鏡の魔女は、令嬢を渡る
同主人公の短編『鏡の魔女は、令嬢を見抜く』も投稿しました。
そちらもよろしければ是非!
「うーん、のどかなお天気ですねえ」
王都の空をゆっくりと箒で飛ぶ。
そんなに速度を出すつもりはないが故に、横座り。
少し気取ったお洒落な飛び方だ。
「それにしても、箒で飛ぶなんて、誰が決めたんですかねえ?」
――細くて、痛いんですよ。これ。
我ながら細身だという自負はありますが、それでも自身の全体重がこの細い棒きれにかかっていると、痛いものは痛いです。
――どうせなら、椅子とかで飛べばよかったのに。
魔女というのは、非効率な生き物です。
「――」
手持無沙汰に箒を転がしていると、風に乗って声が聞こえてきました。
楽しそうな声色。
これは期待大。
――良かった。このままだと、私、ただの暇人でしたよ。
声の方向に、箒の柄の先を向けます。
折角聞こえたやり取り。
遠慮なく、盗み聞きさせてもらいましょうか。
「どうして貴女という人は、いつもそうなんですの⁉」
木陰に降り立つと、険のある声が響いていました。
――よしよし。丁度いいタイミングですかね。
面白そうなタイミング――言い争うタイミングと言い換えてもいいでしょう。
「い、いつもそうって……何のことですかあ?」
言い争っているのは――一方的な気もしますが――二人の少女でした。
一人目は、金髪のショートカットに、黄金の目を持つ少女です。
さらりと流れる髪と赤のドレス。
凛とした立ち姿。
大層映えていますね。
まるでこの方が、世界の主役のようです。
少し意志の強そうな顔立ちが、こちらの被虐願望をくすぐります。
ちょっと私の様な魔女は、正面から向かい合うのが憚られる、高貴さに溢れた少女です。
それに対するのは、茶髪のくせ毛の少女でした。
二つ結い――いわゆるツインテールという髪型でしょうか。
小柄な体格に、フリフリとした雰囲気。
それはそれはとても怪しい少女です。
――いえ、これはもう黒認定していいでしょうか?
小柄ツインテ少女の着ている服は、ピンクのドレス。
まあ、まだ辛うじて似合っているかもしれません。
そういう意味では、まだマシと言っても良い気もします。
しかし、それにしてもやり過ぎです。
好きでもないクリームの沢山乗ったケーキを、無理矢理食べさせられているような、そんな感覚。
苦行でしかありませんね。
さて、既に私の中では白黒ついている気もしますが、一応話は聞きましょう。
人を外見だけで判断してはいけません。
ええ。そうですとも。
「今日も私の婚約者である殿下に、触れてらっしゃいましたね?
未婚の乙女がそんなことをしては、品位が疑われますわ。
慎んでいただきたく思いますの」
ふむふむ。
今のところ、黄金の少女に非はない様に思えます。
正論も正論ですね。
正論過ぎてロジハラと言われると、負けてしまうかもしれませんが。
黄金の少女に、桃色ドレスのツインテール頭が答えます。
――長いですね。桃ツインとでも呼称しましょうか。
「でもお、私、別にわざとじゃないですもん」
――おっと、危ない。
思わずお尻痛め機を、あの桃ツインに放ってしまうところでした。
気を付けなければいけません。
感情のままに行動するのは、魔女らしくありませんね。
――それにしても。
あの桃ツインの話し方は、どうにかなりませんかね?
甘ったるくて、聞くのが不快なんですが。
その甘桃がまた糖度を高めます。
「だってえ、殿下が私を助けてくれるんですもん。
転びそうになったらあ、支えてくれたり、お荷物も持ってくれたり。
私の事を、心配してくれたりするんですもん」
もんもんうるさいですねえ。
そしてマウントですよ。
何なんですかね、この甘ったるい桃は。
どこの果樹園から、紛れ込んできたのでしょうか?
もう私の心の天秤は、完全に黄金の少女に傾いていました。
美人ですし、格好良い。
自立して、自律している方の美しさ。
まあ、ちょっと格好良すぎて、こちらも気が引けそうなのが残念ですが。
そんな高貴な少女――勿論桃ではありませんよ?――は、甘桃に対して言葉を返します。
「確かに、殿下はお優しい方です。
それでも、それに甘えてばかりでは、貴女自身も成長できませんわ。
これからは、控えていただけるとありがたいですの。
もし作法が苦手なのでしたら、私もお手伝いできますし」
――うーん、大人。
私なら言葉ではなく拳を返すところを、金髪の少女は平和裏に、言葉で指摘してあげています。
優しい。
二人の勝負は、もう決着ですね。
――少し惜しい気もしますが。
そんな金の少女に、桃ツインは、
「……わかりましたあ」
不服そうな表情をしていますね。
――今です、黄金の人! 右拳を彼女の顔面にプレゼントして、桃ジュースにしてやってください!
拳を握りながら、応援します。
しかし私のそんな想いは残念ながら届かず、二人はそのまま去って行きました。
――さてさて。
私は魔女です。
それも由緒正しき鏡の魔女です。
それはそれは偉い魔女で、忙しい魔女でもあるのですが、面白そうなものを見つけてしまえば仕方ありません。
これもまた使命。
今回は、あの二人にちょっかいを出そうと思います。
黄金と桃の戦いを見た翌日。
私は再び、二人の決選の場へとやってきていました。
「なるほど、わかりませんね……」
昨日は二人の声に誘われた私ですが、よくよく考えたらここがどこか分かりません。
王都の割と中心部だということだけは、理解しているのですが……。
「――」
ガサリ
人の声がして、気付けば私は、草むらに身を隠していました。
――別に怖いとかじゃあ、ありませんよ?
