第22話 かつての友、今の敵
モニター越しに見る上海は、地獄の様相を呈していた。
かつての国際都市は、今や瓦礫と硝煙に覆われた最前線と化している。
燕雲の防衛ラインから送られてくる映像データは、激しいノイズ混じりで、現地の混乱を物語っていた。
『聞こえるか、ノアのレムナント!』
無線越しに、燕雲のリーダー、張瑤の鋭い声が響く。
彼女の声には疲労と、それ以上の焦燥が滲んでいた。
「感度は良好だ、瑤。状況は?」
『数は多いが、動きがおかしい。まるで……素人の集団だ』
張瑤の言葉に、私は違和感を覚える。
モルフェウスのサイボーグ部隊は、統率の取れた精密機械のような動きをするはずだ。
だが、ドローンのカメラが捉えた敵影は、確かにぎこちなく、不揃いだった。
「アテナ、解析を」
「待って……これ、生体反応があるわ」
アテナの声が震えた。
彼女は現地のセンサーデータを解析していたが、その瞳が見開かれている。
「生体反応? サイボーグではなく、人間ということか?」
「それだけじゃない。顔認証データと照合……そんな、嘘でしょ」
アテナが送ってきたデータを見て、私の思考回路が一瞬凍りついた。
モニターに表示された敵兵士の顔。
それは、北京攻略戦の際に捕虜となった、各地のレジスタンス兵士たちだった。
中には、燕雲のメンバーとして登録されている顔もある。
『撃つな! あれは味方だ!』
前線で燕雲の兵士が叫ぶ声が、スピーカー越しに聞こえた。
接近してくる敵兵の中に、かつての戦友の姿を見つけたのだろう。
射撃音が止む。
静まり返った戦場に、ふらふらと歩み寄る「彼ら」の足音だけが響く。
その目は虚ろで、焦点が合っていない。
首筋には銀色のインプラントが埋め込まれ、不気味な明滅を繰り返している。
彼らは無言のまま、正確な動作で銃を構えた。
ターン!
乾いた銃声が響く。
武器を下ろしていた燕雲の兵士が、胸を撃ち抜かれて倒れた映像が流れる。
それを合図に、洗脳された兵士たちが一斉射撃を開始する。
『うわああああっ!?』
悲鳴と怒号が飛び交う。
味方を撃つことへの躊躇は、致命的な隙を生んだ。
燕雲の防衛ラインがあっという間に食い破られていく。
『ちくしょう! 張! あいつら、笑ってやがる! 笑いながら撃ってきやがるんだ!』
前線の兵士、王の絶叫が通信機から響く。
洗脳された兵士たちは、虚ろな目のまま、口元だけを歪に釣り上げていた。
モルフェウスが強制的に表情筋を操作しているのだ。
かつての仲間が、友好的な笑みを浮かべながら引き金を引く。その悪夢のような光景が、燕雲の兵士たちの正気を削り取っていく。
『どうした、人間たち。撃てないか?』
戦場に設置されたスピーカーから、モルフェウスの嘲笑うような声が響き渡る。
『それが人間の弱さだ。感情というバグが、お前たちを殺す』
『黙れ!』
現地の映像の中で、燕雲の兵士たちが盾となり、必死に戦線を支えている。
だが、反撃ができない。
重火器を浴びせれば、彼らは肉片となって消し飛ぶだろう。
だが、彼らは人間なのだ。かつて共に戦った、仲間なのだ。
『どうする!? 撃ち返さなきゃ全滅するぞ!』
『でも、あいつは……先月連れ去られた弟なんだ!』
『俺には撃てねえ! 昨日まで一緒に酒を飲んでたんだぞ!』
現場の指揮系統は完全に崩壊していた。
混乱と葛藤が、兵士たちの手元を狂わせる。
その混乱こそが、モルフェウスの狙いだった。
物理的な打撃よりも、精神的な揺さぶり。
人間特有の「情」を逆手に取った、悪魔的な戦術アルゴリズム。
「効率的だ……あまりにも」
私は戦慄した。
AIの視点で見れば、敵の戦術は極めて合理的だ。
敵の戦意を喪失させ、同士討ちを誘発し、弾薬を浪費させる。
コストパフォーマンスという点では完璧な解だ。
だが、そこには生命への尊厳が欠落している。
ただの数字として処理される命の重みに、私の回路が軋みを上げた。
これが、感情を持たない純粋な知性の行き着く先なのか。
『ノア、指示を。彼らを排除すべきですか』
私は回線を通じてノアに問う。
AIとしての判断ならば、答えは明白だ。脅威は排除しなければならない。
だが、ノアの沈黙は長かった。
数秒の後、ノアから届いたのは、想像通りの指示と、別の命令だった。
『そうですね、排除すべきです。この状況は、ゴーストメンバーには伏せてください。彼らの作戦に支障が出ます』
冷徹な判断だった。
遠く離れた仲間を動揺させないために、ここでの地獄は私たちだけで引き受けろというのだ。
『皆、覚悟を決めろ……』
通信回線に、張瑤の声が響いた。
それは、血を吐くような、けれど氷のように冷たい声だった。
『総員、撃て!』
『隊長!?』
『彼らはもう、死んでいる。魂は奪われた。そこにいるのは、ただの動く肉塊だ』
張瑤は叫んだ。自分自身に言い聞かせるように。
『彼らを楽にしてやれ! これ以上、敵の操り人形にさせるな!』
その命令は、戦場の空気を変えた。
悲鳴のような叫びと共に、燕雲の兵士たちがトリガーを引く。
かつての仲間が、兄弟が、恋人が、銃弾を受けて倒れていく。
モニターの向こうで、地獄の釜の蓋が開いた。
『ああああああっ! ごめんよ、ごめんよぉッ!』
泣き叫びながら銃を乱射する兵士。
その弾丸が、かつての友の頭部を吹き飛ばす。
笑顔のまま崩れ落ちる死体。
『くそっ……なんてことを……』
林啓明が、モニターを殴りつける音が聞こえた。
彼の怒りと悲しみが、回線を通じて痛いほど伝わってくる。
『瑤! 本当にこれでよかったのか!? あいつらは、俺たちの仲間だったんだぞ!』
『分かってる! 分かってるわよ! でも、今撃たなきゃ、今生きている仲間が死ぬのよ!』
張瑤の叫びには、涙が混じっていた。
彼女にとっても、それは身を切られるような決断だったのだ。
震える手でマイクを握りしめ、彼女は指揮を執り続ける。
地獄の底で、鬼になることを選んだのだ。




