第23話 卑劣な人間の盾
モルフェウス軍の進軍は、見る者に生理的な嫌悪感を抱かせるものだった。
北京から上海へと続く荒野を埋め尽くす大軍勢。
その編成は異様だった。
最前列に配置されているのは、虚ろな目をした人間たち――洗脳された捕虜や一般市民だ。
その後ろに重装甲のサイボーグ兵が続き、さらに後方には自走砲やドローン群が控えている。
いわゆる「縦深編成」だが、その盾として人間を使っている点が極めて悪質だった。
「人間の盾か……徹底しているな」
輸送機のモニタールームで、私はドローンの映像を見ながら呟く。
画面の端に映る張瑤の表情は硬い。彼女の唇は、噛み締めすぎて白くなっていた。
『戦争とは言え、これは……』
陳睿が絶句する。
彼の義手が、怒りに震えてカタカタと音を立てている。
『卑怯だなんて言葉じゃ生温いな。悪魔の所業だ』
林啓明が吐き捨てるように言う。
彼らの怒りはもっともだ。だが、感情に流されれば全滅する。
『奴らは分かっているのよ。私たちが人間を撃つのをためらうことを』
「燕雲の配置は?」
『市街地を利用した多層防衛ラインを敷いたわ。正面からの衝突は避けて、遅滞戦術に徹する』
張瑤が地図上のポイントを指し示す。
廃ビルを利用した狙撃ポイント、瓦礫で道を塞いだ誘導路、そしてEMP地雷を敷設したキルゾーン。
まともに戦えば数で押し潰される。だから、街全体を巨大な罠に変え、敵を出血させながら少しずつ後退する作戦だ。
『レムナント、あなたたちには電子戦での支援をお願いしたい』
「洗脳システムの破壊だな」
『ええ。あの洗脳兵たちを操っている信号を断ち切ってほしい。そうすれば、彼らの連携は崩れるはず』
「了解した。アテナがハッキングで支援する。……アテナ、いけるか?」
私が問うと、アテナは険しい顔で頷いた。
「やってみるわ。でも、簡単な仕事じゃない。彼らの脳に埋め込まれたインプラントは、神経系と完全に癒着している。強引に切断すれば、彼らの脳が焼き切れる可能性があるわ」
「……殺さずに、無力化しろということか」
「ええ。針の穴を通すような精密作業よ。でも、やるしかないわね。あんな悪趣味な人形遊び、終わらせてやるわ」
アテナの瞳に、決意の光が宿る。
彼女にとっても、人間の尊厳を弄ぶモルフェウスのやり方は許しがたいものなのだ。
作戦が開始される。
燕雲の狙撃手が、敵の指揮官クラスのサイボーグを撃ち抜く。
それを合図に、上海の街が火を噴いた。
ビル陰からの十字砲火、仕掛け爆弾の炸裂。
モルフェウス軍の前進が止まる。
だが、敵の対応は早かった。
攻撃を受けると、即座に人間の兵士を前面に押し出してくるのだ。
盾にされた人々は、恐怖の表情すら浮かべず、ただ無機質に前進してくる。
『くそっ、撃てない!』
燕雲の通信から悲痛な叫びが聞こえる。
引き金を引けば、罪のない人々を殺すことになる。その躊躇が、敵に付け入る隙を与える。
重装サイボーグが人間の盾の隙間から砲撃を行い、燕雲の拠点を吹き飛ばした。
「アテナ、急げ!」
「やってるわよ! でも、プロテクトが硬い!」
アテナは電脳空間で高速処理を行いながら、敵の通信ネットワークにハッキングを仕掛けていた。
彼女の周囲には無数のデータウィンドウが展開され、目まぐるしく書き換わっていく。
「敵の指揮系統は分散型だわ。1つを潰しても、すぐに予備回線に切り替わる。まるでヒドラね、首を斬っても次が生えてくる」
「中継ドローンを叩け! 現地のドローンを制御できるか?」
「やってみる! ……お願い、間に合って!」
アテナの意識が電脳空間へと深く潜行していく。
私にもその視界が共有される。
そこは、物理法則から解き放たれた光と情報の海だった。
モルフェウスの防壁は、極彩色の幾何学模様となって立ちはだかる。
螺旋を描くファイアウォール、牙を剥く迎撃プログラム。
それらは物理的な質量を持たないが、触れればアテナの自我を焼き尽くす致死性のデータだ。
「見つけた……制御ノードの隙間!」
アテナは光の奔流の中を疾走し、針の穴を通すような精密さで攻撃コードを打ち込む。
一瞬の攻防の中に、数億回の演算と駆け引きが凝縮されている。
現実時間にしてコンマ数秒。永遠とも思える電子の戦いを制したのは、アテナの執念だった。
「貫通!」
上海の上空に待機していた偵察ドローンが急降下し、敵の中継機へと体当たりを敢行する。
爆発と共に中継機が墜落する。
その瞬間、一部の洗脳兵の動きが止まった。
糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちる。
『今だ! 動かない奴は無視しろ! 動く脅威だけを狙え!』
張瑤の指示が飛ぶ。
だが、止まった兵士を乗り越えて、後続の敵が押し寄せてくる。
その数は圧倒的だった。
倒しても倒しても、次から次へと湧いて出る。
『これは……勝てるのか?』
誰かの弱音交じりの声が漏れる。
この戦いの目的は勝利ではない。時間稼ぎだ。
ノアが解析を進め、洗脳を解除する方法を見つけるまでの時間を稼ぐ。
だが、その「時間」の対価として支払われるのは、あまりにも多くの血だった。
モニターの中で、陳睿が瓦礫の山から飛び出し、敵のサイボーグに長剣を突き立てる。
火花とオイルが飛び散る中、彼は視界の隅で倒れている人間を見た。
まだ十代だろうか。少年のような兵士が、虚ろな目のまま空を見上げている。
その胸には、燕雲が撃った弾痕があった。
『……』
陳睿の苦悶の表情が、映像越しにも伝わってくる。
『おい、睿! ボーッとするな! 死ぬぞ!』
林啓明の怒鳴り声で、陳睿は我に返る。
『すまない……。だが、あの子はまだ子供だぞ……。俺たちは、何をやっているんだ』
『戦場に子供も大人もねえ! 銃を持てば敵だ! 自分にそう言い聞かせろ!』
林啓明はそう叫びながらも、その表情は苦渋に満ちていた。
彼らは、人間としての心を押し殺して戦うことを強いられていた。
綱渡りのような防衛戦は、まだ始まったばかりだった。