ただ、不法侵入で訴えられたら面倒だなあ、とか思っただけで。
――というか、人通りが割と多いですね。
普通に動き回っては、すぐに見つかって追い出されてしまいそうです。
仕方ありません。
ここは先祖代々から伝わる、魔女らしくない隠密術を駆使しましょう。
通り過ぎていく人たちのお話をこっそり聞いている限り、どうやらここは学校のようです。
ということは、昨日の面白そうな二人は、学生ということでしょうか。
草むらに隠れて、私はそんなことを考えていました。
――同じ学生の割には、教養に圧倒的な差が開いていた気もしますが、近頃の教育はどうなってるんですかね?
結局、教育というのは各家でするもので、学校で平等にはできないという現実の敗北が、昨日の二人のやり取りに反映されていたのかもしれません。
だとすると、あの甘桃もあるいは被害者の可能性もありえますね。
間違った教育の。
ガサリ
――うん?
私がウィットに富んだ思索に足を踏み入れようとしていると、お隣さんが引っ越してきました。
――こんな青臭い住居に、よくもまあ来ますね。
この住居の良いところは、家賃が無料な所と、身を隠せることくらいでしょうか。
他は思いつきません。
草だらけの草まみれになって、その上ここには虫という先住民すらいるので。
私が新規で入居しても、居住権を行使し続ける彼らの根性には、こちらも心が折れそうです。
――さて。
そんな最悪の居住空間に越してきた物好きは、一体どなたでしょうか。
親の顔……の前に、本人の顔が見てみたい。
ちらりとお隣の草むらに目を遣るとそこには、
「あらあら、まあまあ」
何とびっくり。
昨日の黄金少女が居たのでした。
――どうしましょうか。
目的の少女を見つけたはいいものの、まさかこんな遭遇の仕方があろうとは。
日頃の行いですかね。
ただ、ちょっとした――あるいは大きな問題もあります。
しかし、それを明言しても良いものか……。
私も、いくら魔女といえども、人間の目は多少気になります。
相手に近づくときに、怪しまれたら厄介ですからね。
そんな私以上に、人間の皆さんは他者の目を気にします。
仕方ありません。
人は所詮、人の中でしか生きられませんから。
そういう意味では、他者の目に良く映るように生きるというのは、楽しく生きるための処世術でもあるわけです。
素晴らしいですね。
でもできれば、多少そのメンテナンスの手を多少抜いても良いような、優しく寛容な世界になって欲しいとも思いますが。
さて、どうして私が、こんな話をしているのかと言いますと――原因は黄金の少女にあるわけです。
昨日の黄金の少女。
無駄に甘ったるい、あの桃色を言葉で矯正しようとした、いわゆる人格者ですね。
その堂々たる姿は、正しく貴族の姿だったといっても良いでしょう。
そんな美しい、金塊のような少女が――
――どうして草むらで、体育座りを?
昨日の今日で、黄金の少女の美しさは変わりありません。
強いて言うなら、ドレスの色が変わったくらいです。
赤のドレスが青のドレスに。
情熱の色から、鎮静の色へ。
どちらも、少女に似合っているのが、素晴らしい事です。
それなのに、残念です。
少女自身の心は、どうやらくすんでしまっているようでした。
――そもそも、ドレスで体育座りって、できるんですね。
思わぬ邂逅に、妙に細かい部分へと目がいってしまう私を、許して欲しいです。
さてさて。
どう声をかけたものでしょうか。
いくら私が、歴戦の魔女といえども、ナンパの経験はそう多くはありません。
ここは軽く「へい、お嬢さん! お茶でもしていかない?」などと、言うべきでしょうか?
それともクールに「そこの素敵なお嬢様。私とお茶でもしていただけませんか?」と、騎士風に伝えますかね?
まあ、お茶をする道具などは残念ながら、持ち歩いておりませんが。
「ナンパって準備が必要なのですねえ」と、呑気にその難しさに思いを馳せていると、事態は勝手に進んでしまいました。
傍観の難しさですね。
何もせずに見ているということは、自覚の有無に関わらず、何もしないことを選んでいるわけですから。
さて、現況にどんな変化があったかと言いますと――
ツー
黄金の瞳から、一滴の宝石が。
――美人というのは、泣き顔まで美人なんですねえ。
そんな月並みの感想しか抱けない私。
どうせなら、彼女のもっと崩れた泣き顔も見たかった気もしますが、まあ良いでしょう。
女は度胸。
涙を流す女性を、魔女としては見逃せません。
しっかりと彼女の状況をお聞きしなければ――
ガサリ
「あっ……」
「えっ……?」
「「……」」
ピシリと。
彫像のように動きが固まる私たち。
気まずい時間が流れます。
膠着状態。
互いがどう出ていいのか分からない状況が、このまま永遠に続いてしまうのかもしれないと、そんな不安が過ぎります。
――仕方ありませんね。
ここは悠久の時を生きる魔女として、私が開戦の狼煙を上げましょう。
魔女のコミュニケーション術を、とくとご覧あれ。
「や――」
「や?」
「やっほー……」
――やってしまいました。
そう後悔する私を尻目に、
「ぷっ」
黄金の少女は、吹き出したのでした。
コミュニケーション術、大成功ですかね?
