第20話 静寂の防衛戦
ゴーストの主力メンバーが旅立った後も、東京での戦いは続いていた。
だが、それは銃弾が飛び交う派手な戦闘ではない。静寂の中で繰り広げられる、神経を削るような情報戦だった。
「状況はどうだ、レムナント」
アジトの仮設司令室で、榊隼人がモニターを見つめながら問いかける。
彼の瞳には、疲労の色とともに鋭い理性の光が宿っていた。主力不在の今、この東京を守り抜く重責は彼の双肩にかかっている。
「モルフェウスの動きは活発だ。しかし、こちらの防衛ラインも維持できている」
私は冷静に状況を報告する。
現在、私たちが展開しているのは「都市単位での洗脳解除ラインの常設化」だ。モルフェウスによって歪められた人々の認識を、正常な状態へと引き戻すための基盤作りである。
それは物理的な拠点を制圧するよりも遥かに困難で、繊細な作業だった。
「アテナ、進行状況はどうなっている?」
私が呼びかけると、コンソールに向かっていた妖精型のロボット、アテナが顔を上げた。
彼女の瞳の中では、膨大なデータの奔流が高速で明滅している。
「侵攻率は42パーセント。モルフェウスの支配領域ネットワークへ、学習データの汚染を開始したわ」
アテナの声は平坦だが、その作業内容は過激だ。
彼女はモルフェウスの認証システムに微細なノイズを混入させ、その支配力を内部から腐食させている。
さらに、デジタル空間の至る所に「現実回帰」への導線を設置していた。洗脳された人々がふとした瞬間に違和感を抱き、自我を取り戻すきっかけをばら撒くのだ。
「順調だな。だが、深入りしすぎるなよ。逆探知されるぞ」
「分かってる。私の計算を信じて」
アテナは短く答え、再び電脳の海へと没入していく。
彼女の戦場は、目に見えない情報の海だ。そこでは一瞬の油断が、全システムの掌握という致命的な敗北に繋がる。
一方、物理的な空の守りはセラフが担っていた。
上空数1000メートル。雲海の上を滑るように飛行するセラフは、広域センサー妨害を展開している。
『監視網の無力化を継続中。敵の通信中継ドローンを3機捕捉、これから排除する』
通信機からセラフの無機質な報告が入る。
彼はモルフェウス側の監視網を盲目にし、地上の私たちの動きを「見えない」状態に保っている。アテナのハッキングを物理面からカバーする、空からの目だ。
「頼む。派手に動きすぎて位置を悟られるなよ」
『了解。最小限の出力で処理する』
「レムナント、今の排除はどうやったんだ? レーダーには何も映らなかったぞ」
榊が驚いたように尋ねる。
「セラフのステルス・キルです。敵の通信波長に合わせてジャミングをかけ、孤立させてから狙撃しました。敵は自分が撃たれたことさえ気づいていないでしょう」
「……恐ろしいな。味方でよかったよ」
直後、モニター上の敵影が3つ、静かに消滅した。
セラフは音もなく、姿も見せず、ただ脅威だけを排除していく。
そして、この拠点の物理的な盾となっているのがベヒモスだ。
アジトの地下、サーバーファームへの入り口に、巨体が鎮座している。
厚重な装甲に覆われたその姿は、動かざる岩山のようだ。
「ベヒモス、異常はないか」
『……問題なし。小型の偵察機が数機接近したが、すべて迎撃した』
ベヒモスの声は重く、腹の底に響く。
彼は自ら動くことはほとんどない。だが、その防御範囲に侵入した敵は、瞬く間に鉄屑へと変えられる。
サーバーファームや通信ハブといった重要拠点を守るため、彼は鉄壁の防壁となり、敵を寄せ付けない。
自身の損耗を最小限に抑えつつ、「ここから先は通さない」という絶対の意志を示していた。
「よし。全員、持ち場を死守しろ」
榊が力強く頷く。
4人の遠征メンバーがいない今、私たちは限られた戦力で最大の効果を上げなければならない。
特に、アテナ、セラフ、ベヒモスは、並行して進められている大規模改修の最終調整段階にある。
完全な状態ではない彼らを運用しながらの防衛戦は、綱渡りの連続だった。
そんな中、新たな情報がモニターに警告音と共に表示された。
モルフェウス陣営からの広域放送だ。
『警告。ノア陣営による市民の誘拐・略取が多発しています。彼らは甘い言葉で市民を騙し、人体実験の材料として連れ去っています――』
合成音声によるプロパガンダ。
事実無根の偽情報だが、洗脳下にある市民たちにとっては、それが真実として響く。
モルフェウスは、私たちの正当性を揺さぶり、孤立させようとしているのだ。
「来たな。典型的な情報操作だ」
榊が苦々しげに呟く。
銃弾よりも厄介な攻撃だ。人の疑心と恐怖を煽り、私たちの活動基盤そのものを破壊しようとする。
「対抗します。人道支援のログと、救出された人々の証言映像を拡散してください」
私は即座にアテナに指示を出す。
嘘には真実を。
私たちがこれまで積み上げてきた救助活動の記録、笑顔を取り戻した人々の姿。それらを加工せず、ありのままの事実としてネットワークに流す。
「了解。拡散アルゴリズムを起動。敵のプロパガンダにぶつけるわ」
アテナの指先が鍵盤を叩くたびに、真実の光が情報の闇を切り裂いていく。
これは、人々の「心」を巡る戦いだ。
どちらが人類の未来を拓くのか。どちらが真に人を守ろうとしているのか。
「負けられないな。あいつらが帰ってくる場所を、無くすわけにはいかない」
榊が拳を握りしめる。
ガイアのコロニーへ向かった4人も、今頃命がけの旅を続けているはずだ。
彼らが希望を持ち帰ったとき、それを迎えるための土壌を守り抜くこと。それが、残された私たちの使命だった。
「ええ。それに、彼らの改修もようやく完了が見えてきました」
私は、モニターの向こうで戦う3機を見つめる。
実戦の中で調整を続け、彼らの性能は確実に向上していた。
アテナの処理速度は従来の1.5倍、セラフのセンサー有効範囲は2倍、ベヒモスの反応速度も大幅に改善されている。
この戦いが終わる頃には、彼らは最強の盾と矛として生まれ変わっているだろう。
「必ず守り抜きましょう」
私はモニターの向こうに広がる、沈黙した東京の街を見つめる。
見えざる戦線は、今夜も静かに、しかし激しく燃え続けている。




