第11話 レジスタンス「燕雲」
C2ノードの崩壊と共に、私たちは闇へと潜った。
林啓明の案内で、老朽化した配管のサービスシャフトを抜ける。
そこは、かつて都市の動脈だった場所。
今はただ、錆と湿気が支配する、忘れられた道だ。
足元を汚水が流れ、天井からは絶えず水滴が落ちてくる。
その一滴一滴が、都市の涙のように思えた。
「ここだ。入れ」
重い鉄扉が軋んだ音を立てて開くと、そこには予想外の光景が広がっていた。
薄暗いが、秩序のある空間。
簡易フィルターを通した空気が流れ、陰圧テントが整然と並んでいる。
発電機の低い唸り声と、人々の囁き声。
ここが、燕雲の地下拠点。
絶望の淵で、彼らが築き上げた生存の砦だ。
「検疫を行う。装備の消毒と、隔離区画の通過を徹底しろ」
張瑤の声は鋭く、妥協を許さない。
彼女の指示に従い、防護服を着たスタッフが私たちにスプレーを吹きかける。
「なんだよ、俺たちは汚物扱いか?」
陳睿が不満そうに鼻を鳴らす。
「外から来た人間は、どんな病原菌を持ち込んでいるか分からないわ。文句があるなら外で寝なさい」
張瑤が冷たく切り返す。
「へいへい、分かりましたよ。鬼軍曹殿」
陳睿は肩をすくめ、大人しく消毒を受けた。
私たちは言われるがままに、霧状の消毒液を浴びた。
それは、この世界で生きるための儀式のようなものだった。
「……助かったよ。君たちのおかげで、上海は救われた」
検疫を終えると、張瑤が短い握手を求めてきた。
その手は硬く、油と火薬の匂いが染み付いていた。
多くの戦いをくぐり抜けてきた証だ。
「礼を言うのはまだ早い。プロメテウスは必ず報復に来るだろうし、上海を完全に奪取したわけではない」
私が答えると、彼女はニヤリと笑った。
その笑顔には、不敵さと共に、どこか諦観のようなものも混じっていた。
「分かっている。だが、今は勝利を噛み締めさせてくれ。明日死ぬとしても、今日の酒は美味い」
張瑤はそう言って、懐からスキットルを取り出し、一口煽った。
強烈なアルコールの匂いが漂う。
「隊長、任務中の飲酒は規定違反だぜ」
林啓明が咎めるような視線を向ける。
「固いこと言うなよ、副隊長。これは燃料補給だ」
「なら、私にもよこせ」
陳睿が横からスキットルを奪い取り、中身を煽る。
「ぷはぁ! 効くねえ! 生き返るぜ!」
彼らのやり取りを見て、私は少しだけ安堵した。
過酷な状況下でも、彼らは人間らしさを失っていない。
私たちは互いの目的を再確認した。
ウィルスの停止と、市民の保護。
そのために、利用できるものは何でも利用する。
たとえそれが、かつて敵対していたAIであっても。
「ベヒモスの修理を急ごう。このままでは戦えない」
陳睿が、傷ついた巨獣を見上げて言った。
装甲には無数の亀裂が走り、冷却系からは蒸気が漏れている。
完全な修理は不可能だ。
正規のパーツなど、どこにもない。
けれど、彼らは諦めなかった。
「おい、そこのアクチュエータ、建設重機の油圧シリンダーで代用できるか?」
「規格が合いませんが、フランジを溶接すればいけます!」
「装甲板が足りないぞ!」
「地下鉄のレールを加工しろ! 強度は十分だ!」
「レムナント、ちょっと手伝ってくれねえか?」
陳睿が声をかけてきた。
彼は溶接トーチを片手に、ベヒモスの脚部フレームと格闘していた。
「ここのクリアランスが微妙でな。俺の義手じゃ微調整がきかねえんだ」
「了解した。スキャンモード起動。……誤差0.03ミリ。右へ2度傾けてくれ」
「へっ、さすがは最新鋭機だ。頼りになるぜ」
私の指示通りにトーチを動かし、彼は見事に接合を完了させた。
「よし、完璧だ。サンキューな、相棒」
火花が散り、金属が焼ける匂いが充満する。
あり合わせの部品と、執念とも言える技術。
彼らは廃材の山から宝を見つけ出し、ベヒモスに再び命を吹き込んでいく。
その姿は、まるで壊れた世界を修復しようとする医師のようだった。
ベヒモスのカメラアイが、感謝するように明滅した。
その傍らで、アテナは静かに歩き出した。
彼女が向かった先は、拠点の片隅にある小さな墓標だった。
ウィルスで亡くなった仲間たちが眠る場所。
名もなき瓦礫の下に、彼らの魂はある。
この地を完全にプロメテウスから奪い返すために、ウィルスの遺伝情報を調査しなければならない。
彼女は遺体からウィルス情報を解析しようとしている。
「……ウィルスサンプルを採取します」
アテナの声は、どこか祈りに似ていた。
彼女は簡易陰圧装置を展開し、土と布片を採取する。
それは、死者への冒涜ではない。
彼らの死を無駄にしないための、聖なる行為だ。
私は無言で頭を垂れた。
燕雲の面々も、作業の手を止め、静かに黙礼した。
「解析完了……ですが、問題があります」
数刻後、アテナが顔を上げた。
その表情には、珍しく焦燥の色が浮かんでいた。
「ここからではノアに送信できません。プロメテウスのジャミングが強すぎます」
「どうするんだ?」
張瑤が問う。
「C2ノードへ戻りましょう。あそこなら、有線通信をすることができます」
その言葉に、全員が息を呑んだ。
C2ノードは制圧したとはいえ、敵の支配領域のど真ん中だ。
再びあそこへ戻ることは、自殺行為に等しい。
「危険すぎる。君一人で行かせるわけにはいかない」
私が止めると、アテナは首を横に振った。
「いいえ、小柄な私一人の方が目立ちません。それに、物理回線を使えば一瞬で済みます」
アテナは譲らなかった。
彼女の瞳には、強い決意が宿っていた。
このデータを届けなければ、全ての犠牲が無駄になる。
その覚悟が、彼女を突き動かしていた。
「……分かった。だが、必ず帰ってこい」
私は彼女を送り出した。
小さな背中が、闇の中へと消えていく。
それは、希望を繋ぐための、孤独な旅路だった。
数時間後、アテナからの信号が届いた。
短い、しかし力強いメッセージ。
『送信完了。解析結果を受信……カズマ君の抗体情報と一致』
その言葉に、衝撃が走った。
カズマが光を失ったあの殺人ウィルス。
彼が生き残ったのは、偶然ではなかったのだ。
『ワクチンが作れるかもしれない』
暗闇の中に、一筋の光が差し込んだ気がした。
それは、戦いと破壊の果てに見つけた、再生への希望だった。