さて、最初の接触には無事成功しましたが、黄金の少女は吹き出すと直ぐに笑うのを止めてしまいました。
危険信号。警戒色強めです。
まあそれも致し方ありません。
少女は、国宝にもなり得る美貌の持ち主です。
きっと山ほどのバカどもに、言い寄られてきたのでしょうね。
そんな彼女が身を守るには、その警戒心が必要だったのでしょう。
なので、まずは私が無害な魔女であることを、お伝えしないと。
「どうも、こんにちは。私は無害な魔女です。
気軽に魔女さんって呼んでくださいね」
――おかしいですね。
私の真面目な挨拶に、少女は更に警戒心を強めた様子。
――何故でしょうか。
私はどこからどう見ても、善良な魔女だというのに。
「えっと、私は……ベニーと申しますわ」
警戒心を露にしながらも、名前だけは教えてくれる少女。
なんとも律儀ですね。
変な人に騙されてしまわないか、心配になります。
「では、ベニー様と呼ばせていただきますね。
今後とも、よろしくお願いします」
「いえ、あの……初対面の方に、いきなり今後ともよろしくされるいわれはないのですけど」
――うーん、ド正論ですね。
しかし、正論は時に相手を傷付けます。
主に私を。
「まあまあ。許してあげてください、ベニー様。
彼女は……そう。変な魔女なんです」
「ええ。一人で他人事のように話している段階で、貴女が変な方というのは理解できますわ」
「まあ、酷い。そんな美しい青のドレスに、変な肩パッドを大量に入れているベニー様に、『変な肩』なんて言われたくありませんよ」
「入れてませんわ。断じて。肩パッドなど」
「うわー。ベニー様の肩、尖ってますねえ」
「さも私が肩パッドをしているかのような発言は、お止めになっていただけませんか⁉」
言葉尻を捕らえた遊びに、息を切らしながらも、ツッコミを入れる律儀な少女。
どこか生き生きとしているようにも、見えます。
そんな少女はやり取りが一段落すると、「本当に変な人ですのね」などと私の事を評しました。
「もう、人ではなく魔女ですってば」
「はいはい、分かりましたの」
どうやらベニー様は、私の発言をまともに取り合わないと決めたらしいですね。
――別に、ふざけているわけではないのですが。
「それにしても貴女、私が怖くないんですの?」
「怖い? ベニー様が?」
私の方ではなく?
昨日の堂々とした姿が嘘のように、私の反応を窺っている少女。
――何を言ってるんですかね?
黄金の少女に、怖がる要素など一つもありません。
正論は多いですが、話していて楽しいし。
――ああ……わかりました。
「まあ、確かに無愛想なのは少し怖いですね。
もっとニコニコ笑っても良いかもしれません。
ほら、ニコニコ―」
「きゃ!」
彼女の陶器のような頬を、軽く両側から引きます。
柔らかく弾力のあるお肌。
――羨ましいですね。
これが若さですか。
いえ、もちろん私も若いですが。
「何するんですの⁉」
「何かと言われれば……観察ですかね?」
主にこのモチモチお肌の作り方が、気になります。
ムニムニと存分に感触を楽しんで、私は少女を解放しました。
「さて、少しの無愛想以外で、ベニー様に怖い所なんてありますか?」
「……覚えてましたのね、その質問」
「もちろん。魔女ですから」
「はあ」と彼女はため息を吐きます。
「私の、この学園での噂をご存じないんですの?」
――もちろん知りません。
ここが学校であることすら、先程知ったくらいですから。
私の無反応に何を思ったのか、苛立たしそうに少女は告げます。
「無愛想令嬢。殿下のお局。お邪魔虫。お高くとまったいけ好かない女。
最近だと、悪役令嬢だなんて訳の分からない渾名まで生まれましたの」
ふむふむ、メモメモ。
いや、実際はメモなんて持ってませんけど。
その気持ちが大事なんですよ。
「それで、それがどうしたんです?」
「どうしたもこうしたもありませんわ」
彼女は感情を押し殺すように、声を絞り出します。
「貴族社会は、面子が大切ですの。
まだ爵位を継いでいない子ども同士とはいえ、そんな風評が出てしまっては、やっていけませんわ」
――なるほど、面子が大事ですか。
貴族社会って大変ですねえ。
「でも、事実無根なんですよね? 問題ないのでは?」
「無根でも、煙が立っている時点で、火があると見られるのは当然ですの」
――厄介なことですね。
嘘つき放題、嘘つき得じゃないですか。
卑怯者ほど得をする。
そんなの、この正義の魔女が許しません。
「それなら、犯人を突き止めれば――」
「もちろん、既に犯人は分かっていますのよ」
――何だ、それなら話は早いですね。
ここまでその情報を引っ張るだなんて、いけずな子です。
「じゃあ、その犯人を、コテンパンにしてしまえば、良いじゃないですか」
ボコボコに。完膚なきまでに。
それでこの話は終わりですよね。
しかし、少女は左右に首を振ります。
「もう……無理ですの。
私の噂を先に立てられてしまって、気付けば婚約者の殿下すらそれを信じてしまっていますの。
私の人望がないせいですわ」
少女の顔に浮かぶのは、諦観。
――全てを諦めている表情ですね。
それで先程、美しい涙を独り流していたと。
「殿下を支えるために――民を支えるために、努力をしてきたつもりでしたが、それだけにかまけたツケが回ってきたのかもしれませんわね」
悲しくも穏やかな表情。
そんな少女に、私は告げます。
「復讐……したいですか?」
「えっ?」
私の言葉に、黄金の少女は顔を上げました。
「私は魔女です。やろうと思えばできますよ? その犯人とやらに」
そんな私の誘惑に、再び少女は首を振ります。
「いいえ。この結果もまた私だけのものですわ。
この経験を糧に、私は王妃となってこの国を支えていきますの。
だから、大丈夫ですわ」
「でも……ありがとうございます」と、初めて黄金の気高い少女は、真っ直ぐな笑みを私に見せます。
「私を慰めてくれたのですわよね?
最初は怪しい人かと思いましたが、貴女は良い人ですわ」
「人ではなく魔女ですよ。良い魔女です。決して怪しくありません」
「ふふふ」
黄金の微笑み。
ああ、願わくば――
「貴方のおかげで、気が晴れましたわ。
それに、明日で私はこの学園も卒業ですの。
この思いも胸に秘めて、私は笑顔で卒業いたしますわ」
「では失礼します」と、少女は去って行きます。
その背中は、憑き物が落ちたかのように明るく輝いていました。
あの黄金が曇ることのない様に、私は祈ります。
神様なんてものがいるかは、わかりませんが。
――ああ、本当につまらない定型ですね。
翌日――黄金の少女が言っていた卒業の日。
私の姿は、卒業パーティーの場にありました。
誰も、学生ですら――人ですらない私の姿に気付きません。
なぜって?
