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ネクロムとの食事



 私はグラスと、目の前に置かれた食事に視線を落とした。

 きりきりと胃が痛む。緊張のせいなのか空腹のせいなのか。

 胃は空っぽのようだったが、食欲はない。


 グラスの葡萄酒は血のように見えた。皿の上の脂がてらてらと光る鹿肉のローストが妙に生々しく瞳にうつる。

 それは本当に、鹿肉なのか。夢と現実の境目にいるようだった。

 悪夢でも見ているようだけれど、これは現実だ。私は自分の手を膝の上で握りしめる。


 手のひらに食い込む爪の痛みが、これは夢ではないのだと、まざまざとつきつけてくる。


「リリステラ、否定をする必要はない。疑問に感じる必要もない。ルーゼの愛した少女が、再び生まれたというだけだ。お前に記憶がなくても、ルーゼはそれを覚えている。だからルーゼはお前を救い、記憶を見せた。お前のため、エルデハイムまで滅ぼした」

「それは、私の為では……」

「お前のためだ。エルデハイムの者たちがお前を傷つけた。だからアルベールはエルデハイムから加護を消し、エルデハイムの者たちを魔獣に襲わせた」


 私は首を振る。アルベール様は、人々を魔獣に襲わせたりなどしていない。

 ──結果的にそうなってしまったのかもしれない。

 けれどそれは、エルデハイムという国が正しく機能していなかったからだ。


 本来人々を守るべき騎士たちは、国内がそんな状況でもフェデルタと戦うためにラウル様の元に集められていたのだから。


「違います。エルデハイムは、フェデルタに義理を欠いていました。フェデルタはずっと、エルデハイムを守ってくれていたのに。だから、アルベール様は加護を失わせて……でも、アルベール様は、エルデハイムの民を救ってくれたのです」

「侵略の大義名分を得ただけだ。人々はフェデルタ王に熱狂しただろう。自らの力で人々を魔獣に襲わせて、自らの力で救う。自作自演だな。無知で愚かな民はアルベールを救世主のように迎え入れたのだろうが」

「……ネクロム。あなたが何を言っても、私は傷つきません。失われた命が私のせいだったとしても、私は、前を見て生きていきます」


 それが私にできることだ。アルベール様やフェデルタの人々に救ってもらった私にできる、唯一のことだと信じている。


「ほう。そうか。まぁ、いい。無言で食事をするのも味気ないだろう? 何年か、忘れたが。数百年ぶりに、私の本当の名を呼ばれた。それを言い当てたお前に褒美だ。遠慮なく、食うがいい」

「……いりません」

「そう言うな。せっかく料理人たちがつくったのだから。毒などは入っていない。私も人のように食い、人のように酒を飲むようになったが、退屈しのぎとして味覚を刺激するのはそう悪いことではない」


 食え──と、もう一度言われた。

 私はグラスに手をのばす。手が震えそうになる。

 それを必死に隠しながら、口にグラスをつけた。葡萄酒を一口だけ飲んだ。それは、思いのほか甘かった。


「ルーゼはお前を取り戻しにくるだろう」

「……はい。アルベール様は、私とフレアを助けにきてくださいます。必ず」

「アルベールというのは、ルーゼの器にすぎない。人のようにふるまい、人になりたいと叫ぶ愚かな獣、ルーゼの入れ物。お前を求めたのはアルベールではなく、ルーゼの意思。認めろ」

「ルーゼは確かにアルベール様のなかにいるのでしょう。けれど、私を愛してくださっているのはアルベール様です」

「アルベールの意思などない。ルーゼの意思に従っているだけだ」


 ネクロムは──そう、思いたいのだろうか。

 自分が生きているように、ルーゼも生きていると。


 けれど今のルーゼは、ネクロムの知るルーゼとは違う。

 フェデルタ王に力を譲渡し、静かに眠りについているように見える。

 確かに私の前に姿を見せてくれることはあるけれど、それは、母に甘える幼子のようなものだと、私は思っていた。


 幻獣の王であったルーゼは、その意思も力もフェデルタ王に、今はアルベール様に渡してしまっている。


「お前は人質だ。ルーゼを呼び出すためのな。それまで大人しくしていろ」

「……呼び出して、どうするのですか。あなたは、どうしてヒルドバランに」

「私はヒルドバラン王として、長く、顔を変え名を変え生きている。かつてルーゼに殺されかけた私を、ヒルドバラン王が保護し、私の力を欲した。だから与えた。やがてヒルドバラン王は私の力を我が物顔で使い始めたため、殺した。そして私が王になった。それだけの話だ」


 ネクロムはちらりと、扉の向こう側に視線を送る。

 短く「入れ」と口にすると、扉が開いた。


 そこから顔をだした男の顔を見て、私は持っていたナイフをカシャンと、床に落とした。

 苦しい。息が、できない。

 まるで、昔に戻ってしまったかのように──。


「リリステラ。行儀が悪い。ナイフを落とすなど、あるまじきことだ」


 開かれた扉から現れたのは、私のお父様。

 いえ、もう今は父とは思わない。

 それは、ルーファン公爵。残酷で、冷酷な──愛する妻さえその手にかけた、男だ。



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