フェデルタの異変
◇
ジオニスからの報告を聞いて、すぐに各地に派兵することを決めた。
ラウルの件といい、何か異変が起こっているとしか思えない。
「……全く、エルデハイムのことがようやく落ち着いたと思えば次から次へと」
「しかし、アルベール様。此度のようなことは、はじめてです」
「あぁ、そうだな。ルーゼの聖炎が消えるなど、長きにわたるフェデルタ史にも一度もないことだ」
執務室でジオニスと話をしていると、父がやってくる。
皇帝の座を俺に譲ってから、義母と子供たちとともに穏やかな生活を送っている父だが、さすがに静観してはいられなかったのだろう。
父の前だ。俺は居住まいを正した。ジオニスと二人だとどうにも油断してしまう。
長年共にいる気安さのせいだろうか。
そういえばリリステラが、俺はジオニスの前では本音を話すと言っていた。
あまり意識はしていなかったが、確かにそうかもしれない。ジオニスの前では自分を飾る必要はないと感じている。
リリステラの前では──まだ、飾っている。
好きな女性には、格好いい自分を見せたいものだ。時々とりつくろうことができなくなることもあるが。
「何が起こっているのかはわからないが、幻獣たちを各地に向かわせて、人々を守る必要があるだろう」
「そうですね、父上。手伝っていただけますか?」
「あぁ。幻獣は、私が使役しよう。アルベール、お前は消えた聖炎を元に戻せるか? 多くの力を使わなくてはならない。激しい飢えがお前を襲うだろう。リリステラさんを、連れていったほうがいい」
「……申し訳ありません、父上。俺は、リィテを道具のように扱いたくない。それに、外は危険です。リィテには、城で待っていてもらいます」
父の提案は最もだ。各地で火分けの儀を行い、同時に幻獣たちを使役して魔獣を討伐する。
──その負担は、簡単に想像できるものだ。
激しい乾きも飢えについて想いを馳せると、背筋に冷たいものが走った。
だが、リリステラを連れていきたくはない。
彼女を道具のように扱い、危険に晒すのならば、餓えの中で野垂れ死んだほうがよほどいい。
ラウルの件に続いて、この異変だ。無関係だとは思えない。
国を守ることは、皇帝として当然だ。
だがただのアルベールとしての俺は、リリステラを守りたい。
彼女を失いたくない。自ら危険な場所に連れて行くようなことは絶対にしたくなかった。
「わかった。それがお前の選択ならば、尊重しよう。準備ができ次第すぐに出立する」
「父上、頼みます。ジオニス、リィテに会ってくる。お前は情報を集め、援軍要請にこたえろ。騎士たちを温存する必要はない。国庫をひらき、必要ならば物資も提供しろ」
「御意に」
父とジオニスに挨拶をして、俺はリリステラの元に向かった。
ラウルのことがあってから、リリステラには部屋からでないようにと伝えている。
閉じ込めているようで悪いとは思ったが、状況が把握できない以上、危険は避けたかった。
リリステラの前に現れたラウルが幻だったとはとても思えない。
聖炎が守護するはずの皇都に魔獣が現れたのは、ラウルが連れていたから。
ラウルは、魔獣を使役できる。
そう考えるのが妥当だが、エルデハイムで確かにラウルを俺は──殺めたはずだ。
「リィテ、入るぞ」
「アル様、どうされました? お戻りが早いのですね」
リリステラは部屋でフェデルタ語の勉強のための読書をしたり、刺繍を縫ったりしている。
侍女たちと話をしたり、香についてを習ったりすることもあるようだ。
部屋にいることはさほど辛くないのだという。
元々、一人で静かにしていることが好きだったのだと、恥ずかしそうに言っていた。
俺が気に病まないように言葉を選んでくれているのだろう。彼女の優しさを、愛しく思う。
俺が部屋に入ると、すぐに駆け寄ってきてくれる。
これから体にもたらされるのだろう果てしない餓えを思いながら、俺はリリステラの華奢な体を抱きしめた。
薄い肩、細い首。折れそうなほどに細い腕。
大きな瞳に、甘い声。彼女を形作る全てが愛しい。抱きしめた体を通して、何かが満たされていく。
それは有り体にいえば、魔力や呪力と呼ばれるようなものなのだろう。
血管に、血液とは違う何かが巡っていくようだった。
「……アル様、何かありましたか?」
「いや。……リィテ、これから俺は魔獣の討伐に行かなくてはいけない」
「魔獣がでたのですね」
「あぁ。君はここにいて欲しい。何が起こるかわからない。外には出ないでくれ。苦労をかけるが」
「苦労とは、思いません。アル様、私も一緒にまいります」
「駄目だ」
「ですが……私は、アル様の役にたちたいのです」
「ありがとう、リィテ。その気持ちだけで十分だ。すぐに戻るから、待っていて欲しい」
彼女が本心から、俺の役に立ちたいと言ってくれていることはよくわかる。
誰かを愛することが喪失を恐れることだと、リリステラと出会ってはじめて俺はきづいた。
母の思い出はなく、それが喪失だと気づく暇もなかった。
父の再婚の折には、俺は自分のことを大人だと考えていたし、もう親を求める年齢はとっくに過ぎていたように思う。
だが──本当は、孤独だったのかもしれない。
リリステラを愛し、そして愛されてはじめて、果てしない渇望を感じた。
それは彼女がいない世界など意味はないと思うほどの、激しく深い、愛ともいえない執着だ。
「行ってくる、リィテ。戻ってきたら、君を抱きたい。昼も夜も、ずっと。君を抱きしめていたい」
「……アル様。あなたの望むままに。待っています」
リリステラは俺の頬に両手で触れると、背伸びをした。
何をしたいのかを理解した俺が姿勢を屈めると、俺の唇に柔らかい唇が触れる。
「どうか、ご無事で」
「……早く帰らなくてはいけないな。ここから離れるのは、苦しい」
「早く、お戻りくださいね。お願いです、ご無理をなさらないでください」
両手の中に閉じ込めるように、きつくリリステラを抱きしめる。
──何が起こっているのかはわからないが、それがラウルのせいだとしたら。
今度は骨も残らないぐらいに、焼き尽くしてやりたい。




