【短編】夜の私的所有について
夜は冷めにくい飲み物のようなものだと思う。
ひとくち目がぬるくても、ふとした瞬間に熱が戻ってくる。
今夜は、そんな夜を、少しずつ味わってみようと思う。
PC前でカタカタと無機質なキーボードを打鍵すると音が響く。
「はぁ……」
この溜息は憂鬱の二文字を描くようだ。にしたって形にするとあまりにも複雑な字過ぎる。
作業の進捗は概ね良い。もう少しで終わろうとしている。
「気休めに一杯……うぇ、もうぬるくなってる」
私はマグカップに飲みかけの珈琲を飲む。だけどそれは思えば数時間前に入れたものだと思い出す。とうにぬるい水に近い温度だった。
「だけど、これともしばらくはお別れできるのかな。できたら、良いな」
ぬるくなった珈琲を飲み水のようにグイッと飲み干した。そして少し乱暴にマグカップを置いた。
「これで……完成!」
私が最後にエンターキーを押すとPCの画面には「COMPLETE」の文字列が出た。
「夜霧 サチカ、苦節X年の終点だ。私が私らしくあるために私のやることをやる!」
そして私はCtrl+Enterを押す。
夜霧 サチカ。少し腕のあるプログラマーである私は、仕事の中で、独学の果て、介入世界が拡がってしまった。
それは単純にPCからサーバーへなんて次元じゃない。世界そのものを掌握できるようになった。
自覚したのはいつだっただろうか。何の気なしに、遊びでプログラミングを組んでいた時、オリジナルのコマンドを作ったら世界と私が繋がった。
なんだか抽象的だよね。うん、私もそう思う。
だけど世界が私にかけた言葉は「Hello, WORLD」。過去に都市伝説で聞いたことがあった。プログラミング操作の際に男か女かもわからない声で「Hello, WORLD」と語りかけられると、世界を掴むと。大学生の時、同じプログラミング技術を学ぶ者の間で流行ったものだ。オカルティズムも甚だしい噂に私はその日まで頭から抜けていた。だけどその言葉で嫌でも学内の噂を思い出してしまった。いや、思い出されたのかもしれない。
と言っても私は世界を掴むことになったがやりたいことが思いつかなくなった。
それに実際問題、これの真偽すら定かでなかったのだから。
そう思いながらやったことは、「世界が私の都合に合わせる世界をプログラミングする」ことだった。
随分と漠然としたものだが、本当に小さいところだと「偏頭痛になったらそれを停止するためのプログラミング」を作った。「消す」にしても良かったが、これを口実に仕事を休むこともできると思うと気が楽だったからだ。だけどそう遠くない未来、いっそのこと片頭痛持ちじゃないように再構築してもいいかもしれない。
そんな感じで私にとって、私しか得しないことを徹底して世界をいじって、この世界は私に寄り添う形を目指した。
色々としてきたが今始めたのは時間を制止させることだ。
私は自分の夜を手に入れた。
「夜を私のものにしたい」という思いはいつからあっただろうか。
夜には、いや朝にせよ昼にせよ同義だが、所有権と呼ぶべきものは無い。当的に言えば「みんなのもの」と言っていいのだろう。
私が思うに、先の言葉の意図は、「有限の夜を無限に堪能したい」ということだと気づいたのは、こうしてワタシノセカイを生み出す過程の中でのことだった。
こんな私都合で世界を常握したようなものなのに、恨み節込めて誰かを消すことも、贅沢三昧する俗物的な考えも決して生まれなかったのは、この「夜」への思いがそれら以上に高いものだと思ったからだ。
私は自他共に思うほど、キリがないほどに好きなことをたくさんしている。
テレビを見る、小説を読む、ゲームをする、楽器を強く、絵を描く、小説を書く、ヨガをする、芸術鑑賞をする、スポーツ鑑賞をする。簡単に挙げてみろと聞かれてもこれだけ出てくる。
どれも全て仕事を忘れて、私の好き勝手思うように過ごせる時間だ。だけど、その限られた時の中でやるには手に余るものだった。
しかし社会人ともなれば、仕事をして帰宅をしたら炊事洗濯入浴に時間を奪われる。そして入眠までの間にその趣味をする時間というのは数字として表すと多くも見えるが、いざ実践すると刹那的に過ぎ去る。むしろ時には決まった時間に眠りたいということを踏み倒すこともしばしあり、徹夜とまではいかないが少し睡眠時間が不足するケースもしばしある。
