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お台場独立戦争  作者: 陣頭二玖
第二幕
13/24

接続試行

── 21:55 永田隆一(国家安全保障会議民間協力者接触チーム・首相官邸B3F)


 お台場の“中”は、いまだ不透明だった。衛星写真はある。偵察機も飛んでいる。ドローンによる周辺の偵察も、一定の成果は上がっている。

だが、問題はそこではない。映っているのは建物の配置と、移動する“兵力らしきもの”の影だけだ。

 どの地点に、どれだけの民間人が取り残されているのか。地下鉄の閉鎖区間に逃げ込んだ者は? タワーマンションの高層階に残っている家族は?あるいは──すでに命を落とした者は? 市民の姿は、未だに見通せない。

 都市戦は複雑だ。高層ビルの陰、地下駐車場、高架の下。空の目から隠れる場所はいくらでもある。敵戦力の概要も、展開状況も、そして指揮系統も、何かが欠ければ奪還を試みる自衛隊の損害は増えるだろう。


 永田隆一は、その事実を重く受け止めていた。


 見えるはずのものが、見えない。それは、敵が「見せない」ことを選んでいる証明でもある。そしてそれは、政府の判断を常に一歩遅らせる。戦略として、最も厄介な封鎖の仕方だ──情報の欠落。それだけで、武力に勝る。情報機関の一員として、プライドを傷つけられた思いだった。


 そんな中で、一本の線がつながった。


 白石颯太。警視庁捜査一課から届いた報告書は、短く、正確だった。


氏名:白石 颯太しらいし・そうた

年齢:31歳

職業:通信会社 技術部門 所属。都市インフラ整備の現場対応経験あり

備考:

•お台場エリアの首都圏臨海共同溝に関する知見が深いとの情報あり

•封鎖当日、「ふうりん丸」に便乗し海側より潜入したものと思われる

•妻(妊娠中)が、現在も辰巳フラッグ高層階にて待機中と思われる


 永田はモニター越しに、名前の横に付された地図マーカーを見た。J系列──臨海共同溝の第17区画にある中継ポイントの直上。そこに偶然、社用スマートフォンが接続した。利用回線は、通信会社の保守回線──OOBライン。本来はネットワーク設備の点検用に構築された閉域経路。地上の通信網が断たれた今となっては、唯一“内側”と結ばれたルートでもある。 偶然の接続。だが、接続したのが白石颯太である時点で、それは偶然以上の意味を持つ。


 首都圏臨海共同溝への潜入プランはすでに却下されていた。迷路のようにあえて複雑に組まれた見取り図に特殊作戦群と陸上総隊は No を突き付けた。きちんとした攻略計画を立てるのであれば、計画立案と演習には即席であれ1週間はかかる。それでは時間がかかりすぎる。

 その、首都圏臨海共同溝のスペシャリストが、その中にいる。


 ──永田がその事実に耳にした瞬間、静かに背筋を伸ばした。


 これは希望だ。予測ではない。現実として、目の前に“線がつながっている”。彼は、お台場という暗幕の中に、初めて「言葉が届くかもしれない場所」を見出した。正確に言えば──「言葉を、最小限のリスクで投げかけられる人物がいる」それが、どれほど貴重なことかを、永田は誰よりも知っていた。


 OOB経由の通信は、民間インフラ側の設計としては比較的旧式で、暗号化も限定的だ。ただ、経路は短く、回線は閉域。敵に読まれる可能性は低い。だがそれでも、通話を鳴らせば音が出る。通知が出る。光が漏れる。共同溝の内部がどうなっているかは、いまだ不明のまま。敵兵力が共同溝内に配備されていたら。そして白石颯太が見つかってしまえば……よって、そこが、作戦上、最もデリケートなポイントだった。


 音を出すな。光を出すな。だが、届く方法を考えろ。


 その命題を受け、永田は作戦室に背を向けて立ち、ディスプレイ越しに作戦班に告げる。


「接触を開始する。白石颯太──この男に、我々の存在を知らせる。だが、彼を驚かせすぎるな。敵ではない。だが、警戒はするはずだ。敵に気づかせるな。無人の共同溝は、音が簡単に響く。手段は……慎重に、そして確実に選べ。この糸は、簡単に切られる」


