秋分の祝祭
悪夢を見る日が増えて、眠れない夜が続いた。
授業になど本当は出たくなく、部屋の外に出ることさえ怖かった。
恐怖に打ちひしがれそうになる心を叱咤して、身支度を整えて学園へと向かう。
お父様は私を商品と言ったけれど、やせ細った顔色の悪い女に、どれほどの商品価値があるのだろうか。
私の心と反比例するようにして、学園は秋分の祝祭の準備で賑やかだった。
準備といっても私たち生徒には特に何もすることはない。
全て学園に雇われている方々が行ってくれる。
祝祭の当日には、学園の生徒たちをあつめての中庭での立食パーティーと、それから大ホールでのダンスパーティーが行われる。
いつもは制服だけれど、この日だけはそれぞれドレスなどの正装をして参加する。
私もまた侍女に身支度を整えられていた。
夏季休暇の終わりから、私の侍女は新しくなった。
新しい侍女はどうやら私の学園での様子を、お父様に報告する役目を命じられているらしい。
常に私を監視するような厳しい眼差しを向けられているのを感じた。
授業から部屋に戻ると、部屋の中も漁られた痕跡が残っているので、本当に見張りをしているのだろう。
私が逃げ出す可能性について考えているのかもしれない。そんなこと、できるはずもないのに。
お父様が私に送ってきたのは、大きく肩と背中の開いた美しい水色のドレスだった。
上品だけれど、背中と肩が開きすぎていて、色香があるものだ。
ドレスを着せられ、髪を結われた商品としての私は、薄い化粧のおかげか普段よりはまだ見られる姿になっていた。
立食パーティーの会場である中庭の庭園には、白いクロスのかけられたテーブルがいくつも準備してある。
今日は少しだけお酒も振舞われる。
十七を過ぎればこの国ではお酒を嗜むことはごく一般的だけれど、学生寮では禁止されていて、秋の訪れを祝う今日の祭典は特別だ。
テーブルの上には菓子や、軽食などの料理が並んでいるけれど、こういった場所でそれを口にする者は少ない。
パーティで何かを口にすることは、品がないこととされているからだ。
飲み物は、女性の場合は男性に勧められた時だけ頂くというのが、作法である。
それぞれ華やかなドレスを着た女生徒達が、婚約者の男性の隣で楽しそうに笑っている。
男性の前で肌を晒すことは嫌だった。
けれどそれを表情に出さないように気を付けながら、私はラウル様を探した。
ラウル様はミリアさんや、ラウル様の従者の方々と共にいた。
ラウル様の隣で微笑んでいるミリアさんは、大人しそうな女性に見える。
私が姿を現すと、ちらりと一瞥をして、大袈裟に怖がってみせた。
「ラウル様……っ、リリステラ様が、私を睨むのです……怖い……っ」
「リリステラ。よくこの場に顔を出すことができたな。なんだ、そのドレスは? まるで娼婦だ」
明らかに私を小馬鹿にした表情で、ラウル様が私の姿を嘲笑った。
体が燃え上がるような羞恥心に、私は自分の腕をぎゅっと掴む。
このドレスしか、私にはなかったのだ。もとよりお父様はそのつもりで、私にこのドレスを送ってきたのだろう。
体を、使え、と。
「ミリアに手が出せないと知って、次は色仕掛けか? 忌々しい女だ」
ジョシュア様が私の前に立つと、持っていた酒のグラスを傾けて、私の頭から酒をかけた。
「あ……」
ぽたぽたと、ロゼワインの薄桃色の雫が髪から落ちて、頬を伝い、首筋を伝い、胸に落ちる。
他の生徒たちの笑い声が聞こえる。
素肌を流れる水滴の感覚に、皆に囲まれて嘲笑われる状況に、あの日のことを思い出してしまった。
尚も何か言おうとするラウル様から、私は何もできずに逃げるしかなかった。
濡れたドレスの胸元を隠し、片手でドレスの裾を持って、校舎の中へと駆けこむ。
皆、パーティに出席しているから、校舎の中には誰もいない。
静まり返った廊下を歩いて、結局いつもの、図書室の奥へと逃げ込んだ。
「……リリステラ様」
そこには、先客がいた。
いつもとは違うあまり派手ではない貴族の服装をして、肩からマントをかけたアル様が、以前と同じように本を読んでいる。
あぁ、会ってしまった。