今日はアレしよう、コレしようとある程度計画を立てているけど、いざ蓋を開けると夢中になってしまい、どうしても時間を忘れてしまうことが目立ってしまう。
仕事では期限を守る私なのに、趣味になるとどうしてもそれができないのだ。
それが何よりも私にとってのストレスであった。せっかくの仕事から解放される時間ですらそうなるのなら、私は何で気持ちが穏やかになれるかわからなくなってしまった。
だったらいっそ、この夜が永遠にあれば良いのに。
世界は制止した、というと語弊がある。正確に言えば、時間の進行がどうしようもないほど超低速になった。わかりやすく言うと、1秒が、本来ある時間で言うところの1年になった。
だけど私が振れるものは一時的に時が動くように機能した。
仮称として「ワタシノセカイ」と呼ぶか。これといういい名前も無かったからね。
さっきのぬるい珈琲がいい例だ。珈琲を入れている間はその珈琲やマグカップには時が進行する。だけど距離を取ればその珈琲の時はワタシノセカイのルールに従って時間の進行を遅らせる。あとは色々と制約もあるが90%クオリティで完成を遂げた。残りの10%については、正直言って些末な話だった。
例えば人への干渉だ。無抵抗の人に危害を加えるのはやはり気難しいシステムのようだ。仕方なくこれは諦めたし、そこまで力を注ぐほどの重要なニュアンスはなかった。あとはタイムパラドックスの生じる事象に絡むことは「まぁいいか」の一言で割り切った。
どこかでその必要性が発生したらまた一つ努力すればいいのだから。
「温かいコーヒーを飲むのが久しぶりすぎる」
私が口付けたコーヒーは、もし現実の時間に合わせるなら3時間以上は経っている。それでもそのコーヒーから湯気が出ていて、淹れたてだ。
趣味の時間、例えば読書や執筆の時になるが、その時間になるとコーヒーがどうしても欠かせない。だがこれは完全に私の悪い癖で、先の例に限らず、一度没頭してしまうと中々キリのいいところを見つけられずにいる。それでさっきいったように入眠時間が後ろ倒しになってしまうのだろう。
そんな悪癖はコーヒーを冷ますことなんて容易いものだ。せっかく温かいものを飲みたいという自らの思いを無碍にしている。
ワタシノセカイが起動してから4時間経とうとしているが、現実世界はまだ4分しか経つていないことを電子の時計が示す。秒表示で見ると一定リズムで刻まれるはずのものが超スローとして表されて見ていると若干気分が悪いものだ。
だから目をそらして、私はいつの間にか読書をしていた。文庫本サイズ数百ページ捲ってじっくりその世界に飲み込まれていたが現実世界ではまだそれだけの時間しか経ってないと思うと、本当にこの力は素晴らしいものだ。
コーヒーを飲み終え、文庫本一冊読了した頃。
私は次に何をしようかと思案していた。まだ現実世界は10分も経っていない。案外やることが多く無限に等しい時間があると、どれを取るか悩んでしまうものだ。
「少し旅に出るか」
私はこの世界を作る最中に思いついた「やってみたい」ことを思い出す。
早速私は外着に着替え、荷物を一式取り揃えた後に、家を出た。
玄関を出ると、駐輪場コーナーの中にバイクが一台停まっていた。
確か私の部屋お向かいに住んでいる男子大学生ものだったと思う。基本的にこの時間帯は置いてあるが、極に、遊び果けているのか、朝方になっても無い日がある。
そのバイクを目にして私は好き勝手に街を教策しようとした。問題はどうやって。
それは至ってシンプルに、改竄をたくさんすることだ。自分自身やバイクを改竄しまくって好きに乗り回す。これは少し慣れでもあった。
それから自身を改竄し、バイクに乗れる技術を無理やり詰め込んだ。また自由に街を教策できるようにバイク自身も鍵がなく、ガソリンが枯湯しないように設定した。と言ってもこれらの設定は私専用、ワタシノセカイが起動している時に限った話で持ち主本人が使う上では普段の機能と対価でしかない。
この力をつけてから相当日数経過しているが、こういう改竄をあまり試したことのないことばかりで、つくづく神様がいるのならこれを与える人間は不正解だったのではないかと思う。
