ラウルとの再会
──やはり、ラウル様だ。
その声も、その顔も忘れたりしない。殴られた記憶も、強引に、体に触れられそうになった記憶も忘れたくても忘れられるものではない。
その顔を見ると、記憶が蘇ってしまう。震えそうになる体を叱咤して、私はフレアを背に庇った。
「……お姉様?」
「大丈夫です。なんでもありません。フレア、そうだ……青い薔薇をルディにも見せてあげましょう? ルディを呼んできてくれますか?」
フレアだけでも逃がさなくては。嫌な予感はしていた。
もっと慎重になるべきだった。でも、皇宮の中に、ラウル様が入り込めるわけがないと勝手に思い込んでいた。
ここは、アルベール様がいらっしゃる。ルーゼの守護がある場所だ。
あぁでも。アルベール様は、魔獣が現れて討伐に出かけられた。
これらが全て仕組まれたことだとしたら──。
「わかりました、お姉様。ルディお姉様も、よんできます」
「おっと。……困るな、姫君。せっかく青い薔薇を見せようとしたのに、帰られては」
「……っ、きゃ……っ」
何がおこったのか、一瞬わからなかった。
私の背後で悲鳴があがる。私のお願いをきいてくれて、ルディを呼びに行こうとしたフレアの腕を、ラウル様が掴んでいた。
ラウル様は私の正面に居たはずなのに。
フレアを助けようとして手を伸ばす。ラウル様は悲鳴をあげようとするフレアの口を大きな手でふさいだ。ばたばたと暴れる小さな手を、片手で簡単に押さえつける。
「お願い、やめて……っ、フレアは、関係ない……お願いです、私になら、何をしてもいいですから!」
「俺がお前に望むのは、ただ一つ。抵抗をせずに、大人しく従え」
「従います。ですから、フレアを離して……!」
「騒ぐな、黙れ。この子供の首をへし折るのは簡単なのだぞ」
「……っ」
冷たいものが背筋を流れ落ちる。私は、きつく唇を噤んだ。
ラウル様は本気だ。それは脅しなどではないと、その声音からわかる。
ラウル様の声には、温度がまるでない。私への憎しみのせいなのか、底冷えするほどに冷酷で冷淡な声音だ。
今のラウル様ならば、簡単にフレアをその手にかけるだろう。
「そのまま騒がず、大人しくしていろ、リリステラ。そうすれば、この子供は殺さずにいておいてやろう」
「……あなたは、本当にラウル様なのですか。あなたは、一体……」
「黙っていろ」
ラウル様の足元から暗闇が広がっていく。
その暗闇が私たちを包み込んだ。まるで、泥のように体に粘り着く。
呼吸が、できない。全身の毛穴から、体の中に粘り気の強い泥が入り込んでくるかのようだった。
泥は、私の視界を塞ぐ。そして、口を塞ぐ。
私はラウル様の腕の中でぐったりしているフレアに手を伸ばした。
(フレア……アル様……っ)
声を出すことができない。深い深い暗闇の中に落ちていくように、意識がふつりと途切れた。
──体の冷たさに、目を開いた。
私は冷たい床に転がされている。つるりとした、石造りの床だ。
どれぐらい倒れていたのだろう。体が自分のものではないように、ぎしぎしと軋んだ。
自分の身に何が起こったのかを思い出し、がばっと起き上がる。
「フレア!」
突然起き上がったせいか、頭がぐらりとした。床に両手をついて倒れ込まないように耐える。
ラウル様が現れて、私は泥に飲まれた。そこで記憶が途切れている。
視線を巡らせる。広い空間だ。壁に並んだ窓から、夕暮れの光が差し込んでいる。
攫われてから、数時間といったところだろうか。
「──目覚めたか」
聞き覚えのない声に、視線を向けた。
視線の先には、玉座がある。いくつもの宝石がふんだんに使われている美しい玉座だ。
そこに、見知らぬ男が足を組んで座っていた。
若い男だ。年齢はアルベール様と同じぐらいだろうか。
質のいい美しい衣服は、エルデハイムやフェデルタのものとは少し違う。
ここは、謁見の間なのだろう。
玉座に座っているということは、彼は王ということだ。
エルデハイムでもなければ、フェデルタでもない。だとしたらここは──。
「……ヒルドバラン王」
大陸にあるのは、フェデルタと旧エルデハイム、そしてヒルドバランとルーマスティア。
草原の国ルーマスティアの服は、独特だ。特徴的なのは艶やかな布と、刺繍だろう。頭に布を巻いている男性も多い。
彼の着ている服は、ルーマスティアのものではない。
「ご明察だ、皇帝妃よ。私はクラウディス・ヒルドバラン。見ての通り、ヒルドバランの王だ」
「……フレアは! フレアは無事ですか!?」
「そう騒ぐな。あの子供なら、よく寝ている」
「……フレアに会わせてください」
「そう急くな。まずはゆるりと、会話でも楽しもうか、リリステラ」
一刻も早く、フレアの無事を確かめたかった。
けれど私の望みはかなわないみたいだ。
──ヒルドバラン王の言葉が、本当かどうかはわからない。
けれど今は、信じるしかない。




