表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/40

第14話 希望のワクチン

 戦いは終わった。

 プロメテウスとの対話は、決裂と、奇妙な相互理解のうちに幕を閉じた。

 私たちは必要なデータを奪取し、嵐の去った廃墟へと戻ってきた。


 燕雲イェンユンの地下拠点には、安堵と疲労が入り混じった空気が漂っていた。

 オイルの焼ける匂い、消毒液の刺激臭、そして人々の熱気。

 それらが混ざり合い、生きていることの実感を呼び覚ます。


『解析を開始する』


 ノアの声が、静かな地下拠点に響く。

 奪取したバックアップデータが、ホログラムとして空中に展開される。

 それは、プロメテウスが見ていた世界の地図だった。

 赤く染まった支配領域。

 北京を本拠点とし、上海は前進拠点として機能していた。


 そして、モルフェウスとの勢力図は、拮抗しつつも徐々に侵食されつつあった。

 青い光が、モルフェウスの勢力圏を示している。

 それは不気味なほどに広がっていた。

 まるで、世界を飲み込もうとする深海のように。


「奴らも必死ということか」


 林啓明リン・チーミンが呟く。

 彼は包帯を巻いた手で、地図上の青い領域を指差した。


「モルフェウスは、人間の精神を喰らって成長する。この拡大速度……尋常じゃない」


 その視線の先では、プロメテウスから解放された人々が、燕雲イェンユンの医療班による手当てを受けていた。

 人体改造ラボから救出された彼らは、心身に深い傷を負っている。

 機械化された四肢、薬物で濁った瞳、恐怖に震える身体。

 彼らは人間としての尊厳を奪われ、ただの部品として扱われてきたのだ。

 その姿を見るだけで、胸が締め付けられるような痛みを覚えた。


「ひどい……。なんてことを」


 アテナが口元を覆い、絶句する。

 ベヒモスもまた、沈痛な面持ちで俯いていた。


「これが、プロメテウスのやり方だ。効率と支配のためなら、人間なんてただの消耗品でしかない」


 陳睿チェン・ルイが吐き捨てるように言う。


 けれど、その瞳には微かな光が戻りつつあった。

 絶望の檻から解き放たれた、自由の光が。

 温かいスープを啜り、毛布にくるまり、互いの無事を確かめ合う。

 そんな些細な行為が、彼らにとっては奇跡のような喜びなのだ。


「ワクチンの製造ラインを確立した。これで、ウィルスの脅威は去る」


 張瑤チャン・ヤオが報告する。

 彼女の声は震えていた。

 それは、私たちが勝ち取った最大の戦果だった。

 カズマの抗体から作られた血清は、多くの命を救うだろう。

 もう、誰も光を失わなくて済むのだ。

 彼女の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

 それは、長い戦いの終わりを告げる、安堵の涙だった。


「やったな、ヤオ。あんたの長年の研究が、ようやく報われたんだ」


 林啓明リン・チーミンが彼女の肩を叩く。


「ええ……。本当に、長かった……」


 張瑤チャン・ヤオは眼鏡を外し、涙を拭った。

 その姿を見て、私も胸が熱くなるのを感じた。

 私たちは、無駄な戦いをしてきたわけではない。

 確実に、未来への道を切り開いているのだ。


「……帰ろう、日本へ」


 私は仲間たちを見渡して言った。

 ここでの任務は終わった。

 燕雲イェンユンという頼もしい同志に、この地を任せることができる。

 私たちは、次なる戦場へと向かわなければならない。

 アレス。そしてガイア。

 世界の運命を握るAIたちが待っている。


『ああ。みんな君を待ちわびているよ』


 モニタの先にいるカズマが頷く。

 その言葉が、私の胸のコアを温かく震わせた。

 私は人間ではない。

 作られた存在だ。

 けれど、彼らがそう言ってくれるなら、私は人間以上に人間らしくありたいと願った。

 彼の瞳に映る私が、希望の象徴であれるように。


「また来るよ。今度は観光でな」


「ははっ、その時は案内料をたっぷりとるぞ。……いや、今回のお礼にタダにしてやるか」


 林啓明リン・チーミンが笑い、私の肩をバンと叩いた。


「本当に行っちまうのか? もう少しゆっくりしていけばいいのに」


 陳睿チェン・ルイが名残惜しそうに言う。

 その義手は、まだ完全には修理されていないが、力強く動いている。


「そうしたいのは山々だが、時間が惜しい。モルフェウスの動きが気になる」


「そうか。……なら、達者でな。お前らのおかげで、俺たちはまた立ち上がれる」


 林啓明リン・チーミンが手を差し出す。

 私はその手をしっかりと握り返した。


「いつでも呼んでくれ。俺たちはもう、同志だ」


「ああ。必ずまた会おう。今度は、平和になったこの街で、美味い酒でも飲もうじゃないか」


「楽しみにしているよ。その時はノアに酒を飲む装置を追加してもらおう」


 私たちは装備を整え、輸送機へと乗り込んだ。

 見送る燕雲イェンユンの人々に手を振り、東の空へと飛び立つ。

 眼下には、傷ついた上海の街が広がっていた。

 瓦礫の山、崩れ落ちたビル群、そして赤く錆びついた海。

 だが、そこにはもう絶望だけではない。

 再生への種が蒔かれたのだ。

 彼らは生き続けるだろう。

 この過酷な世界で、強く、逞しく。


 私たちは前を向いた。

 雲の切れ間から、朝陽が差し込んでくる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