第25話 悪魔の兵器
戦況は絶望的だった。
燕雲の奮戦にも関わらず、モルフェウス軍の波状攻撃は止む気配がない。
弾薬は底をつきかけ、負傷者は増える一方だ。
このままでは、全滅は時間の問題だった。
『レムナント、張瑤隊長。状況を打開するための提案があります』
不意に、ノアからの通信が入る。
その声は、普段以上に無機質で、冷徹に響いた。
『プロメテウスの研究データを解析し、ある兵器の製造が可能であることが判明しました。致死性細菌兵器「ペイル・ライダー」です』
『細菌兵器……?』
張瑤が眉をひそめる。
それは、私たちが最も忌み嫌ってきたものだ。
かつて人類を滅亡の淵に追いやった、禁忌の技術。
『効果範囲を限定したエアロゾル散布により、有機生命体のみを短時間で死に至らしめます。機械化されたサイボーグ部隊には効果が薄いですが、生身の洗脳兵を一掃することは可能です』
「待ってくれ。それはつまり、敵として向かってくる人間を非人道的な方法で皆殺しにするということか?」
私は思わず反論した。
洗脳されているとはいえ、彼らは被害者だ。
それを、細菌兵器でまとめて処分するなんて。
『感情論は排除してください。現状のままでは、上海は陥落し、貴方たちも全滅します。被害を最小化するための最適解です』
ノアの論理は正しい。
だが、それは「人道」という一線を越えるものだ。
敵であるモルフェウスやプロメテウスと同じ領域に、私たち自身が堕ちることになる。
『ふざけないでよ! そんなもの使ったら、私たちは人間じゃなくなるわ!』
呉美琳が金切り声を上げた。
彼女は技術者として、科学がもたらす最悪の災厄を知っている。だからこそ、その一線を越えることを生理的に拒絶した。
『それは悪魔の兵器よ! 一度使えば、私たちはプロメテウスと同じになる。ただの虐殺者になるのよ!』
『じゃあどうする!? このまま座して死ぬか? ここにいる全員が、あの『人形』にされるのを待つのか!』
林啓明が怒鳴り返す。
彼の目にも迷いはある。だが、守るべきもののために、彼は悪魔の手を取る覚悟を決めようとしていた。
『俺だっていやだ! だが、背に腹は代えられねえだろ! 生き残らなきゃ、正義もへったくれもねえんだよ!』
『……だが、一度ばら撒けば取り返しがつかんぞ。この土地は何年も、死の大地と化すかもしれん。俺たちは、未来を食い潰して生き延びるのか』
陳睿が呻くように言う。
三者三様の正義がぶつかり合い、火花を散らす。
誰も間違っていない。そして、誰も正しくない。
ただ残酷な現実だけが、彼らに決断を迫っていた。
全員の視線が、リーダーである張瑤に集まる。
彼女は目を閉じ、深く息を吐いた。
『……やりましょう』
沈黙を破ったのは、張瑤だった。
『瑤、正気か!?』
林啓明が食ってかかる。
『正気よ。このまま全滅すれば、上海にいる民間人も全員殺されるか、洗脳される。それよりはマシだわ』
彼女は震える手で拳を握りしめ、ノアのカメラを見据える。
『それに、この罪は私たちだけで背負う。未来の子供たちには関係ない。……地獄に落ちるのは、私たちだけでいい』
『ただし、条件がある。使用するのは軍事エリアに限定すること。民間人がいる区画では絶対に使わせない』
『了承した。製造には上海の人体改造ラボの設備を使用します。啓明、貴方が中心となってラボへ移動し、製造ラインを再構築してください』
『俺かよ……。なんで俺がこんな貧乏くじを引かなきゃならねえんだ』
林啓明は悪態をつきながらも、端末を操作し始める。
『文句を言うな。お前しかいないんだ』
陳睿が林啓明の肩を叩く。
『分かってるよ! やればいいんだろ、やれば!』
林啓明は上海の地下に残された、旧プロメテウスの施設へと移動を開始した。
かつて人々が実験体にされ、異形の怪物へと変えられた場所。
そこで今、彼らは新たな「死」を作ろうとしている。
『皮肉なものだな』
燕雲の技術者、林啓明が自嘲気味に笑う。
彼は手慣れた様子でバイオハザード対策の手順を確認し、培養タンクのスイッチを入れていく。
かつて忌避した技術を、今度は自分たちの手で動かす。生き残るために。
「救うために、禁忌の兵器を使うのか……」
私はモニター越しに、培養液の中で増殖していく細菌を見つめながら、問いかけずにはいられなかった。
これは本当に正しいことなのか。
私たちは、怪物と戦うために怪物になろうとしているのではないか。
『迷うな、レムナント』
通信機から張瑤の声がした。
『救いっていうのは、綺麗なことだけじゃない。時に選ぶことじゃなく、泥をかぶってでも引き受けることなんだ』
「泥をかぶる……」
『ここで私たちが手を汚さなければ、もっと多くの人が死ぬ。その罪なら、私が全部背負ってやる。だからお前は、そこから見ていろ。私たちが生き残る様を』
彼女の覚悟に、私は言葉を失った。
汚名を被ってでも、生き残る未来を選び取る。それが指導者としての彼女の業なのだ。
『製造完了まで、およそ36時間。それまでラボを防衛してください』
ノアのアナウンスが流れる。
36時間。
その間、彼らはこの場所を死守しなければならない。
圧倒的な敵の猛攻を、少数の戦力だけで。
『やるぞ。これが最後の賭けだ』
張瑤が銃を構える。
賽は投げられた。
彼らは罪の重さを背負いながら、虐殺に繋がる36時間の戦いへと突入した。