 振り返った彼の目には、いつもの温度のない光が宿っていた。だが、その奥には、“暗闇の中でようやく見えた誰か”への、静かな高揚が確かに存在していた。


 会議室の空調は少し低めだった。長机の上にはラップトップが5台。壁面には共同溝の簡易地図と端末位置推定図。中央には永田。向かって左に警視庁サイバー対策課、経産省の情報通信技官、陸自のサイバー防衛隊メンバーに防衛装備庁から春日部が。右側には白石のサポートを担当するメンバー、法務省より江波が、そして第一空挺団より柿沼が、その他にも様々なシチュエーションに対応できる選りすぐりのメンバーが座っていた。


 永田は、春日部に目配せをし、椅子へと腰掛けた。一切の紙も持たず、発言もしない。ただ、耳を澄ませていた。


「では、こちらから想定手段を順に――」春日部がホワイトボードマーカーを握った。



「まず、Captive Portalです。通信端末がWi-Fiに接続したとき、自動的にブラウザを開かせて画面を表示する仕組み。空港とかカフェでよくあるやつです」

「具体的には?」


 永田の声は淡々としていた。


「AndroidやiOSが、Wi-Fiに入ったときに自動で http://example.net/generate_204 にアクセスするんです。で、それに偽のレスポンスを返せば、自動的にポップアップで画面が出ます。そこにメッセージを載せる」

「そのメッセージは、向こうに“届く”のか?」

「はい。ただし……ブラウザを開く音や画面の明滅が発生する可能性があります。」

「つまり、敵に気づかれる可能性がある?」

「低いですが、ゼロではない。特に暗所では画面の光が漏れます」


 永田は頷いた。「保留。次」


「次はDNS Hijackです」


 答えたのは、経産省の技官だった。眼鏡にネイビーのスーツ。名札には「庄司」の文字。


「端末が名前解決――つまり“どこかにアクセスしたい”と思ったとき、その行き先をこちらが書き換えて、別のサーバに飛ばす方法です」

「それは……スマートフォンの利用者に気づかれない?」

「基本的には気づきません。が、意図的にメッセージを表示させるには、結局は“ブラウザを開かせる”必要があります」

「光が出る」

「はい。基本的に“画面が光る”問題はDNS経由でも同じです」


「他には?」


 永田の声には、焦りも怒気もなかった。ただ“判断できる情報”を要求していた。自衛隊側が静かに挙手した。隊員は30代後半、目元にだけ険のある男。


「通話の注入を検討しています。SIP通話プロトコルに、政府側から強制コールを挿入。既存アプリが起動していれば、着信の形で表示されます」

 永田は目を細めた。「それは……“鳴る”のでは?」

「はい。完全に鳴ります。バイブ設定も影響します。こちらのSIP Proxyで無音着信にすることも可能ですが、相手端末の実装依存です」


 春日部が補足する。


「つまり、“もしLINEとか入ってたら、通知音が鳴る可能性がある”ってことです。自衛隊案は“声を通す”可能性が一番高いですが、敵にバレる確率も高い」

「……他に、もっと“静かな”方法はないのか?」


 永田の声は低かったが、その裏にある“判断の重さ”は、全員が理解していた。沈黙の中で、春日部が口を開いた。


「一点、試してみたいのが、端末証明書に紐付けられた機器設定の“通知トークン”です。企業向け端末は、モバイルデバイス管理(MDM)で管理されていることが多く、そのシステム経由で“通知”を送ることができます。内容は限定されますが――」

「それは、音が鳴る?」

「通知内容によります。アイコンだけのものなら、ほぼ無音です。」

「表示は?」

「画面を点灯させずに出せる可能性もあります」


 永田はようやく、わずかに表情を動かした。


「……可能性に賭ける値打ちは、ある」

「全員、最優先は“届く”こと。次点は“気づかれないこと”」永田は席を立った。

「通話は後回し。光も、極力排除。無音で、目に留まる通知を。それで届かなければ、もう一段階強める。段階的に、だ」


 彼が指先でデバイスを叩く。


「“敵ではない”ことを、どう伝えるか。それを考えろ」


 作戦室に、緊張の熱が戻ってきた。


「文面はこれです」


 警視庁の庄司が、小さく頷いて送信前のプレビュー画面を永田に見せた。


『これは政府による通信です。現在地を把握しています。状況の確認に協力いただけますか。』


 文章の末尾に署名はなかった。文体もできる限り平易で、冷たすぎず、馴れ馴れしくもない。この文案を作ったのは、警視庁のSIT──特殊犯捜査係の交渉担当官だったという。事件現場で、不安定な相手に言葉を届ける訓練を受けた者たち。その“専門家の言葉”を借りたかたちだった。


