星を往く獣
◇
彼は星だった。
星の奥で眠についている獣。それが、ルーゼ。
彼の体を外殻が覆い、外殻は多くの生き物であふれていた。
彼の生命力を吸い上げるように、水や緑があふれる星を人々は採掘し、木々を燃やし、文明をつくった。
文明が発展するほどに、ルーゼは疲弊していった。
そうしてやがて、ルーゼは死を迎えた。ゆるやかな死である。
ルーゼの死は、星の死だ。星の上で生きる生命たちは皆、死に絶えた。
死を迎える直前に、星の中心で眠っていたルーゼは目を覚ました。
死ぬ前に旅がしたいと思った。だからルーゼは流れ星となり──そして、新しい大地に落ちた。
新しい大地を揺りかごとして、ルーゼの体は癒えていった。
目覚めたばかりのルーゼは孤独を感じ、自分の姿に似せて家族を作った。
新しい大地に住んでいた人々は、ルーゼを恐れた。ルーゼやルーゼの家族たちを幻獣と呼び、それは空から来た天災だと忌避した。
ルーゼは自分を癒やした星をあらたな住処にすることにした。
あたらしい星はルーゼの力で満ちた。枯れた土地は豊かになった。
だが、同時に闇の獣がうまれるようになった。
新しい星は、ルーゼの力を必要としていなかった。異物を取り込んだ体が熱を出すように、ルーゼの魔力に拒絶反応がおきて、魔獣がうまれた。
それはルーゼにはどうすることもできなかった。
──もう、他に還る場所もない。
せめてここに暮らす人間たちのために、魔獣を狩った。
自分のせいでうまれたものを、自分の力で狩る。
ここに自分はいないほうが、いいのではないか。
──そう思うことは、とても、寂しい。
『ルーゼ様、私が傍にいます。あなたと一緒。だからどこにも行かないでくださいね、私の神様』
そう、ルーゼに話しかけて体を撫でる暖かな手の温もりを感じながら。
ルーゼは再び眠りにつく。
きっともう、目覚めることはないのだろう。
この星には、神秘の力は必要ない。
人々は、人々の力だけで生きていくことができる。
最後に力を与えたアルベールの中で、ルーゼは彼の心臓になる。
──ルーゼが消えれば、幻獣たちもまた、消える。
◇
「アル様!」
星のように姿を変えたルーゼがアルベール様の体に埋まると、ざっくりと裂けていた傷が塞がった。
すう、と、息を吸い込んだのがわかる。
呼吸を、している。心臓が、どくんどくんと脈打ちはじめる。
青白い頬に赤みがさして、ぴくりと瞼が動いた。
「……リィテ」
「アル様……よかった……っ」
金色の瞳が私をうつす。優しい声が、私を呼んだ。
キルシュとフレアが、アルベール様の体に縋り付いて泣いている。
コルフォルがフレアの体に鼻先をすりよせると、はじめからそこにいなかったかのように、消えてしまった。
「コルフォル、いなくなっちゃった……」
寂しそうに、フレアが呟く。
「……あぁ」
アルベール様が頷く。立ち上がろうとしてぐらりと傾くのを、私は支えた。
アルベール様の体は大きくて、私も倒れそうになってしまうのを、ジオニスさんが私ごとがっしりとした体躯で支えてくれる。
「……ジオニス、リィテに触るな」
「全く、こんな時でも嫉妬深さは健在のようで、なによりです」
「……今のは、冗談だ。……すまないな、しばらく起き上がれそうにない。血を、失いすぎた」
青ざめる私の頬を、アルベール様が撫でる。
それから、愛しげに目を細めた。
「ルーゼは俺の中で眠った。俺の心臓となり、俺の命を繋いだ。神秘は失われたが、同時に、土地を脅かしていた魔獣も消える。これからは……人の力で、生きていかなくてはいけない」
私はアルベール様の手に自分の手を重ねた。
ルーゼやコルフォルが消えてしまった寂しさは、確かにある。
彼らは私たちを守ろうとしてくれた。感情のある、生き物だった。
ネクロムも──そうだ。
「リィテ、ありがとう。君の声が、俺を生かした。……神秘の去った世界をどうするべきなのか、まだわからない。だが……俺を、支えてくれるか?」
「はい、もちろんです」
「兄上、僕もいます」
「私も!」
キルシュとフレアが、アルベール様に思いきり抱きついた。
アルベール様は二人を抱きしめて、「それは頼もしいな!」と。
太陽を思わせる明るい声で言って、いつものように快活に笑った。
暗い雲も、冷たい雨も。全て吹き飛ばしてしまう。
星のような、太陽のような。
光り輝く皇帝陛下の姿に、私は目尻に浮かんだ涙を拭った。
今は涙よりも、笑顔を見せたい。
アルベール様の体の中で眠る、ルーゼのためにも。私たちは、前を向いて生きていこう。
◇
ヒルドバラン全土を襲った地割れと、地割れから吹き出した炎による火災は、幸いにして被害はごく僅かだった。
