表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お台場独立戦争  作者: 陣頭二玖
第一幕
2/24

血と暴力の生放送

── 9:25 白石颯太(オフィスフロア・東京ベイシティ22F・新橋)


 社内チャットの通知音が止まらない。

 「ネット切れた」「橋が封鎖されたらしい」「警察がいる」「銃声?」

 どこから集めてきたのか、社員の一人がSNSのスクショを貼り付け始めた。

 誰かがぼそっと言う。「これ、やばくないか……?」


 フロアのあちこちで椅子が引かれ、誰かの立ち上がる音がする。

 マウスを握ったままの手が止まり、モニターの画面を見つめたまま、みんなが何かを探していた。

 そのとき、部長が声を上げた。


「誰か、テレビ。ミーティングスペースのやつ、まだ映るだろ。つけてくれ」


 ざわりと、空気が動いた。


 ミーティングスペースの壁に掛けられたモニターが、ふっと切り替わった。

 リモコンを手にした誰かが、地元局やキー局を順にザッピングしていく。

 どこも通常の番組を中断し、速報テロップを流しながら、落ち着いた声で「情報収集中」と繰り返していた。

 騒がしくはない。だが、画面の向こうもすでに空気が張りつめているのがわかる。

 そんな中、ひとつのチャンネルにざわつきが起きた。


「……これ、お台場テレビだ」



 画面が切り替わる。

 左上に、小さな白字のテロップが出ていた。

 《少し前の映像|レインボーブリッジ上》

 ハンディカメラのブレた映像。風の音。ピンマイク越しの荒い息遣い。

 橋の上にトラックが何台も立ち往生し、行く手を遮るように黒い車列が道を塞いでいた。

 画面の端で、黒服の集団が静かに動いている。


「……回して。今すぐ。音も、拾って」


 ディレクターの声は低く、張り詰めていた。


 少し遅れて、マイクを握る若いアナウンサーの声が入った。

 息を整えながら、視線をさまよわせるようにカメラの横に立つ。


「現在、レインボーブリッジ上では……交通が遮断されており、詳細は確認中ですが……複数の車両が足止めされている模様です。黒い車列は……おそらく、何らかの組織的な動きが——」


 言葉がかすれた。


 視界の奥、道路の向こう側で、大型トラックのドアが乱暴に開いた。

 ドン、と響く音。足早に歩いてくる男がいる。反射ベストに作業着、怒気を含んだ顔。

 彼は通行止めになった橋の上で足止めされたドライバーらしかった。


「ちょっと! あれ、マイク拾ってる?」

 カメラの後ろで誰かが言う。現場音声はざわつき、風の音と共に男の声が大きくなっていく。


 「おい! なんだその車は! 通す気ねぇのか、ここどこのもんだ!」


 男は中継クルーのすぐ横を通り過ぎた。

 息を巻き、腕を振り上げながら、黒服の集団へ向かってまっすぐに進んでいく。

 アナウンサーが一歩下がる。「止めたほうが——」と言いかけたそのとき、若いADが慌てて追いかける。


「すみません! ちょっと危ないです、戻ってもらえますか!」


 男は振り返らない。

 橋上に並ぶ黒い車列へ、怒鳴り声をぶつけながら歩を速める。


「無視すんじゃねえよ! 誰がこんな——おい、てめぇら!」


 黒服の数人がわずかに体勢を変えた。

 その中の一人が、ほんの少しだけ左腕を持ち上げるように見えた。

 その意味は、中継クルーにも、画面越しの視聴者にもわからなかった。


 ——パアンッ、パアンッ!

  

 音がした。

 乾いた、しかし鋭く芯のある破裂音が二度。

 反響がレンズを震わせる。


 男の体が前のめりに傾き、膝から崩れ落ちた。

 作業着の背中が破れ、大きく血が噴き出す。高圧で吹き出したような鮮やかな赤。

 

 高速弾は、命中するとわずかな時間で回転しながら人体内部を破壊し、出口側では着弾点の数倍の損傷を生じさせる。

 内臓が破裂し、骨が砕け、筋肉がえぐられる。そう設計されている。

 

