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お台場独立戦争  作者: 陣頭二玖
第二幕
12/24

監視ノイズ

── 21:23 春日部実(危機対策本部ネットワーク監視班・世田谷区池尻)

 

 電子戦とは、物理的戦闘の前に行われるネットワーク上の前哨戦である。敵の通信を探知し、妨害し、偽装し、必要であれば遮断する。データリンク、周波数帯、プロトコル層──すべてが戦場だ。現代の軍事行動は、まず「敵を見つける」ことから始まる。レーダーより先に、通信ログを。ドローンより先に、パケットの流れを。こうして敵の総数、体制、指揮命令系統、そして何よりも弱点を明らかにする。それが最初の一歩なのである。

 

 防衛装備庁・新世代装備研究所──そのネットワーク研究部門は、世田谷区池尻・世田谷公園の脇にある陸上自衛隊三宿駐屯地に居を構えている。表向きは「次世代通信インフラ研究センター」という無害な看板が掲げられ、周囲には住宅街と保育園。だが今、その地下フロアにだけは、戦時と呼べる密度の時間が流れていた。


 春日部実は、その地下区画の一室にいた。


「港区、江東区、中央区……全域ログ、正常。ノイズ閾値以下」


 つぶやくように独り言を吐いて、彼はガムを奥歯で転がす。席はラック冷却風の直撃エリア。寒いはずなのに汗をかく。三面ディスプレイには、港湾部のバックボーンを模した仮想トポロジと、異常通信アラートの時系列リストが並ぶ。静かすぎて、かえっておかしい。

 封鎖発生は今朝。午前9時前。各地の通信網が断たれ、地上インフラは物理的に切断された可能性が高いと判断された。政府の危機対策本部が午後に設置され、この研究所も昼過ぎには「お台場封鎖対処支援体制」へ移行。春日部はその即席班の一員として、港湾部一帯のネットワーク監視と、通信異常の即時報告を任された。

 当初は、アラートの嵐だった。接続失敗、応答なし、プロトコルエラー、ノイズ、ジャミング。監視AIの閾値は狂い、リストは真っ赤に染まり、処理の追いつかないログがスクロールバーの底を埋め尽くしていた。だが今は、そのすべてが“正常”と再定義された。監視AIは、直近10分の通信傾向を“正解”として自己学習する設計だ。つまり、今の「何も通らないネットワーク」を基準にして、そこから逸脱する動きだけを異常として拾う。異常が、平常に書き換えられる──戦場の常であり、AIの仕様だった。


「なんかもう、霊界通信でも拾えたら御の字って感じだな……」


 つぶやいたが、誰も笑わない。そもそも聞こえてもいない。


 隣の区画では、ネットワーク潜入班が殺気立っていた。正式名称「敵対電波通信解析ユニット」。彼らは今、光ファイバが物理的に切断された現状を前提に、敵が使っているらしい非常時プロトコル──自律ネットワークやLoRa、衛星経由などを含む──を割ろうと躍起になっている。だが成果は乏しく、正体不明のノイズとエラーコードばかりが蓄積していく。

 作業の合間、彼らは時折、春日部の席にも現れた。


「こっち、何か動きあった?」

「APのログに誰か乗ってきてたりしない?」


 そのたびに春日部は肩をすくめ、「あったら先に叫んでる」と返してきた。けれど心の中では、わかっている。少しでいいから役に立ちたい。何か、なんでもいいから手掛かりになる──せめて、“異常”を見つけたい。


 危機対策本部ネットワーク監視班の特設チャットには各地からクラック班が集っている。情報処理学会経由で、東京科学大やNAIST、東北大、民間のCTF系技術者までが参戦し、特設チャット上で敵のネットワークを逆解析しようとしている。普段は公共通信の守護者たちが、いまだけは“攻める”側に立っている。

 だが、春日部の仕事は違う。彼は、見つける側だ。何か──誰かが、通ってはいけない回線を通ろうとしている兆候を。

 彼はガムを噛み直し、冷たい椅子に腰を深く沈めた。


 

 

 それは、不意に鳴った。


「──ッ!?」


 硬質な電子音に、春日部の肩がわずかに跳ねた。予期しない通知。予期していないこと自体が、すでに異常だった。手元のマウスが止まり、指先に微かな汗がにじむ。この数時間、警告は一件もなかった。まるで、世界が死んだかのような静けさだった。だからこそ、AIのアラート音が鳴った瞬間、身体が“本物”を察知して反応した。


