青い薔薇
◇
フェデルタに何か起こっているようだった。
レベッカさんや侍女の皆さんに尋ねたが「リリステラ様は何も心配されなくていいのですよ」と言うばかりだ。そもそもレベッカさんたちも詳しいことは知らないようだった。
「大規模な魔獣の被害があったのは間違いないようです。前皇帝陛下やアルベール様、そして騎士団の方々も出立されましたので。私たちは、それでもいつもの日常を送るしかないと考えています」
「そうですね、きっと、そうなのでしょう。信じて待つことしか、できることはありませんね」
部屋から出るなとアルベール様には言われている。
ラウル様の一件があってから、アルベール様は慎重になっているようだった。
城には厳重な警備が敷かれており、私の部屋の前にも警備の兵士たちがいる。
私はいつものように、フェデルタ語の勉強をしようと思い机に本を広げた。
基本的な会話も読み書きもできるものの、少し難しい単語になるとスペルを間違えたりすることがある。
幸いにして、フェデルタには教本が多くあった。
単語帳を広げながらフェデルタ語で書かれた本を読むと、知らない単語も覚えることができる。
アルベール様がプレゼントしてくれた流行の小説に目を通す。
貴人を題材にしたものが多く、以前までは亡くなった母と父と義母の『切ないラブロマンス』が主流だったのだと、アルベール様は苦笑交じりに言っていた。
最近は『俺とリィテの国を跨いだ恋愛』が題材のことが多く、アルベール様に該当する主人公はヒロインと出会う時は大概変装をしているらしい。
どこからどう伝い漏れたかはわからないがと、やはりアルベール様は苦笑していた。
しばらく文字を追うことに没頭していると、コンコンと扉が叩かれる。
「お姉様、いらっしゃいますか、お姉様」
まだ舌足らずな声が扉の外から聞える。
大人びた言動を好んでいるルディより、もっと子供らしいその声はフレアのものだ。
アルベール様の弟妹たちは、よく遊びにきてくれる。
キルシュは男の子なので一人で訪れるようなことはないが、ルディやフレアは勉強を教えて欲しい、絵本を読んで欲しいといって訪れることがよくあった。
「フレア、来てくれたのですね」
「はい、お姉様。あぁ、しー、なのですよ」
「静かに……? どうしましたか、かくれんぼですか?」
誰かと遊んでいるのだろうかと不思議に思う。
すると、フレアは首を振って、私の手を握って引っ張った。
「お姉様、お庭に遊びに行きましょう。探検です」
「フレア、お部屋の中ではいけませんか? 外にでないように、言われていて」
「それはかわいそう、ひどいのです。今ならお外にでられます。兵士の皆さん、いないのです」
「でも、フレア」
「だから、こっそり、ないしょで、行きましょう。青い薔薇があるのですよ、ね、お姉様」
青い薔薇──。
それは、エルデハイム王家の紋章に描かれているものだ。
嫌な予感が胸を過ぎる。気のせいだろうか。まさか、ラウル様が──。
「……フレア、誰かと会いましたか?」
「庭師の方が教えてくれたのですよ。どうしましたか、お姉様。……お出かけ、嫌ですか?」
フレアの瞳が泣き出しそうに潤む。
私は姿勢を低くすると、フレアの髪を撫でた。
──考えすぎかもしれない。でももしフレアの身に何かが起こっているのだとしたら。
確かめなくてはいけない。フレアを、守らなくてはいけない。
自分のせいで誰かが傷つくのは、誰かを失うのは、嫌だ。
「お誘い、嬉しいです。見に行きましょうか、薔薇」
「はい!」
私はフレアと手を繋いで部屋を出た。
フレアの言うとおり、見張りの兵士たちは不在だ。もしかしたら城の中でも何かが起こっているのかもしれない。
けれど、騒ぎが起きている様子はない。不気味なほどに静かだった。
意気揚々と歩いて行くフレアと共に庭園に向かう。
迷路のようになっている高い薔薇の生け垣の合間を歩いて行く。
むせかえるような薔薇の香りがする。いつも快く感じる香りなのに、今は外に出てしまったという罪悪感なのか、それとも単純な不安なのか、胸苦しさを感じた。
庭園の行き止まりにはガゼボがある。
「庭師さん、お姉様を連れてきました。青い薔薇、見せてください」
「これはこれは、姫君。ようこそいらっしゃいました」
まるで──舞台役者のような仕草で、ガゼボに座って足を組んでいた男が立ち上がる。
金の髪に青い瞳の背の高い美丈夫。
ラウル・エルデハイムが、両手を広げて、立ちすくむ私を出迎えた。