避けるようにして、ここにくることを止めていたのに。
ここに来るべきではなかったと立ち去ろうとした私の手を、アル様は優しく掴んだ。
「逃げないでください」
「……ごめんなさい、私……っ」
「……また、酷い思いをしたのですね」
アル様はご自分のマントを外して、私を包むようにしてくださった。
それから、まるで大切な物に触れるかのように慎重に私の手を引いて、椅子に座らせてくださる。
「ずっと心配していました。ですが、あなたには近づいてはいけないのかと考えていた。だからできるかぎり、離れようと思っていました。でも、もう限界です。本当は聞かない方がいいのでしょうが、話してください。……何をされたんですか?」
私は俯いて首を振った。
本当は全部、話してしまいたかった。
お父様がおそろしいこと。新しい家族に、家を奪われたと感じていること。
懲罰が、怖い。
男性が、怖い。
街で襲われて、乱暴されそうになったことも、全て。
「……ごめんなさい」
でも――それを言うことは、できない。
伝えてしまえば、アル様を私の事情に巻き込むことになる。そんなことは、できない。
アル様は男爵家の次男。もし私のために、ルーファン公爵家や王家に歯向かえば、何をされるか分からない。
それに、知られるのが怖かった。
もしかしたら――アル様は、私を穢れた女だと、嫌いになるかもしれない。
だって私は、お父様の前で服を脱ぎ、知らない男たちに体を弄られ、ラウル様を体を使って篭絡しようと考えているような、最低な女なのだから。
「リリステラ様。……それでは、僕は何も気づかなかったことにします。だからあなたも、今は全て忘れましょう。あなたは、退屈なパーティから逃げて、ここに本を読みに来た。僕も同じです」
「……アル様。……ありがとうございます」
無理やり私から話を聞き出そうとしないアル様の気遣いが、ありがたかった。
アル様は二人掛けのソファの、私の隣に座って、一冊の本を開いた。
「これは、歴史書。世界地図が乗っています。リリステラ様は、この国の広さを知っていますか?」
何の話だろうと、私は首を傾げる。
アル様は多分、私の気がまぎれるように、今の状況とはまるで違う話をしてくれているのだろう。
この国の広さについて、考える。
何かを考えると、先程中庭であった出来事が、少し薄らいだ。
「この国は……さほど、大きくはありません。大陸の、小国です。フェデルタ皇国と同盟関係にありますが、実質は、属国です。フェデルタ皇国の方が、この国よりも数倍国土が広く、また、軍事力もあります」
「フェデルタに行ったことは?」
「ありません」
「どんな国だと思いますか? この国の人々は、厳めしい顔をした軍人のすむ、恐ろしい国だと嫌っていますが」
「私はそうは思いません。エルデハイムが平和でいられるのは、フェデルタの同盟国だからです。……フェデルタには、不思議な力を使える動物がいるそうですね」
「幻獣ですね」
「そう、幻獣……。フェデルタの皇帝陛下は、幻獣を従えていて、大いなる力が使えるのだといいます」
「エルデハイムの人々は、御伽噺だと言っていますね。その話を信じていないようだ」
「フェデルタの皇帝陛下に会ったこともなければ、幻獣を見たこともありませんから、そう思っても仕方ないのかもしれません」
「リリステラ様は、会いたいですか?」
「幻獣に? ……はい。会ってみたいです。それはきっと、神様みたいな姿をしているでしょうから」
あぁ、やっぱり、アル様と話していると――心が静まる。
私が微笑むと、アル様も口元に笑みを浮かべた。
相変わらずその瞳は分厚い眼鏡とぼさぼさの髪にかくれて見えないけれど、優しい方だと、その口元を見ればわかる。
「アル様……あの、アル様に、私どこかで……」
誰かに似ている気がした。
でも――誰だっただろう。その口元が、その低い声が、誰かに似ている。
「リリステラ!」
それを思い出す前に、ラウル様の怒鳴り声が静寂を切り裂くようにして響いた。
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