魔女だから――と言いたいところですが、今回はそうではありません。
「ベニー……いや、公爵令嬢! 貴様の悪事は分かっている!
ノワース嬢に働いてきた無礼! 万死に値する!」
「殿下、私は――」
「黙れ黙れ! 言い訳をするか!」
胸糞悪い茶番が、開催されていたからです。
ベニー様に殿下と呼ばれたおバカさんの隣には、これまたお似合いの甘桃。
おバカさんの陰に隠れて、黄金の少女の事を嗤っているのが丸わかりです。
黄金の少女のことを助ける気は、ありません。
義理は感じないでもありませんが、これは人の起こした事件。
それを私が介入するのは、魔女の流儀に反します。
――胸糞は悪いですが、ここは我慢。
きっと私の仕事は、この後あるでしょうし。
崩れ落ちる少女に対して、おバカさんは言い放ちました。
「公爵令嬢! 貴様との婚約を破棄し、私はここにいるノワース嬢と婚約する!
今後の沙汰は、追って言い渡す!
……まあ、貴様とは長い付き合いだ。国外追放くらいで済ませてやろう」
少女は俯いて動きません。
周囲の誰も、そんな彼女を助けようともしません。
そんな唯一の黄金をあざ笑うかのように、豪勢なパーティーは明るく続いていきました。
無駄なパーティーが終わり、もう夜の帳が降り始めています。
夜以上に暗い泣き声が、草むらから聞こえてきていました。
泣いている少女を見つけた魔女。
昨日と同じシチュエーションですね。
昼と夜や、声を出しているかいないかなど、詳細は違いますが。
「やっほー」
「魔女……さん」
渾身の天丼ギャグでしたが、今の少女に気付く余裕は、どうやらないようです。
――頑張ったのに、残念。
「ベニー様、どうかしましたか?」
事情はもちろん分かっていますが、あくまで確認のために聞いておきます。
決してこの黄金を、傷付けたかったわけではありません。
――私、鬼ではありませんし。魔女ですし。
「私、さっき、殿下に、婚約を破棄されましたの」
嗚咽を漏らしながら、事情を話す少女。
真面目で健気な姿に、胸が痛みますね。
「それで?」
「こ、国外追放だって。もう、ここにはいさせないって」
「私は――」と、少女は続けます。
「私は、小さいころから、王妃となるべく努力してきました。
自分の時間もすべて費やして。
殿下を支えるために! 民を支えるために!
費やしてきたんです!」
これまでで、最も強い口調。
聞いている人の胸を抉る、悲痛な叫び。
「それなのに、こんなのってあんまりです!
あんな、ぽっと出の子に、殿下も奪われて!
私のこれまでの人生の意味って、何でしたの⁉」
草むらに、陶器のような拳が叩きつけられます。
しかし、その拳はもちろん本物の陶器ではなく。
少女の心からの声が、響き渡ります。
押し殺していた本音。
――当然ですね。
少女の年は、どう見ても十代。
しかし、彼女の気品は、そこらの貴族とは比べものにならないくらい、洗練されています。
泣いている今ですら、上品なのですから。
彼女のそれは、きっと訓練の賜物。
血のにじむような努力を続けて、きっと今の彼女があるのです。
おそらく十年以上――彼女の半生は優に超えた年月を費やしているはず。
「私の生まれた意味は!
私たちの結婚で約束された、民たちの幸せは!
どうなりますの⁉」
少女の嘆き。
後悔。
そして――
「お父様、お母様、領民の皆さん……。
何もできなくて、ごめんなさい。
不甲斐ない娘で……」
懺悔。
そんな少女にこそ、魔女は、語りかけます。
「どうしますか?」
「え……?」
「復讐しますか? できますよ?」
――私、魔女ですから。
黄金の少女は、その瞳を涙で濡らしながら、天啓を得たかのように顔を上げたのでした。
あの日から、一週間。
少女と魔女が契約して、一週間が経ちました。
「魔女さん、ありがとうございました」
私にお礼を言うのは、黄金の髪と瞳に白のワンピースを羽織った少女です。
本当に全て似合ってますね。
羨ましい限りです。
場所としては、少女の家の前――公爵家の前です。
大きいですねえ。
「あれ、私、お礼を言われることしましたっけ?」
常に行動するのは、心がけているものの、玉のような黄金にお礼を言われる覚えがありません。
急にそんなことをされると、逆に不安になります。
「そんなこと言わないで欲しいですの。
この一週間、ずっと一緒にいてくれましたでしょう?
私との契約通りに」
――やれやれ、ベニー様。
ばらすのがお早いですよ。
結局、黄金の少女は復讐を望みませんでした。
「いいえ、しませんわ」
黄金の少女は、涙で濡れる強い瞳で私に断言します。
迷いのない、強い言葉。
先程まで、自身の人生の意味を問うていた人とは、思えない力強さです。
「いいんですか? 後悔はしませんか?」
「……正直、すごく悩みました」
「そうでしょうか。その割には、即答でしたが」
「ふふふ」
少女は、やっと笑います。
「でも、私が復讐したい誰かは、この国にとっては重要な誰かなのだと思います。
私が個人の感情で、国を危険な目に遭わせるのは、ダメですわ」
そう言って、黄金は大きく息を吸いました。
「だって、私はこの国の民が大好きですから。
私の件は……残念ですけど、復讐など致しませんわ」
高潔な精神。
貴族の中の貴族。
自身の身をどれだけ削っても、民のためにあるその姿は、為政者として最高ですね。
――こんな人を国外追放するなんて、本当におバカさん。
「わかりました。では、何か私に望みはありますか?