 トラックのタイヤが血を弾き、路面に飛沫が散った。


 ADが叫ぶ。

 「……撃たれた!」

 アナウンサーの口が動いているが、声が出ていない。


 映像が激しく揺れた。

 地面、空、誰かの背中。カメラは転げ、また持ち上げられ、呼吸の荒さがピンマイクに乗る。

 通行止めにされていた車列から、人々が叫び声をあげて走り出す。


「撃ったぞ! あれ本物だ、逃げろ!」

「うそだろ……死んだ、あの人……!」

「マジかよマジかよマジかよ!」

「やばいって! 車、車動かして!」

「こっち来てる! 早く早く早く!」


 ドアを開けたままの軽トラック。落ちた買い物袋。

 走り去る靴音と泣き声が交錯する。誰かが車の下に這い込み、別の誰かは荷台から飛び降りた。


 中継クルーの誰かが怒鳴った。「伏せろ! もう録らなくていい!」

 だが録画は止まらなかった。

 画面の端に、動かなくなった運転手の背中が小さく映っていた。

 その向こうで、黒服の集団がゆっくりと前に歩き出す。


 「これ——今すぐ送って! 生放送、回線生きてるうちに!」


 ディレクターの声が響いた。怒号ではない。はっきりとした命令だった。

 そして短く言い添える。


「お前らは逃げろ。カメラは置いてけ。切るのは、俺がやる」


 その直後、画面が揺れた。黒服の一人が、カメラの方にゆっくりと顔を向ける。

 手にした銃が、ためらいなくこちらを狙う動きを見せた。


 ——パンッ。


 音が一つ。何かがはじけるような、鋭く割れる音。

 カメラが跳ねた。視界がぶれ、地面を向いたまま倒れ込む。

 舗装されたアスファルトに、赤黒い液体がぱっと飛び散る。

 濃く、粘り気をもって、にじむようにレンズの端へ広がっていく。


 靴の裏がその中を踏み、肉が擦れるような音がノイズの向こうから聞こえる。

 血と油と埃が混じった匂いが、画面越しに伝わってきそうだった。


 カメラのレンズに、誰かの手の影が一瞬だけ差し込む。

 だが、それもすぐにふっと外れ、映像はそのまま静止した。


 映像が止まったまま、音も途切れた。


 

 切り替わった先のスタジオでは、誰も言葉を発していなかった。

 カメラはワイドショーのセットを映している。明るい照明。ポップな小道具。

 その中央で、司会のアナウンサーが口を半開きにしたまま固まっていた。

 長い沈黙の末、彼はようやく喉を鳴らし、声を絞り出すように言った。


「……今の映像は、おそらく……現在確認中の、ええと、映像で……」


 その言葉は、誰にも届かなかった。

 隣のお笑い芸人が目を見開いたまま動かず、コメンテーターの一人はカンペを見ることすら忘れていた。

 もう一人は、手元のメモを握りしめたまま、無言で下を向いていた。

 音が、まるで吸い込まれたかのようだった。


 長い沈黙のあと、コメンテーター席の端に座っていた政治学者が、メモを握りしめたまま、言葉を絞り出した。


「これは……これは明らかに、国家の主権に対する武力の行使であり……ええと、つまり……」


 その言葉が途切れるのと、ほぼ同時だった。

 スタジオの奥、セット裏の扉が音もなく開く。


 悲鳴があがった。


「来た……!」「やばい、やばい、カメラ止めろ!」


 スタッフが一斉に動き出す。照明が一部落ち、カンペが舞い、誰かの転倒する音が響く。

 黒服の影が何人も、無言でスタジオに入り込んでくる。

 明るいテレビ空間が、じわじわと異物に侵食されていく。


「立ってるな、撃たれるぞ!」と誰かが叫んだ。

 銃声。——パンッ。短く乾いた音。

 その瞬間、カメラが大きく揺れ、床と天井が切り替わる。


 芸人が椅子の下に隠れ、アナウンサーが震える手でマイクを外そうとする。

 ADの一人がプロンプターの陰に飛び込み、別のスタッフが「中継切って! 今すぐ切って!」と絶叫する。

 もう一発。短い銃声。誰かの息が止まったような音が、静まり返った空気の中に沈んでいく。


 画面が乱れた。ノイズが走り、色がじわじわとにじみ始める。

 カメラが地面に落ち、レンズ越しに転倒したスタッフの足が映る。

 その後ろで、無言の黒服たちがゆっくりと歩いてくる。


 レンズに光が反射し、白く滲んだ。

 そして、何の合図もなく、白・黄・シアン・緑・マゼンタ・赤・青の縞模様が、画面を機械的に埋め尽くした。

 音も映像もない、色だけの無音の試験信号。

 何が起きたのかを何も語らず、だがすべてを物語っていた。


 ミーティングスペースは、深海のように静まり返っていた。


 壁のモニターには、まだ試験信号が映っている。

 誰もが立ち尽くし、声も動きもなかった。

 コーヒーを持ったままの同僚、椅子から半ば立ち上がった上司、スマホを見つめたままの若手社員。

 誰も画面から目を逸らせなかった。


 颯太も、その無音の映像を黙って見つめていた。

 説明も、警告も、声明もない。ただ、放送だけが続いていた。

ここまで読んでくださりありがとうございました。




もし楽しんでいただけたら、ブックマークや評価をしていただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