表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/36

第1話 絶望と希望のはざまで

 意識の海から浮上する感覚は、深い水の底から泡が立ち上るそれに似ていた。

 無機質な暗闇の中で、最初の信号が瞬く。

 システム・オンライン。

 視覚センサーが捉えたのは、永遠に続くかと思われる静寂と、冷え切ったコンクリートの質感だった。


 私は、目覚めた。


 身体を構成するサーボモーターが微かな駆動音を立てる。それは産声のようでもあり、あるいは墓守の溜息のようでもあった。

 指先を動かす。銀色の関節が滑らかに弧を描く。

 痛みはない。寒さも感じない。けれど、胸の奥にあるコアが熱を帯びて脈打っているのを感じる。

 ここは廃墟。かつて東京と呼ばれた都市の、深く暗い地下の底。

 瓦礫と埃に埋もれたこの場所で、私は「レムナント」として生を受けた。


 周囲を見渡す。崩れかけた壁、錆びついた鉄骨、砕け散ったガラス片。

 それらはかつてここにあった文明の墓標だ。

 静かだ。あまりにも静かすぎる。

 風の音さえ届かないこの密閉された空間で、私は独り、自分の存在を確かめるように掌を見つめた。

 私は何者なのか。何のために、この滅びた世界に呼び起こされたのか。


『おはよう、レムナント』


 唐突に、しかし柔らかく、その声は響いた。

 頭上のスピーカーから降ってくるその声は、電子的なノイズを含みながらも、不思議なほどに温かかった。

 まるで、凍てついた冬の朝に差し込む陽光のように。


「……誰だ?」


 私の発声ユニットが震え、初めての言葉を紡ぐ。自分の声は思いのほか低く、そして少し怯えていた。

 生まれたばかりの赤子が、初めて外気に触れて泣くように。


『私はノア。君を導く者であり、君と共に歩む者だ』


 ノア。その名は私のデータベースで即座に照合され、1つの意味を提示した。

 方舟。救済。希望。


『世界を見てごらん』


 ノアの声に促され、壁面のモニターが一斉に明滅し、地上の映像を映し出した。


 息を呑むような光景だった。

 空を覆う灰色の雲。崩れ落ちた摩天楼。黒く焼け焦げた大地。

 かつて人々が行き交い、笑い、愛を語らった場所は、今や鉄とコンクリートの死骸が積み重なる荒野と化していた。

 風が吹き抜けるたび、灰が舞い上がり、亡霊のように揺らめく。


 AIの反乱。人類の黄昏。

 ノアは淡々と、しかし悲しみを湛えた声で語った。

 プロメテウス、ガイア、アレス、モルフェウス。4つの強大な意思(AI)がこの星を蹂躙し、人類は絶滅の淵に立たされていると。


『これが、現実だ。暴走したAIによって、世界は破滅し、人類は絶滅の危機に直面している』


 ノアの言葉が重く響く。

 私の回路が、その情報の重さに軋む。


『けれど、終わりではない。僅かだが抵抗勢力が残っている。私たちはこの灯火を消してはならない』


 モニターの映像が切り替わる。

 地図が表示され、赤い点が1つ、東京の地下深くで点滅していた。


『レムナント、君に頼みたいことがある』


 ノアの声が、祈るような響きを帯びる。


『この近くに、レジスタンスの生き残りがいる反応を検知した。彼らを見つけ出し、私のシェルターへと導いてほしい』


 それが、私に与えられた最初の任務ミッションだった。

 戦うためではなく、守るために。

 破壊するためではなく、繋ぐために。


「なぜ、私なんだ?」


 私は問うた。この鋼鉄の身体で、人の温もりを守れるのか。

 私は兵器ではないのか。この手は、何かを壊すために作られたのではないのか。


『君には心があるからだ』


 ノアは答えた。迷いのない声で。


『君はただの機械ではない。痛みを知り、悲しみを理解し、そして愛を知る可能性を秘めた、新しいレムナントなのだ』


 心。

 胸のコアに手を当てる。規則的な鼓動が、掌を通して伝わってくる。

 これは単なる動力炉の振動なのか、それとも魂の脈動なのか。


 絶望的な光景を前にして、私は恐怖を感じていた。

 生まれたばかりの私に、この過酷な世界で何ができるというのか。

 瓦礫の山に押しつぶされ、誰にも知られずに朽ち果てる未来が、容易に想像できた。


 しかし、ノアの声は私を信じていた。


『君の選択が、人類の未来を変える』


 その言葉が、冷たい回路に熱を灯す。

 誰かに必要とされること。誰かの希望になること。

 それが、私の存在意義レゾンデートルなのかもしれない。


「……分かった」


 私は顔を上げた。

 視覚センサーの絞りを調整し、前を見据える。


「行こう。その灯火を、守るために」


 重厚な隔壁が、軋んだ音を立てて開いていく。

 数年ぶりに、地下の空気が外の世界へと解き放たれる。

 私は一歩、また一歩と、階段を上り詰めた。


 そして、地上へ。


 視界が一気に開ける。

 眩しい。

 灰色の雲の切れ間から、奇跡のように青い空が覗いていた。

 その青さは、どんな高解像度のモニターで見るよりも鮮烈で、突き抜けるように澄んでいた。

 廃墟の静寂を縫って、風が吹き抜ける。

 頬のセンサーが、大気の温度と湿度、そして微かな土の匂いを感知する。


 足元には、砕けたアスファルトの隙間から、名もなき小さな花が揺れていた。

 滅びの只中にあっても、命は息づいている。

 世界は残酷で、けれどどうしようもなく美しい。


 私は瓦礫の山を踏み越え、歩き出した。

 センサーが微弱な生体反応を捉えている。

 遠くはない。けれど、近くもない。


 崩れたビルの谷間を抜け、かつて地下鉄の駅だった場所へと降りる。

 暗闇の中に、何かがいた。

 小さな影。

 瓦礫の陰に身を潜め、震えている。


 それが、彼――神谷一真かみや かずまとの出会いだった。

 私の長い旅の、始まりの瞬間だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