無茶なこと以外は、無料で叶えますよ?
魔女なので」
そんな私の提案に、黄金の少女は目を丸くしています。
「それじゃあ――」
などというやり取りがございまして、結果的に一週間程少女のお供をさせていただきました。
さすがは公爵令嬢と言ったところでしょうか。
お菓子が非常に美味しかったです。
――あれ? むしろ私の願いを叶えてもらっているのでは?
途中から、そんなことを考える程度には、楽しい一週間でした。
そして今日。
いよいよ、黄金の少女が国外に旅立つ日が来てしまいました。
――もう会えないかもしれないと思うと、残念です。
「あら、私との別れを惜しんでくれてますの?」
「はい――」
「えっ⁉」
私の一言に、赤面している少女。
何故ですかね?
「お菓子……もう食べられませんね」
「それ、私ではなくて、お菓子との別れを惜しんでませんの⁉」
少女のツッコミスキルも、この一週間ですくすくと成長を遂げられました。
これで、隣国に行っても安心ですね。
「……まったく。貴女って魔女さんは。
最初は私、貴女のことあんなに苦手でしたのに、いつの間にかこんなに仲良くなって」
「あっという間でしたね。さすが私の人たらし能力」
「自分で言うものではありませんし、明言も避けた方が良いですわ」
呆れた様に微笑む少女。
それはまるで、はしゃぐ子ども相手に微笑む大人のようです。
――おかしい。悠久を生きる魔女とは一体。
自身の定義が揺らいでいますので、止めて欲しいです。
「……では、そろそろ行きますわね」
さて。
少女との丁々発止のやり取りをして、遂に出発の時。
「ええ、お元気で、ベニー様。寂しくなりますね」
「本当に思ってますの?」
黄金の少女はクスクスと、上品な笑みを浮かべます。
その笑顔にはもう、一点の曇りもありません。
「思っていますとも。でないと見送りなんて来ません」
「……本当にもう!」
ガバ
最後に少女は私を抱きしめると、彼女は馬車へと向けて歩み出します。
彼女が馬車に乗る直前、私は彼女へ伝えたいことをギリギリで思い出しました。
――危ないですね。
次からは心の中だけではなく、ちゃんとメモしておきましょうか。
「ベニー様」
私に振り返る少女。
相変わらず美しさに陰りがありませんね。
「ベニー様、私は魔女です。鏡の魔女です。
貴女が私に最初抱いた苦手だという気持ちは、貴女が貴女自身に抱いていた気持ちです」
――鏡はありのままを映し出しますから。
私の言葉を、美しき黄金は静かに聞いています。
「貴女は、貴女自身のことが苦手だったんです。
王子や子爵令嬢の愚行を、窘めることのできない自分自身。
そんな自分が、民を導いていけるのかと。
学生間ですら右往左往する自身が、民を正しい道へと導いていけるのかと」
少女の切なさそうな表情も、また美しい。
「婚約破棄をされた夜もまた、貴女は貴女を責めていましたね。
民のためになっているのかと」
――あの時の事を思い出しているのかもしれませんね。
少女は、苦い表情だ。
「その上で貴女は、私の質問にこう答えましたね。
『復讐はしない』と。
その答えは、魔女として非常に残念なものでした」
黄金の少女の表情が強張ります。
まるで、私の紡ぐ言葉を恐れるかのように。
――本当に、残念でした。
けれど――
「けれど、友人としては誇らしく思います」
「っ⁉」
少女は、白魚のような両手で、自身の顔を覆います。
その指の隙間から黄金の輝きが、零れ落ちていきます。
「どうですか。今、貴女は私の事が苦手ですか?」
少女は両手で顔を隠しながら、力強く首を左右に振ります。
「そうです。貴女は、貴女自身をちゃんと好きになれました。
大丈夫です。
貴女は貴女のままで、幸せになっていいんです。
幸せになれます。
それを貴女の旅路の前に、鏡の魔女の名で保証いたしましょう。
ですから、これからは……自分の幸せを最優先にしてください。
貴女は間違えませんでした。
貴女が幸せなら、貴女についてくる者たちも、必ず幸せになれます」
――私の台詞、長すぎましたかね?
あまりの長さに、黄金の少女が脱水症状に陥らないか心配です。
そんな姿すら愛おしく思うのは、仲良くなれたからですかね。
黄金を愛でる私に、黄金本人は声を振り絞ります。
「あ……ありがとう、魔女さん――鏡の魔女さん。
私、貴女の仰る通り、幸せになりますわ!
ですから――」
黄金の少女は一瞬言葉を躊躇ったかと思うと、続きを紡ぐ。
「ですから、私がもっと幸せになったら、また友だちとして会えますか?」
――意外に嬉しいものですね。
人に友人と認められるのは。
「愚問です。いつでも会いに行きますとも」
黄金の少女は私の答えに、大輪の笑みを浮かべて、
「それじゃあ、行ってきますわ!」
「いってらっしゃいませ」
この国から、去って行ったのでした。
チャンチャン。
「ようやく出て行ったわ、あの高慢ちき」
この国最高の黄金を見送った後に、口汚い言葉が響きました。
振り向くとそこには――無駄に甘い桃ツインテ。
しかし、今はただの渋柿ツインテです。
ドレスの色も、振る舞いも。
「何なのアンタ。あの女の友だち?
あの女は、ブスのくせに無駄に目立ってて、目障りだったけど。
アンタはアンタで、あの女に釣り合わないくらい地味で冴えないわね」
あらあら、まあまあ。
これは本当に想定外でした。
――さて……どうしましょう。
「何か言いなさいよ、ブス!」
「ああ、失礼しました。お嬢様。
私は魔女です。魔女様とお呼びください」
「なんでこの私が、アンタのことを様づけで呼ばなきゃいけないのよ!」
――でしょうね。
あまりに予想通り過ぎる答えに、驚愕です。
「それで魔女! アンタ、あの女の何なの?」
何と言われますと、それはもちろん――
「貴女が言っていた通り、友だちですが」
「はああ⁉ あんな女の⁉」
――あの甘ったるい話し方は、どうしたのでしょうか。
キャラ変?