 永田は読み返さずにうなずいた。「送れ」


 庄司が端末にタップし、MDM管理システムを通じて“通知”が発信される。音は鳴らない。画面も点灯しない。だが、届けば、ステータスバーにごく小さく表示されるはずだ。


「送信完了。TTL値は変化なし。応答なしです」


 数十秒が過ぎる。室内の空気が沈黙を吸い込むように重くなった。永田は腕時計を一度だけ見てから、ゆっくりと口を開いた。


「こちらの位置はバレていないと見ていいか」

「はい。TTL、RTTともに安定。端末は動いていません。人間が操作している形跡もありません。……ただ、気づいていないだけかも」


 春日部が補足するが、声にはいつもより自信がなかった。


「このまま無反応が続いたら、次の段階に移行する」


 静かすぎるとやはり気づかれないか……そう考えた永田は、メンバーに告げる。室内にわずかな緊張が走った。

 そのとき、春日部が再び口を開いた。


「もう一回、送ってみていいですか」


 永田は一瞬だけ視線を向けたが、何も言わずに頷いた。春日部が素早くキーボードを叩き、同じ文面を、別のタイミングで再送信する。

 今回は、pingと同じタイミングではなく、端末が周期的にスリープから復帰する数秒の“揺れ”に合わせたタイミングを選んだ。“意図すると見える”のではなく、“たまたま見る”ようなタイミングで届けば──


 送信。

 再び、沈黙。

 数秒。十秒。三十秒。


 永田が、立ち上がりかけた。「次の段階に進――」そのときだった。


「……応答、ありました!」


 春日部がわずかに声を上げた。モニターの隅、ログ一覧に新しい行が表示された。


『どなたですか』


 ひらがな五文字。間の抜けた言葉。だが、その一行が、すべてを変えた。

 室内の空気がわずかに緩む。春日部がモニタをのぞき込んで、ふっと笑った。


「びっくりしてますね。……でも、読んでる。ちゃんと」


 永田は一言も発さなかった。ただ、静かに画面を見つめていた。これで、ようやく“言葉が届く戦場”にたどり着いたのだ。


 文字が返ってきてから、およそ二分。端末とのテキスト通信は安定していた。応答は簡潔で、反応時間も短い。内容から見て、動揺はあるが判断力は失われていない。永田は、画面に並ぶメッセージを見つめながら、春日部に問う。


「位置は確定か」

「はい。端末位置、J-48上部。移動はありません。TTLもRTTも安定してます。“しゃがんでる”か“腰掛けてる”感じです」


 永田はわずかに頷いた。


「敵の気配は?」


 春日部が視線を移した先には、周辺音響解析のダッシュボード。チャット経由で音声通信を有効化し、受け取った端末マイクの揺らぎを、可能な範囲で解析している。


「今のところは、なし。でも、共同溝の構造上“見えない”のが問題です。聞き取りをした感じですと、出入り口付近には見張りがいるようですが、中に関しては、完全にブラインドです」


 警視庁の技官が補足する。


「ただし、視覚的監視はほぼないと見ていい。共同溝内部は照度が低すぎます。問題は音声。敵勢力のマイクがある可能性は排除できません。位置までは探知される可能性は低いが、少なくとも存在に気づかれる可能性はあります」


 永田はそこでようやく口を開いた。


「声を出させるな。彼には、当面のやりとりをすべて“文字で返すように”と伝えろ」


 春日部が頷き、テキストで送信。


「現在地は把握済み。音声接続を準備中です。周囲にマイクがある可能性があります。しばらくは声を出さず、すべての返答をこの画面上で行ってください」


 数秒の沈黙ののち、画面に短く表示される。


「了解」


 永田は立ち上がり、インカムをつけた。


「音声回線を開く」

「セッション確立。接続安定。こちら側、音声送信準備完了です」


 春日部が手元のスイッチを操作し、ヘッドセット側のスイッチを点灯させた。音声ルートが開く。永田はごく短く息を吸い、冷静に言った。


「……聞こえますか」


 数秒の静寂。


 ディスプレイ右端のログ画面に、一行だけテキストが浮かぶ。


「はい」

ここまで読んでくださりありがとうございました。


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