魔獣化の力
変装をといたジオニスさんが、キルシュやフレアを抱きとめる。
戸惑うフィーナも強引に腕の中に抱いて、背後に隠した。
「ジオニス……っ」
「フレア様、よくぞご無事で!」
「怖かったよぉ……っ」
長い間──ずっと泣かずに我慢をしていたフレアは、ジオニスさんの腕に抱かれて大声をあげて泣き出した。
ルーマスティア王が兵士たちの元までさがる。
アルベール様が私に手を伸ばした。
その手を私が掴む前に、私の腕は背後から掴まれて捻りあげられる。
「リィテ!」
「アル様……っ」
「全く、お前は余計な手間ばかりかけさせる! だが、残念だったな。あやしいとは思っていたのだ。婚姻を知らせてすぐに、ルーマスティアからの使者が来るなど、準備がよすぎる」
父が私の腕を掴んでいる。アルベール様が剣を抜いて、父に斬りかかる。
父を庇うように現れた兵が、その剣を受ける。
それは──ラウル様だ。いや、違う。ラウル様の姿をした、空っぽの亡骸。
金の髪が揺れる。アルベール様の姿が、ラウル様の背に隠れる。あと少しで、手が届いたのに。
私は父の手を振りほどくために暴れた。拘束がとけたと思った瞬間、ネクロムが私の体を片手で拘束する。痛みに顔をしかめた私の目の前で、アルベール様の剣がラウル様の胸を貫いた。
「ラウル、哀れな。死して尚、傀儡にされるとは」
「アルベール、よくも私を殺したな。よくも、エルデハイムを簒奪したな。よくも、私からリリステラを奪ったな!」
体を貫かれているのに、ラウル様は喋り続ける。
それこそが、死者の証なのだろう。
「ネクロム、リィテを離せ!」
「離せと言われて離す愚か者がどこにいる。ルーゼ、会いたかったぞ。お前を恨み続けて幾星霜、ようやくこの時が来た」
「ルーゼはもういない。フェデルタの王に血を託し、眠りについた」
「出てこい、ルーゼ。お前の大切なリリステラを失いたくなければ!」
アルベール様はラウル様から剣を引き抜くと、その剣に──ルーゼの炎を纏わせた。
炎を纏った剣が、ラウル様の体を焼いた。神聖な炎に包まれて、ラウル様の亡骸は荼毘にふされたように塵になって消えていく。
「ネクロム!」
「──小うるさい男だ。ルーファン、少しは役に立て。私の望みはただ一つ。ルーゼに、苦痛を与えること。私が味わった苦しみを、味わえ」
ネクロムの足元から黒い液体が謁見の間の床に広がっていく。
それにその黒い液体はまるで意志を持つようにぐにゃりと形を変えてのびあがり、父やそれからヒルドバランの兵士たちの口の中へとごぼりと押し入っていく。
それを飲み込んだ者たちの瞳が、血のように赤く輝く。
腕や、胸や首が、腹が、足が。
筋肉が盛り上がるようにぼこぼこと肥大し服を引き裂き、形を変える。
人が──魔獣に姿を変えていく。
父も、もはや父の形をしていなかった。
人を自分の手のひらの上で操れると思っていた男は、人あらざる者の手のひらの上で、人ではない化け物へと姿を変えた。
「お父様……」
大嫌いだった。おそろしかった。父とは思わなかった。
でも──哀れだ。こんな、末路は。
アルベール様は聖なる炎で、ネクロムの黒い水からルーマスティアの兵士たちを守っている。
その姿が、立ち塞がる魔獣たちに隠れて、消えてしまう。
「来い、リリステラ」
私の腕を引いて、ネクロムが謁見の間の奥へと進む。
「アル様……!」
「リィテ、すぐに行く。必ず救う。待っていろ!」
頼もしい声がする。そこにアルベール様がいると思うだけで、私は。
──いままでよりももっと、強くなれる気がする。
絶望に心を曇らせたりしない。最後まで、足掻いてみせる。
フレアとフィーナは無事にジオニスさんの元に行くことができた。
二人が助かれば、あとは自分のことだけ。
「離して! 離しなさい!」
「……黙れ。今まで従順なふりをしていたのか、リリステラ。私を愛しているふりを?」
「そんなふりなど、一度もしていません。私はあなたが哀れだっただけ。どうして、ひどいことをするのですか、どうして……!」
暴れる私を、ネクロムは腕が折れるのではないかというほどに私の腕を強く掴み、引きずるように城の奥へと進んでいく。
長い階段を、上へ上へとあがりながら、ネクロムは苦々しげに言う。
「ルーゼが憎い。フェデルタの小僧の中で眠りについているなど、認められない。もっと苦しめれば、あれは中から出てくるのか? あれの前でお前を穢せば、怒り狂い目を覚ますのか」
「そんなことのために、多くの人を傷つけるなんて……ヒルドバランの兵たちは、あなたを慕っていたでしょう?」
「だから?」
「あなたはどこまでも、可哀想な人。人の姿をしているのに、人の心など、何一つわからない」
屋上に出る。いつかフィーナやフレアと一緒に星を見た場所だ。
悪い魔獣を、勇敢な騎士が倒してくれる。
アルベール様が、きっと──。
きっと、来てくれる。
強い風がふいている。ドレスや髪を風が激しく揺らした。
ヒルドバランの空には暗雲が立ちこめている。ここはいつでも、真昼でも闇が広がっている。
「ルーゼ……追ってくるのだろうな。まるであの時と同じだ。あの時私は、女を殺した。ルーゼは怒り狂い、私を焼いた」
ネクロムの背から、蝙蝠のような翼がはえる。
激しい感情が、彼が人の姿でいることを困難にさせているように見えた。