それにしても醜悪すぎますよね。
「ええ。友だちです」
「あんな女と友だちになれるなら、私とも当然友だちになれるわよね?
私と友だちになりなさい!」
厚顔無恥で頭のおかしい理屈に、私は混乱させられます。
――魔女を混乱させるなんて、大したものですね。
褒めてはいません。
渋柿は、私の返事も聞きませんでした。
「でも、アンタ、ホント冴えないわね。もっと私を見習いなさいよ」
自身の装飾品を見せつけるかのように、くるりと回る渋柿。
中身が腐っていると、装飾品も腐って見えますね。
――金の指輪って、腐ることありましたっけ?
渋柿って腐食を抑える作用があったはずですけど、恐ろしいですね。
――さて、それにしても。
目の前には、黄金の少女を追いやった外道。
王子を寝取り、少女の得るべきものを、全てかすめ取った盗人。
黄金の少女は、復讐しないと言っていましたね。
友人ながら、聖人なんだと思います。
さてさて、本当にどうしましょうか。
――会っちゃいましたからねえ。
「よいしょっと」
その日の夜、私の姿はとある令嬢の部屋にありました。
あっ、すみません。令嬢じゃなくて渋柿あるいは甘桃でしたね。
面倒ですから、果樹令嬢とでもしましょうか。
いや、それはそれで果物に失礼ですからね。
悩ましいものです。
さて、ベットの上には、腐った果物が寝ています。
生意気ですねえ。
熟成と腐食は違うものだと、教えてやりたいです。
腐食女――あ、これ良いですね――が、私の気配を感じ取ったのか、目を覚まします。
「こんばんはー。魔女様ですよー」
私の丁寧な挨拶に、腐食女は醜い反応を晒します。
「――はあっ⁉ どうしてアンタが、ここに⁉」
どうしてと言われると――
「魔女ですからねえ」
「意味わかんないわよ!
なに? あの女のために復讐にでも来たっていうの?」
――復讐?
何言ってるんですかね。
「いいえ。ベニー様は復讐を望んでいませんでしたよ?」
本当に。
自身の気持と向き合った上で、至高の黄金は、誰にも仕返しを望まずに去って行ったのだ。
――残念。
本当に残念です。
「じゃあ、アンタは何しに来たのよ⁉ 早く帰りなさいよ!」
「何しに来たって、そんなつれないですねえ。
強いて言うなら、鏡の魔女の性質ですかね」
「はあ?」
この状況で魔女に悪態を付ける、そのふてぶてしさだけは、評価してあげたいですね。
まあ、何の意味もありませんけど。
「私は鏡ですから、貴女にありのままを見せましょう」
「何言ってんの? 頭沸いてんの?」
少し勢いがなくなってきてますね。
こんな腐った人にも、恐怖という感情はあるのでしょうか。興味深い。
――でも、安心して欲しいです。
私は別に、直接危害を加えようとか、そんな気は一切ないんですから。
「貴女の未来を見せましょう」
「はあっ⁉」
もう丁寧に教えてあげる必要もありませんね。
面倒ですし。
「では、一名様ご案内でーす」
腐食女の部屋の鏡が、輝き始めます。
素晴らしい準備具合。
持ち主は腐っていますが、素晴らしいお部屋ですね。
私の足が、痛みに震える。
途端に覚醒する意識。
――ここは、どこ?
分からない。憶えているのは――
――確かあの魔女とかいう女が部屋に来て……。
しかし、私の歩いている場所は屋外だ。
それも――
――裸足⁉ どうして⁉
訳が分からない。
周囲をゆっくりと確認すると、荒れ果てている場所だ。
崩れた建物に、倒された木。
所々に煙の匂いが充満し、肺を満たす。
元がどこだったのかすら、分からない荒廃した地。
「な、何なのよ! この格好!」
私が着ていたのは、みすぼらしく、汚らしい服。
まるで罪人の着るような服に、私は身を包んでいた。
そして――
ガシャ
手元には、木製の手枷と、引きずるための鎖。
――わけがわからない。
どうしてこの私が、こんな状況になっているのか。
鬱陶しい女もようやく国外に追いやり、明日からバラ色の生活を送る予定だったのだ。
今思い出しても腹立たしい。
あの正論と血筋だけの女。
ベニー公爵令嬢。
私が殿下を手に入れる最大の障害だった女。
噂では、完璧な淑女などと言われて、随分と警戒したものだが。
とんだ甘ちゃんだった。
真面目で、仕事しかできない馬鹿な女。
他人のことなんか、気にしないで生きていけますみたいな澄ました顔が気に食わなかった。
だから、奪ってやったのだ。
噂を流し、猫をかぶり。
あの女の周囲から人を少しずつ消していった。
最後には婚約者すら奪われているのに、それにも気付かず働いていた馬鹿女。
だから、卒業の日は気持ちよくて仕方なかった。
多数の観客の前で行う断罪。
顔こそ、岩のような無愛想だったが、あの女が膝を折る姿は、気持ちよくて仕方なかった。
死刑にできなかったのは、残念だったが。
――それにしても、あの冴えない女。
アイツがあの女を最後に見送っているのを見て、丁度いい玩具が手に入ったと思ったのに。
のらりくらりと躱して、どこかに消えやがって。
挙句の果てに、夜、私の部屋に乗り込んでくる始末。
その後気付いたらこうなってたってことは、これはあの冴えない女の所為のはずだ。
――絶対に許さない。殿下の元に帰ったら、捕まえてもらうんだから。
虐めて虐めて虐め尽くして。
死ぬほど辛い思いを味わわせ、謝罪させてやる。
ジャラ
「ちょっと! 何なのよ! これは!」
歩くのを強制するかのように、手枷が引かれる。
私は子爵令嬢にして、殿下の婚約者に選ばれた女なのよ?