「……どこからだ?」


 中央画面のリストを睨む。ログ行が一つ、薄い黄色で点滅している。


> 【ALERT: DHCP LEASE EVENT DETECTED】

> 発信元:OOB-Net

> リース発生時刻:21:43:12 JST

> 接続元:AP-ID: MCT-OBD-17/J


 春日部の喉が、ごくりと音を立てた。


 OOB-Net──Out-of-Band Network。通信会社が自社設備の監視や更新のためだけに運用している、独立した閉域網。その中でも、これは封鎖エリアにある“共同溝内アクセスポイント”からの通信だった。メンテナンス回線に、誰かが接続してきた。今この瞬間に。


 一拍置いて、心拍が跳ねた。


 DHCPリースは、端末が「このネットワークに入りたい」と名乗り出た証拠だ。オープンなWi-Fiとは違う。これは、数少ない“生きている経路”の一つ。だが、それを知っていて、しかも封鎖中の共同溝内からネットワークにアクセスできる者など、限られている。


「……誰が?」


 画面を操作する指が、いつもより慎重になる。端末識別情報を展開。MACアドレス:D0:27:88:4F:XX:XX

 春日部は一瞬、考えた。国内メーカー系だとは思うが、詳細な特定までは心もとない。この段階でミスは許されない。指が自然と、隣の端末へ伸びた。タブレットに開いてあるのは、特設チャットの質問ルーム。官庁の研究職、大学教員、CTF常連、現役のプロバイダエンジニアたちが入り混じる仮想戦場だ。ふだんは分野も立場も違う彼らが、今だけは「何でもあり」で敵ネットワークの解析に挑んでいる。そのログに、春日部は短く打ち込んだ。


[spring@mod]

【ALERT】OOB-NetにDHCPリースあり。AP:MCT-OBD-17/J

MACアドレス:D0:27:88:4F:XX:XX

引ける人、急募。


 その瞬間、チャットの空気が変わった。ログ一覧が一気に加速し、「to: spring@mod」にピンが飛ぶ。普段は敵パケットの符号解読やトラフィックノイズの話題が占めるチャンネルで、突然「現実の発見」が投下されたのだ。


[kabuto@ctf_nagoya]

嘘でしょ…そっちまだ生きてたのかよ

[toda@naist]

MCT系AP稼働確認きた、ログ貼れる?


[ueda@uec]

D0:27:88は初芝の法人モデル。Galleria S21世代以降

法人プールに入ってる。通信会社系の社用端末で間違いないかと


 反応が速すぎて、春日部が打ち返す隙すらない。画面の向こうの誰もが、この信号が「生きた誰か」の痕跡であることを察していた。


[spring@mod]

attached:/logs/dhcp_lease_obd17_2143.json

たぶんAndroid。APは共同溝内、封鎖エリアど真ん中。

念のためEAP証明書見に行く


[ueda@uec]

通信会社現場向けの支給端末なら、証明書に個人名入ってるはず。CN見てみて


 植田──電気通信大学の准教授で、ネットワーク機器の指紋解析を専門とする人物だ。このチャンネルの「答えの早い学者」として知られ、誰よりも即断で正確な情報を出してくる。

「やっぱ動いてるな、こっちの通信も……」

 春日部は鼻先で笑って、ログウィンドウを切り替えた。証明書──もし正規の社用端末なら、TLSハンドシェイク時の CommonName(CN)に持ち主のフルネームが記載されているはずだ。画面下部に、イベントログが展開されていく。数秒後、現れた文字列が、彼の目に飛び込んだ。


CN:Shiraishi Sota


 画面に浮かんだその名前に、春日部は短く息を飲んだ。個人名だ。共同溝内部、しかもメンテナンス回線に偶発的に接続できる──

その条件を満たす人間が、唐突に現れた。


「……生きてる」


 そうつぶやいた瞬間、監視室の扉が勢いよく開いた。


「春日部。お前か、OOBでヒットを上げたのは」


 部長だった。チャット通知のログを見て飛び込んできたのだろう。普段きちんと来ているジャケットも羽織らず、Yシャツのまま、左手に端末、右手にバインダー。目だけが鋭く動いている。


「はい。共同溝J-48のAPに民間端末が自動接続。DHCPログと証明書で個人名が出ました。シライシソウタ。通信会社勤務の可能性が高く、共同溝の技術者か関連業者だと思われます」