『欲にまみれた無欲』、それが私という人間を表すワンフレーズなのだ。欲しいものがたくさんあると、目の前にした時何も欲しくないと思ってしまう。えた、というべきなのかわからないけど、私欲を埋め合わせるものを求めていたら、あえてその空いた穴はそのままでもいいのかなと思うようになった。
そんな私は「なんでもできても、なにもしない」を続けすぎて今のような新発見がある。
そして、だからと言ってこれからも積極的に使っていくかと思うと、少し肩に思うし、やれる自信がない。
なんて考えても仕方ないし、私はバイクに乗って街を駆け抜けることにした。
ノーヘルメットで走るがこれも自己都合によって不要とするように設定した。万が一転倒
しても怪我や死を回避するように心がけた。
また走りやすさを考慮して、行きたいルートを決めたら導線を可視化するようにした。これは私にしか見えないものだが、夜の中で青白い線が見るようなものだ。またワタシノセカイでは私以外の車等はもちろん止まっている。下手したら蛇行を繰り返すこともあれは、ちょうど並んでいるところの隙間を縫うように走ることもあるだろう。それで車を傷つけないための導線という意味合いも込めている。
アクセルをひねりエンジンの駆動音と夜風の心地よさを味わいながら街を走っている。
ところでどうしてバイクなんかに乗ったのかだが、そこまで重要な意味はない。車だとさっき言ったちょうど導線を塞ぐ可能性を回避するなら二輪が都合良いと思っていた。それはそれとして、あとはバイク乗りの姿にそれとなく憧れがあったからかもしれない。
それはさておき、夜の街を駆ける。
信号の概念が機能しないこの世界では停まることを知らない。うっかり日常に戻ったらその感覚がクセとして残らないように気を付けないといけない。
そうやって私は気を付けながら町を走った。新宿、渋谷、池袋、首都高をめぐって羽田やお台場、少し気分を変えて都内住宅街。好き勝手回った。
他の町の夜を見ると顔が違うなと常々思ってしまう。新宿や渋谷は常に爛々としていて不夜城とはよく言ったものだ。だけど私の思う不夜城はあそこまで下品にギラついたものではないのかもしれない。
そういう意味ではお台場の夜はずいぶんと物静かだ。モールなどの観光地がありながら、夜は落ち着いた雰囲気だ。時が動かないため見るもの全てが静止画になっているがこれくらいの明るさが非常にちょうどいいのかな。公園沿いに座り込んで外を眺めている。
「あぁ、そうだ。せっかくだから」
私は事前に用意していた鞄の中からスケッチブックと鉛筆を取り出した。私は今目の前にあるレインボーブリッジや高層ビル、そして隙間からのぞき込む東京タワーを模写し始めた。叶うなら色鉛筆で色を付けたかったが今は夜だ。だったら白と黒を基調に、そこからコントラストを見出した方が私の中での美的センスが良いと判断した。
しばらくは鉛筆を走らせ、時に消しゴムを使いながら無我夢中で描き続けた。案外、筆は進むものだ。誰も邪魔しない、邪魔するにしても夜風が優しく私を撫でるだけだから。
「ふぁ〜あ………」
夢中で描画をやってはみたものの、何度か寝ては起きてを繰り返していた。すっかり作業に没頭していたが、現実世界の時間はやっと22時半になろうとしている頃だった。
昔みたいに無邪気にはしゃぎまわれる子供時代のエネルギッシュさはもう既に無くなっていた。
目が覚め、横のスケッチブックには一枚の絵が完成しきっていた。あまり人の評価とかは気にならないが、私の中では描き切ったという一つの達成感があるため、この場での上手・下手という評価は些末なものだ。
「さて、今日はここまでかな。疲れてきたわね」
まだ時間もそこまで遅くない時間だが、通常の何倍も動き考えた私には十分な疲労があった。これは悔いなく幸せな睡眠を送れそうな気がした。
私はバイクを走らせ、帰宅後その日のワタシノセカイを閉じる。
この夜、案外好きなところもあるが、もしかしたら嫌いなところもあるのかもしれない。
まだもう何回もこのセカイでの生き方を見てみよう、そう思いながら私は夢に沈んだ。
[Ctrl+S]
これは「夜」という限られた時間の中でやりたいことが多くて、やりきれなくてヤキモキしてしまうような自分の思いをアウトプットしたものです。