無礼にも程が――
「黙れ! この罪人が!」
「っ⁉」
予想外のことに力む体。
人生で初めて怒鳴りつけられた恐怖。
一瞬身体が固まったが、すぐに男に言い返す。
「お、お父様とお母様、なにより殿下が、許さないわよ⁉」
しかし、私を怒鳴りつけた男は、その言葉を鼻で笑う。
「ああ? どう許さないんだよ? そいつらが!」
力強く引かれる鎖に引きずられ、私は前のめりに倒れ込んだ。
――絶対に許さない。
この男の顔は覚えた。
殿下に告げ口して、不敬罪で、殺してもらうんだから。
無礼な男に無理矢理引きずられていくと、どこか見覚えのある広場に出た。
――ここは確か……王都の中央広場だったはずだ。
大きく煌びやかな店が並び、お洒落な人々が行き交う場所。
そんな場所だったはずの中央広場は今――
「死ねええ! 王妃ノワース!」
「お前一人の命で、贖えると思うなよ!」
「私の子どもを返しなさいよ!」
醜く荒れ果て、多くの観衆たちと、木の舞台の様なものによって占拠されている。
――何を言っているの?
王妃ノワースと、ここにいる愚民たちは言ったか。
それはおかしい。
まだだ。
私はまだ、あの女を追い出したばかり。
これから栄華を極め、私がこの国で最も権力のある女となった時にこそ、その呼び名は使われるはずなのに。
――何故、もう呼ばれてるの⁉
それに今、私の手枷を引きずっている男の足は、心なしあの舞台へと向いているように思う。
湧いてくる不安。
「ね、ねえ、お兄さん。私、今、どうして捕まってるのかなあ。怖い」
「はああ⁉ 自分がやったことすら覚えてないのか⁉ 死んで当然だな!」
――え。
唐突な単語に、混乱していた思考が、数秒止まる。
――今、死んで当然って言った?
「はああ⁉ 誰がよ⁉」
「何を今更騒いでんだ。お前に決まってるだろ! それを見に、皆来てくれてんだぞ」
心底軽蔑した目で、男が私を見つめる。
「何で⁉ 私何もしてないわ!」
私の弁明に、男はもう答えない。
淡々と、私を引きずっていくだけだ。
――嫌だ! 何で私がこんな⁉
足が固まる。
無理矢理引きずらそうになって、私はその場で倒れてしまう。
「おい、歩けよ!」
「嫌よ! どうして私が殺されなければならないの⁉」
――ただ、あの女を追い出しただけじゃない!
それでどうして⁉
「この!」
男が無理矢理、私を連れて行こうととするが、動かない。
「おい、早く連れてけよ!」
「どういうつもりだ!」
「時間をかけるな!」
罵倒が広場中から飛ぶ。
――どうして私が、こんな目に。
これまでの人生で、他者からこんなに悪意を突き付けられたことはなかったのに、どうして?
「おい、手伝ってくれ!」
男が、他の人を呼ぶ。
――ようやくわかった。
私を引きずるこの男も含めて、こいつらは刑吏。
私を処刑しようとしている者たちなのだ。
「嫌! 嫌! 触らないで!」
「大人しくしろ!」
手枷をした状態で、両腕を二人の人に掴まれ、無理矢理立たされる。
「触らないでよ! アンタたち! 殿下が許さないわよ!」
――そうよ。
私には、あの女から奪った婚約者――皇太子殿下がいるのよ。
アンタたちみたいな、下賤の民に触れられたく――
「あ、伝えるの忘れてました」
私の思考を遮る、つい最近聞いた他人事な声。
あの女の友だち――冴えない女だ。
その冴えない女の声が響いたのは、私の左側。
女が、私の左腕を抱えている。
「アンタ! 早く私をかいほ――」
「貴女の言う殿下ですが……もういません。死にましたよ?」
――は?
脳が今のやり取りの理解を拒否する。
「そんな、呆けてどうしたんですか?
腐った果実のはずが、それを貪るアホウドリのような顔になってますよ?」
女は、訳の分からないことを言って、
「ああ、聞こえなかったんですかね?
貴女の言う殿下――今はもう元陛下ですが、死にました」
「恨まれてたんですねえ」と、どこまでも他人事の女。
――殿下が、死んだ?
私が成り上がるために必要な殿下が?
そんな馬鹿な。
本当に何が――
「実際、貴女は成り上がりましたよ?
子爵令嬢から、皇太子の婚約者に。そして王妃に。
ちゃんと栄華を極めたじゃないですか。
おめでとうございます」
何も理解できない私に、女は続ける。
「まあ、仕方ありませんね。
貴女の腐った頭にも理解できるように、簡単に説明してあげましょうか。
貴女は鏡の魔女の力で今、未来を見ています。
未来で貴女は王妃になり、それでこれから無事に処刑されるんですよ。
ほら、簡単ですよね?」
「な、何で私が⁉ 王妃になったんでしょ⁉
私は何もしていないのに、どうして殺されなきゃならないの⁉」
女は――魔女は、面倒臭そうな表情をする。
「端的に言うと反乱――クーデターですね。いや、成功したから革命ですか。
諸行無常ですねえ……あれ、諸行無常って表現はありなんですかね?」
魔女は一人で言葉を紡ぐ。
「貴女、色々な人を踏みつけ過ぎたんですよ。
ベニー様もそうでしたが、成り上がるために、ありとあらゆる人を踏みつけ続けて、贅の限りを尽くしてきたじゃないですか。
まあ、おかげさまで、この世界最速革命記録ですけど。
そう言う記録集を出したいですねえ。売れますかね?」
「わ、私自身はまだ何もしてないのに⁉
未来の私がやったことで、裁かれなければいけないの⁉」
「でも、貴女は貴女じゃないですか。
過去の貴女がやった責任を、未来の貴女に擦り付けられるんですから、たまには逆に、未来の貴女の責任を、今の貴女が取ってもいいのでは?
