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棲めば地獄  作者: 納戸
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1.おばけなんてないさ-02

 あれは奈河(なか)が高校三年生の夏のことだった。


 確かその日は恐ろしく暑い日で。


 近くを車が通るたびに異様に熱い風が奈河の頬を撫で、帰宅部の彼女の頭の回転を鈍らせていた。

 そんな日のことだった。

 

 カンカンと音を立てて、踏切が閉まる。


 煩わしいなと思った時、奈河の目の前の男性がふらふらと歩き出し、あろうことか駅の踏切に入っていったのだ。

 五十を少し過ぎたくらいのその男は、線路の上にペタリと座り込むとそこから動かなくなってしまった。

 ひどく猫背でこちらからは表情を伺うことはできなかった。


 突然のことに奈河は思わず人目を忘れて「えっ」と口に出していた。


 当たり前だがそんな場所にいれば電車に轢かれる。

 少し待って周りが動き出さないか伺ったが、皆知らんぷりをしている。

 どうしてこんな面倒なことが起こるのだと心の中で悪態をつく。


「あっ、危ないですよ!何してるんですか!」


 奈河は躊躇(ためら)ったが屈んで小さく声をかける。

 こういう時、小市民体質のくせにおせっかいな自分が嫌になる。要領のいい弟と比べるといつも損な役回りをさせられている気がする。


「ちょっと!聞いてるんですか!」


 一向に奈河の言葉に耳を傾けない中年男の足元を見て奈河はあることに気が付く。


(線路に足が重なってる!この人、鬼籍に入ってるんだ……!)


 ()()()()()()()()()()、最近は小学生でも習うこの国における特別な制度。

 この制度を適応され鬼籍に入った人、つまり戸籍をあの世に移した人はこの世のどんなものにも触ることができなくなる。

 彼の足が線路に重なって見えるのもそのせいだ。


 だからみんな見て見ぬふりをしているんだと、妙に納得する。

 本当は奈河だってそうしていれば良かったのだ。


 それなのに気が付くと体が勝手に動いていた。


「……だっ、駄目です!こんなことしたって誰も救われませんよ!早く上がってください!」


 いつもならこんな時飛び出すタイプではないのに、奈河は気が付くと自分も踏切に入って中年男に向かって声をかけていた。

 奈河の声に、男性はうるさいなと一言呟く。


「鬼籍に入ってから誰も俺に見向きもしなくなった、こうすればたまに運転士が止まってくれるんだ」


「人に迷惑かけて、そんな言い分通ると思ってるんですか!?」


 もどかしい、触れられないから無理やり引き戻すこともできない。

 それどころか、このままだと()()()()が轢かれかねない。

 みんな咄嗟のことに驚いているようだが、緊急停止ボタンには寄りつこうともしないのが現実だ。

 そんな奈河の様子を一瞥して男は笑う。


「あんただって俺に触れられない。俺はこれから先愛するものにも、憎んでいるものにだって触ってもらえないんだ、それなら幽霊と同じだ」


 そう言われて、奈河の中で何かがぷつんと切れる音がした。


「私だって……私だって幽霊になんてなりたくない!私を無視するなら、あなただって同じことをしてるってどうして気が付かないんですか!?鬼籍に入ってるとかそんなこと関係ない、誰かが無視されているのを見過ごしたくないんです!」


 そこまで言ったときには既に電車が視界に入ったところだった。

 やばい、と思う。

 けれど身体が強張って、動かない。

 運転士もいつものか、という顔をしてスピードを落とす気配はない。


 ああ、死ぬんだ、と思った。

 柊奈河(ひいらぎなか)18歳、こんなところで人生が終わるなんて涙も出ない。


 その時だった。


「お嬢さん、なかなか面白いね」


 そう言われて見上げた時に目が合ったのは、端正な顔が霞むくらいド派手なシャツを着た青年だった。

 妙にリアルな猫が宇宙柄の生地にびっしり印刷されている。

 少し垂れた目と細身の体から柔和な印象を受けるが妙に威圧感があるのは何故だろうか。


(何この人!?)


 彼は、トンと妙に軽やかに奈河の横に立つと奈河に向かって顔を近づけた。

 青年の真っ黒な瞳が近付いてくると共に、お香のような変わった香りが奈河を包む。


「初めてだったらごめんね」


「えっ!?んむっ……」


 一瞬、けれど口の中が熱くなるような感覚に、やっと自分が青年とキスしているのだと気が付いた。


「ほら引いて」


 顔が遠のいていくと同時に青年は奈河の手を取り、透けた中年男の手の上に重ねた。


「……え!?」

「はぁ!?」


 あまりのことに中年男も奈河も間の抜けた声を上げる。


 (さわ)れた。

 

 (さわ)れるはずのないものに。


 体温はないが、確かに奈河は中年男性の手を掴んでいた。

 何が何だか分からないままに座り込んだ中年男の手を引くと、奈河はそのまま線路沿いに倒れこむ。


「嘘、なんで触れっ……」


 瞬間、電車が通り過ぎていく。


 目の前にさっきまでいたはずの青年は既にいなくなっていた。


 それが奈河のファーストキス、幻にしては生々しい記憶だ。


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