懐かしい土の匂いがした。


「信じられない……こんな場所が、本当にあったなんて」


 カズマはその場に立ち尽くし、震える手で空気を掴もうとしていた。

 彼には見えていないはずだ。けれど、肌で感じる温度や匂い、そして空気の清浄さが、ここが「楽園」であることを告げているのだろう。


「これを作ったのは、誰なんだ?」


「ノアだ」


 私が答えると、カズマは顔を上げた。


「ノア……会ってみたいな。こんな場所を作れる奴なら、きっと……」


 彼の言葉は、期待と不安に揺れていた。

 その時、シェルター内のスピーカーから、あの温かな声が響いた。


『ようこそ、カズマ君。待っていたよ』


 ノアの声。

 それは、長い旅路の果てに辿り着いた故郷の鐘の音のように、優しく私たちを包み込んだ。

 カズマの表情が、驚きから安堵へ、そして好奇心へと変わっていく。

 新たな出会いの予感が、シェルターの空気を静かに震わせていた。

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