持ちつ持たれつですね。一人で、ですけど」
――この冴えない女は。
本物の魔女だったのだ。
でなければ、こんなことは起こせない。
未来に私を連れて来るだなんて。
そして――
その魔法の矛先が、私に向いていることに、途端に恐怖を覚える。
「ま、魔女様!」
「あらあら、ようやく呼んでくれましたね。何ですか?」
もうダメだ。
今、私が助かるには、この魔女に頼るしかない。
「魔女様! 私を助けてください! 悔い改めますから!」
このやり取りをしている間にも、私は舞台に――断頭台に連れて行かれている。
――急いで魔女を説き伏せて、逃げなければ。
しかし、そんな私の目論見も、魔女には通用しない。
「お断りです。別に私は、貴女に悔い改めて欲しいわけではありませんから」
にべもない反応。
着々と、断頭台は近づいてくる。
――考えろ。生き延びるために。
私が、魔女にこんな所へと送られた理由。
魔女と私の関係。
そこで気付く。
共通点は、ベニー公爵令嬢だ!
「ベニー公爵令嬢の復讐なんですよね⁉ 私を助けていただければ、公爵令嬢とちゃんと仲良く――」
「いいえ? 部屋でも言ったじゃないですか。
ベニー様は、復讐なんか望んでないって。
頭が腐っちゃったんですか? いや、元からですね」
――もっと訳が分からない。
復讐じゃないとするなら、狙いはなんだ。
「じゃあ、何で⁉ どうして私がこんな目に遭うんですか⁉」
皇太子を手に入れるために、散々あくどいこともしてきた。
だが、こんな風にされるような覚えは、精々あの女相手にしかしていない。
私を未来に飛ばしてまで、殺したいと思うようなことを、誰かにした覚えすらないのだ。
「私は何もしてません! 少なくとも、こんな風にされるようなことはまだ――」
「しましたよ?」
ゾク
背筋に走る寒気。
魔女の瞳が、大きく見開かれている。
「一体何を?
私が魔女様のお気に召さないことをしてしまったのなら、謝ります。
ですから……」
「いいえ、謝る必要なんてありません。
貴女がしたことは、謝るべきことではありませんから」
魔女様は、私を運びながら言葉を紡ぐ。
「貴女、私と会ってしまったでしょう?」
「えっ?」
「私――鏡の魔女と、会ってしまったでしょう?
あまつさえ、話してしまいましたよね?
貴女が、こんな風に死ぬ理由はそれだけですよ」
魔女様――鏡の魔女と会うだけ?
それだけで、私は、死ななきゃいけないの?
「そんな……それだけで……」
「それだけって酷い言い草ですねえ。
何事も価値というのは人それぞれですよ?
まあ、私の場合は魔女それぞれですが――」
「でも、それだとおかしいですよ!」
魔女がおどけている間に、彼女の矛盾を見つける。
私が生き残るには、こいつを言い負かすしか、もうない。
「それなら、私だけじゃなくて、あの女も同じでしょ⁉
どうして私だけが、こんな目に遭ってるのよ!」
恥も外聞もなく怒鳴りつける。
しかし、そんな私に、
「そうなんですよ。本当はベニー様も一緒に連れて行くつもりだったんですよ。
あの方、何をされてても美しいですし」
明るく魔女は言い放つ。
「でも、仕方ないんですよ。鏡の魔女の特徴ですね。
会った相手と、鏡写しに返す。
相手が善意で接してきて且つ、心が清ければ、私もそう接するしかないんですよ。
ベニー様には、一切隙がありませんでした。言うことなしですね。
……残念ですが、まあ良しとしましょう。
代わりに得難い友人をゲットできたと思えば」
そこで魔女様の、声色が変わる。
「それに比べて、貴女は簡単でした。
悪意の塊。悪意の権化。
嫉妬と羨望を混ぜ合わせて、そのまま生み出されたのが、貴女です。
おかげさまで、未来に連れてくるのも、とても楽でした。
その感情のエネルギーだけはご立派ですね。
あ、これは褒めてますよ?」
……そんな。じゃあ――
「じゃあ……私はどうすれば良かったのですか?
どうすれば、こんなことにならずに――」
「そもそも、私に話しかけようだなんて、思わなければ良かったのでは?」
世界が揺れる。
あの日。
あの女を、この魔女が見送っていた時。
あの時に話しかけさえしなければ……良かったというのだろうか。
「あ、ああ、ああああぁぁぁぁ⁉」
「ああ、そんな怯えないでください」
魔女は、まるで聖母のように微笑む。
――でも、もう分かっている。
この魔女は私に対して、
「ちゃんと介錯は、私がしますからね?
でも、首を切るのは初めてなので、失敗したらごめんなさい。
先に謝っておきますね。
うん、これを糧に今後はこういう練習もしておこうと思います」
そんな慈しむような感情を、持ち合わせてなどいないことに。
「ふう、今回は大収穫でしたね」
醜いドロドロの魂と、外見も中身も美しい友人。
一挙両得でした。
箒で空を飛ぶにも、魔力は必要ですからね。
本当にラッキーです。
ちなみに風の噂で聞きましたが、とある国の皇太子の婚約者になった子爵令嬢が、おかしくなってしまったらしいです。
そしてその子爵令嬢に追い出された、悪役令嬢と呼ばれた少女は、隣国に渡り、その国の皇太子とまたなんやかんやあって、幸せに暮らしたみたいですね。
ホント、人生というのは、どうなるか分からないものです。
本作『鏡の魔女は、令嬢を渡る』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
別のお話も書いておりますので、そちらもお読みいただけると嬉しいです。




