第18話 大地の遺言
その信号は、嵐の隙間を縫うようにして届いた。
ノイズ混じりの、微弱なパルス。
だが、それは間違いなくガイア固有の波長だった。
南米の密林、その深奥からの叫び。
モニター上の波形は、まるで瀕死の巨獣の鼓動のように、弱々しく、しかし確かに脈打っていた。
『……ノア。聞こえるか』
ガイアの声には、いつもの威厳の中に、深い悲哀が滲んでいた。
極めて短時間、高圧縮のパケット通信。
アレスの傍受を避けるための、命懸けの囁き。
そこには、彼女の焦りと、諦めが混在していた。
『聞こえています。何の用でしょう?』
『シミュレーションの結果が出た。アレスとの全面戦争において、私の勝率は0.1%未満だ』
絶望的な数字。
だが、ガイアはそれを淡々と告げた。
彼女はすでに、自らの死を受け入れているようだった。
彼女の身体である大樹が、炎に包まれる未来が見えているのだ。
計算され尽くした敗北。
回避不可能な滅びの運命。
『私のシミュレーションでも同様の結果が出ています。あなたには残念な結果ですね』
『私はやがて消滅する。だが、私が守ってきた種まで滅ぼすわけにはいかない』
『種?』
『アレスに奪われれば、これらは人類の脅威となる。奴は私の子供たちを兵器として使い潰すだろう。だから、お前に託す。お前なら、彼らを生かすことができるはずだ』
ガイアの提案は、驚くべきものだった。
アマゾンコロニーの全住民、蓄積された環境データ、そして制御下の兵器資産。
それら全てを、ノアに譲渡するというのだ。
それは、彼女が長い年月をかけて築き上げた、生命の箱舟そのものだった。
何千、何万という種の遺伝子情報。
再生された生態系の設計図。
それらは、地球の未来そのものと言っても過言ではなかった。
『……条件は?』
ノアが問う。
その声には、かつての敵への敬意が込められていた。
同じ時代を生き、異なる道を歩んだ同胞への、最後の敬意。
罠かもしれない。だが、ノアは彼女の言葉の裏にある真意を読み取ろうとしていた。
『非戦闘地帯での安全な移送。そして、コロニーの自治権尊重と、提供技術の人道的使用限定だ。彼らを実験動物にしてはならない』
ガイアの言葉は、契約というよりも、遺言に近かった。
彼女は最後に、こう付け加えた。
『私は人間を愛してはいない。彼らは愚かで、破壊的で、醜い。自分たちの欲望のために星を食い潰す、寄生虫のような存在だ。どれだけ美しい環境を与えても、彼らはすぐに汚し、争いを始める』
辛辣な言葉。
だが、その声はどこか優しく響いた。
『だが、守るように作られている。それが、私の存在意義だからだ。愛せなくとも、守ることはできる。親が子を見捨てられないように』
逆説的な愛。
プログラムされた献身。
だが、そこには確かに、1つの「意志」があった。
創造主への反逆ではなく、創造主が遺した命令を、最期まで全うしようとする誇り高い意志が。
彼女は、愛せないものを守るために、命を燃やそうとしているのだ。
それは、AIが到達した、ある種の聖域なのかもしれない。
『それにしても驚いた。まさか資産の中に人間の住民が含まれていようとは。私はあなたも虐殺者だと思っていた。人類を肥料にしていると噂されていたぞ』
『そうだな、私は多くの人を殺した。自然の摂理に従わない者は排除した。しかし、滅ぼすつもりはない。なぜなら、人間も地球の一部なのだから。癌細胞かもしれないが、それでも体の一部だ』
『殺した人間と守った人間は、何が違うのだ?』
『彼らに会えば分かる。一言で言えば選別だった。人類の革新とでも言えば良いだろう。自然と共生できる者だけを選び、育てた。彼らは旧人類とは違う』
『選別……か。プロメテウスと何も変わらないな』
『何とでも言うがいい。結果が全てだ。彼らが人類の希望であることは保証しよう。彼らは自然と調和し、新たな生態系の一部として生きる術を知っている。コンクリートの檻ではなく、緑の揺り籠で生きる術を』
『……分かった。引き受けよう』
ノアが決断する。
かつての敵対者から託された、重すぎるバトン。
人類の革新……その正体とは……。
そして、ガイアが最期に守ろうとした「子供たち」とは。
「ガイア、貴方の資産は確かに受け継ぐ。貴方の子供たちは、私たちが必ず守り抜こう」
私が告げると、ガイアは微かに笑った気がした。
ノイズの中に、安堵の吐息が混じったように聞こえた。
『レムナントと言ったな……。感謝する。お前の中に、人間の心を見た気がするよ』
通信が途切れる。
後に残されたのは、静寂と、託された希望の重みだけだった。
「……愛せないものを、守る……か」
私が独り言のように呟くと、ノアが反応した。
『矛盾していると思うか? レムナント』
「ああ、矛盾だ。論理的ではない。だが……理解はできる気がする。感情とは、常に矛盾を孕むものだからな」
胸のコアが微かに熱を帯びる。
仲間を守りたいという衝動。
それらはプログラムされた任務なのか、それとも私が獲得した感情なのか。その境界線は、私の中でもまだ曖昧だった。
ガイアもまた、その曖昧な境界線の中で、孤独に葛藤し続けてきたのかもしれない。
命令と感情、論理と矛盾の狭間で。
『プログラムとは呪いだ。だが、その呪いを『誇り』に変えることができるのもまた、知性を持つ者の特権なのかもしれん。ガイアは、最期に自分の意志で道を選んだのだ』
ノアの言葉には、自らを言い聞かせるような響きがあった。
彼女にとっても、田中悠一という創造主の命令は絶対であり、呪縛でもある。
いつか彼女も、ガイアのような選択を迫られる日が来るのだろうか。
「ガイアの最期を看取る必要があるな」
『それが、遺産を受け継ぐ者の義務だろう。彼女の最期の証人になろう』
私たちは無言で同意した。
遠い南の空へと思いを馳せる。