ネクロムの治世のせいでヒルドバランという国はかなり困窮していた。
エルデハイムを攻めるために成人した男性たちは派兵をさせられて、残された女性や子供たちは食べることにも困っている有様で。
都市部はまだ栄えていたが、都市から離れた農村部などにはあまり人がいない。
国自体にあまり人がいなかったので、地割れや火災は小さな街までは影響を及ぼさず、被害が少なかったのである。
ヒルドバランについては、今はルーマスティア王とお義父様が後処理を行っている。
元々国土の広いフェデルタはエルデハイムを統合してさらに領土を広げ、手が回らないのが現状だ。
だからおそらくはルーマスティアがヒルドバランを統合することになるのだろうと、アルベール様は言っていた。
雨を降らせる約束をしたが──もう、神秘の力はない。
だからしばらくはルーマスティアに食物の支援をするという。日照りでも育つ植物の知識や、育て方の技術を教えることを提案してみた。私の提案をルーマスティア王は受け入れてくれたらしい。
フェデルタから技術者が派遣されるという運びになるようだ。
ルーゼの力は失われ、火分けも水分けも、行えない。
幻獣たちも消えてしまった。フェデルタの民は今、不安の最中にいる。
「……だが。そんなものがない世界が、正しいのだろう。フェデルタは長らく、ルーゼの力を享受してきた。水も炎も豊かな土地も。魔獣の出現と引き換えに、与えられてきた」
アルベール様はまだ病床の中にいる。
もう大丈夫だと彼は言うけれど、私もジオニスさんも、お義父様もお義母様も、キルシュたちも、アルベール様が動き回ることを許さなかった。
せめて一ヶ月は安静にして欲しいと頼み込み、私はずっとお傍で看病をさせていただいている。
「ルーマスティアにも、エルデハイムにもそんなものはなかっただろう? それでも、人々は何の憂いもなく生活をしてきたはずだ。人の知恵と、力を使って。自国にないものは他国と協力をして。手を取り合い、生きていく。それが正しい国の在り方なのだろう」
「互いが、互いを助けるように。人が人を助けるように。国と国も、助け合い……生きていけたら、いいですね」
「そうだな、リィテ。きっとそうなる」
ところでと、ベッドの上で上体を起しているアルベール様が私に尋ねる。
「フィーナは、どうだ? 少しはフェデルタに慣れたか?」
「はい。すっかり元気ですよ。皆のお陰です。ルディやフレアのお姉さんのように振る舞っています」
「そうか。よかった」
フィーナはフェデルタの後宮で暮らしている。
お義母様が、自分の子として育てると言ってくださったのだ。
私の元にいてもらおうと思ったのだけど、「アルベールの世話で精一杯でしょう。あの子は寂しがり屋だから、傍にいてあげて」と言われてしまった。
フィーナは優しいお義母様にすぐに懐いたようだった。フレアが傍にいることも、彼女を安心させているのだろう。
「アルベール様、お体に違和感はないのですか?」
「あぁ。……確かにここにルーゼの存在を感じる。だが……特に何か、変わったということはないな」
アルベール様の胸にはもう、ルーゼの力を譲渡された時に現れる印はない。
私はその胸にそっと触れる。
とくとくと脈打つ鼓動に、アルベール様が生きているという実感がある。
「もう、餓えは……ないのですか?」
「それがな、リィテ」
「はい」
「……もうルーゼの呪縛はないはずなのに。俺は、常に君に飢えているよ」
「え……」
「──愛への餓えや渇望は、今はない。でも、それとは違う。君が愛しいから、君が欲しい」
アルベール様は私の手を引いた。
逞しい腕に抱きしめられて、私は目を閉じる。
「もう、十分我慢した。この通りすっかり元気だ。あとは、君が俺を癒やしてくれ」
「……はい。あなたの、思うままに」
髪に唇が触れる。
長い指先が、私の肌の上を滑る。
私は目を閉じた。
瞼の裏側で、大きなルーゼを私によく似た少女が抱きしめている。
少女の唇が「ありがとう」と、動いたような気がした。
「アル様。……あなたが、大好き」
「あまり可愛いことを言わないでくれ。ただでさえ、君が欲しくて仕方ないのを、一ヶ月も我慢していたのだから」
指を絡めるように手を握り合って、アルベール様が困ったように笑った。
私もその胸に顔を寄せて、くすくすと体を震わせる。
神秘が失われた世界で、あなたと手を取り合い地に足をつけて歩いて行こう。
どこまでも、ずっと。
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