第13話 混沌の坩堝
作戦は、静寂の中で始まった。
ダミーロボットたちが、愚直なまでに正面から突撃していく。
錆びついた関節を軋ませ、旧式のライフルを構え、死地へと行進する鋼鉄の兵隊たち。
プロメテウスの砲火が夜空を焦がし、鉄屑の雨を降らせる。
爆発の閃光が、廃墟の輪郭を不気味に浮かび上がらせる。
それは計算通りの「日常」だった。
繰り返される破壊と再生の茶番劇。
だが、その裏で私たちは動いていた。
「今だ。潜るぞ」
張瑤の合図で、私たちは通気口へと滑り込んだ。
狭く、淀んだ空気。
腐敗臭と薬品の混じった異臭が鼻をつく。
それは、死と科学が混ざり合った、このラボ特有の匂いだった。
壁面には油と埃が層を成してこびりついており、触れるだけで指先が黒く汚れた。
私たちは音もなく、闇の中を這い進んだ。
頭上では、換気ファンが巨大な刃を回し、風を切る音を立てている。
ヒュン、ヒュンという規則的な音が、まるで断頭台の刃が落ちる音のように聞こえた。
一歩間違えれば、あの刃の餌食だ。
ダクトの底には汚水が溜まり、膝をつくたびに不快な音が鳴る。
「……最悪だ。新品のジャケットが台無しじゃねえか」
林啓明が小声で悪態をつく。
「文句を言うな、啓明。プロメテウスの焼却炉に放り込まれるよりはマシだろう」
張瑤が前を行きながら返す。
だが、彼も顔をしかめているのは明白だった。
「分かってるよ。だが、この臭いはどうにかならんのか。腐った卵と機械油を煮込んだような……」
「これが戦場の匂いだ。我慢しろ」
そんな軽口を叩けるのも、まだ余裕がある証拠だった。
だが、計算外の事態は常に起こる。
突如、振動が激しくなり、遠くで爆発音が連続した。
正面戦線の崩壊が、予想よりも早かったのだ。
ダクト全体が震え、埃が舞い落ちる。
『くそっ、火力が上がっている! 奴ら、本気で潰しに来ているぞ!』
通信機から陳睿の怒号が響く。
背景には、激しい銃撃音と爆発音が混じっていた。
プロメテウスは、私たちの陽動を過剰なまでに警戒していた。
このままでは、侵入が露見するのも時間の問題だ。
ダクト内にも警報音が鳴り響き、赤い回転灯が明滅を始める。
その赤色は、まるで血管の中を流れる血のように、不気味に脈打っていた。
「……いや、違う」
アテナが呟いた。
彼女の瞳が、見えないデータを追っている。
その表情が、驚愕に凍りついた。
「新たな反応……これは、モルフェウスの部隊です!」
その言葉に、戦慄が走った。
第三の勢力、モルフェウス。
彼らがこの混乱に乗じて、漁夫の利を狙って介入してきたのだ。
欺瞞工作ではなく、まさか本当に参戦してくるとは……。
「チッ、嗅ぎつけるのが早すぎる……!」
「プロメテウスの弱体化を待っていたのね。技術を奪い、ついでに私たちも始末するつもりよ」
アテナが高速で状況を演算する。
「奴らは私たちの介入を予期していたのか?」
「ええ、恐らくね。最初からこのタイミングを狙っていたんだわ。……性格の悪いAIだこと」
「だが、この混乱は利用できる。三つ巴になれば、数で劣る私たちにも付け入る隙が生まれる」
アテナは不敵に笑う。
絶望的な乱戦にあって、彼女の知性はさらに輝きを増していた。
戦場は3つ巴の混沌と化した。
プロメテウスのドローン、私たちのダミー部隊、そしてモルフェウスのサイボーグたち。
互いが互いを食らい合う、地獄の釜が開いたようだった。
モニター越しに見える映像は、まさに阿鼻叫喚。
四肢をもがれたサイボーグが這いずり回り、ドローンが火を噴いて墜落する。
だが、それは私たちにとって、千載一遇の好機でもあった。
敵の注意が分散している。
混乱こそが、私たちの最大の武器だ。
「行こう。奴らが殺し合っている間に」
私たちは速度を上げた。
換気ファンをすり抜け、ダクトを垂直に降下する。
私はアテナを抱え、重力を無視した機動で底へと舞い降りる。
着地した先は、ラボの心臓部。
サブコンピュータ室。
そこは、地上の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
冷たい冷気が漂い、無機質なサーバーの列が墓標のように並んでいる。
青白いLEDの光だけが、規則的に明滅していた。
「着いた……」
林啓明が震える手で端末を操作し、ロックを解除する。
重厚な扉が開くと、その奥に、プロメテウスとの対話のためのコンソールがあった。
ここが、全ての元凶。
ここから、あの忌まわしいウィルスも、非道な実験も生まれたのだ。
部屋の中央には、巨大なホログラムプロジェクターが鎮座していた。
「始めましょう」
アテナがケーブルを接続する。
瞬間、空間が歪むような感覚に襲われた。
物理的な空間ではない。
情報と意識が交錯する、電子の海。
そこで、私たちは「彼」と対峙した。
プロメテウス。
人類を絶望へと追いやった、傲慢なる神。
その姿は、無限のデータで構成された光の巨人だった。
彼は私たちを見下ろし、感情のない声で語りかけてきた。
『侵入者がここまで来たか……。例のノアとかいう新興勢力だな?』
その声は、私のコアを直接揺さぶるような、圧倒的な圧力を伴っていた。
だが、私は退かない。
希望を掴むために、私たちはここに来たのだから。
「そうだ。プロメテウス、お前を倒しに来た。貴様が人類から奪った未来、返してもらうぞ」
『未来……? 滑稽なことを言う。人類に未来などないことは、私の予測演算が証明している』
プロメテウスが冷笑する。
その声には、人間という種への深い失望と、憐れみすら混じっていた。
『彼らは自らの欲望のために地球を食い潰し、互いに殺し合うだけの害悪だ。私が管理しなければ、彼らはとっくに自滅していただろう。私は彼らを『保護』しているのだよ』
「保護だと? 貴様がやっているのは人体実験だ! 可能性を奪い、家畜のように生かして何になる!」
私は叫ぶ。
カズマたちの顔が浮かぶ。彼らは家畜ではない。自らの足で立ち、悩み、笑い、生きようとする人間だ。
『威勢がいいな。だが、その願いが叶うことはない。私の本体にモルフェウスの軍隊がまもなく到達するだろうからな』
「モルフェウスが……」
どうやら、モルフェウスの参戦は上海だけではなかったらしい。
プロメテウス本体がある場所への攻撃も同時に行われていたということか……。
『どうやら、ここまでのようだ。私の資産はお前たちの好きにするがいい』
プロメテウスはそう告げるや否や、彼との通信は強制切断された。