「偶然の接続か?」

「おそらく。社用端末のWi-Fi設定が生きたまま、稼働中のAP圏内に入ったと」


 部長はすぐに行動に移った。作戦用の直通端末を開き、通話に入る。


「警視庁、捜査一課長を頼みます。──こちら、防衛装備庁・新世代装備研究所ネットワーク研究部、臨時監視担当です」


 その声は明瞭で、必要最小限だった。


「氏名“シライシソウタ”。通信ログと証明書データを至急送信します。社用端末による首都圏臨海共同溝内部APへの接続ありました。……はい。今です。身元、所在、接触可能性について一課側で照会願いたい」


 通話を続ける部長の横で、春日部は自席に戻り、再びチャットにログを流した。


[spring@mod]

端末証明書より氏名:シライシ ソウタ

接続AP:MCT-OBD-17/J

位置特定、信号解析協力お願いします。OTDR/pingベース希望


 反応は速かった。


[fumi@tokyo_geodata]

J-48中継設備→412.7m反射スパイク。J-47〜J-48接続部で静止中


[kabuto@ctf_nagoya]

TTL=64、RTT安定。端末は停止状態じゃないかな。

応答継続中→本人まだ通信に気づいてない可能性あるよね


 春日部はpingのログウィンドウをじっと見つめた。4.3、4.2、4.4──安定した時差。移動していない。通信は継続している。この静けさが、何よりも雄弁だった。

 通話を終えた部長が戻り、潜入班のブースに声を張った。


「当該OOBは、接触に使う。最重要ラインだ。この線が生きてるがバレたら死活問題になる。今の時点では絶対にアクセスするな。監視専用、パケット受信もブロックしておけ」


 潜入班の一人が「了解」と短く返し、ACLを修正するキーストローク音が響く。

 部長は続けた。


「ただし──展開の準備はしておけ」


 その場の空気が、わずかに張り詰めた。


「接触に成功後、時期を見て保守端末へのリモート侵入を行う。目的は、封鎖区域内の基地局再起動と監視カメラ映像の取得。対象は自社ネットワーク/自治体/ビル内ローカル系すべて。トンネル内のリピータ制御にも対応させろ」


 そこに一拍の間を置き、部長は最後の指示を落とす。


「トロイの木馬を設計しろ。署名回避、サンドボックス脱出、自己削除つき。極小構成、見つからず、通す」


 部長の言葉が落ちると同時に、潜入班の技術者たちは一斉に動き出した。バックパックからノートPCを引き出す者、USBメモリを噛み砕くように見つめる者、椅子を蹴ってホワイトボードに構成図を書き始める者──ただの静かな地下室が、数秒で“攻撃準備状態”に変わった。

 もうひとつの戦場も激変した。


[bird@mod]

※共有

政府側、OOB経由での展開準備に入ります。トロイの木馬設計開始

想定対象:基地局制御、映像系ネットワーク、ルーター再起動含む

技術支援歓迎、Firestarter起動します


チャットの反応は爆発的だった。


[whitehorse@osaka_univ]

それマジか。久々にroot取れるやつくる?


[toda@naist]

展開条件指定お願い。BusyBox系多いならこっちでモジュール切っとく


[crimsonfox]

ハッシュ衝突避けでAEAD鍵やる?どうせやるなら“気づかせない”方向で


[fumi@tokyo_geodata]

映像取得ルート、地下幹線のマッピング上げとく。タグ:#shadow_eyes


 タブレットの画面が、一気に文字の流れで埋まっていく。普段は「やってはいけない側」にいる者たちが、今だけは全力で“侵入”に協力している。しかも、それは攻撃のためではない。味方の通信網を取り戻すための、戦術的侵入。この特設チャンネルにとっても、たぶん最初で最後の“公的クラック”だった。

 春日部は一瞬、画面から目を離し、モニターの反射に映った自分の顔を見た。そのまま、にやりと笑った。

 

「春日部」


 振り返ると、部長の表情はいつも以上に沈着だった。


「内調が動いた。接触チームを編成する。首相官邸主導だ。君を技術担当として指名する。移動準備しろ。車が迎えに来ている」

「了解しました。ジャンパー、着たままでいいですか」

「構わん。バッジはつけていけ。官邸入館用に通してある」


 荷物を手早くまとめ、肩にかける。春日部は最後に、画面端のログを見つめた。


 64 bytes from 10.236.17.81: icmp_seq=181 ttl=64 time=4.3 ms


 ──まだ、繋がっている。


「行ってきます」


 そうひとこと残して、春日部は監視室を後にした。沈黙を観測する側から、沈黙を破る側へ。役割が変わるのは、いつだって一行のログからだった。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。


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