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ジオニス・エストーニャ


 ◇


 各地からの報告を聞いて──ジオニス・エストーニャは眉を寄せた。

 長くアルベールの側近として、護衛として働いているジオニスの元には、自然と全ての情報が集まってくることになっている。


 私情を交えず、それら情報を精査してアルベールの耳に入れるのがジオニスの仕事だ。

 エストーニャ伯爵家の次男として生まれたジオニスは、元々は騎士として仕官していた。

 

 その実力を買われて王の護衛になり、アルベールが五歳の時に彼の護衛になった。

 その時ジオニスは二十歳。アルベールに仕えて十五年になる。


 アルベールというのは、非常に優秀な子供だった。

 我が儘を言わず、泣き言を言わず、いつでも礼儀正しく穏やかで、大人たちのいうことをよくきいた。


 ──というのは、表向きの話である。


「……ジオニス。俺に挨拶をしてきたゲルゼン侯爵だが。よくない噂が多いようだな。金と欲の匂いがする。胸糞悪い。領地の若い女を屋敷に集めているそうだな。領民たちに献上させているらしい」

「……どこの誰からそのような話を? アルベール様の耳にそのような……度しがたいことです」

「お前、俺を子供だと思って侮っているな? 清廉な水の中で汚れを知らない魚のように育てる気か? 虫唾が走る」

「アルベール様、なんともまぁ、口の悪い。品行方正な皇太子殿下が聞いて呆れます」

「これでも気をつかって言葉を選んでいるのだぞ。その口を閉じろ、黙れ、汚い豚どもめ……などと言わないようにしている」

「アルベール様、全く、どうしようもない」


 アルベールは、人を選んで態度を変えているのだと気づいたのは、仕えはじめて数年後のことだった。

 五歳の時には可愛いばかりだったアルベールも徐々に本性を現しはじめ──というよりも、貴族たちと関わる中で、自我が芽生えてきたのだろう。


 フェデルタの抱える問題は、魔獣だけではない。

 フェデルタは広い。広すぎるのだ。そして、皇帝陛下の抱える重圧は人一人が持つことができる総量を遙かに超えてしまっている。


 聖なる炎をわけて、聖なる水をわける。

 これだけでもかなりの労力を要するのに、各地に出る魔獣の討伐から、同盟国であるエルデハイムの守護。


 エルデハイムを間に挟んだ隣国との貿易。長く敵対しているヒルドバランとの駆け引き。

 元々──フェデルタではメルクオールと呼んでいるこの大陸には、フェデルタとエルデハイム、そしてヒルドバランとルーマスティアの四国が存在している。

 

 ルーゼに乗って空から見下ろすと、大陸は細長い、まるで長靴のような形をしているのだと歴代の皇帝が地図に書き残してくれている。

 

 南の端にあるのが、フェデルタ。中央にあるのがエルデハイムで、エルデハイムを挟んでヒルドバランとルーマスティアがある。

 

 フェデルタにとってエルデハイムは同盟国。フェデルタがエルデハイムを守るのは、エルデハイムが支配されてしまえば、ルーマスティアやヒルドバランが直接フェデルタに攻め込むことができてしまうからだ。


 エルデハイムはフェデルタにとっては防衛線。

 過去は同盟国として共闘し、ヒルドバランやルーマスティアの兵を退けていた。

 だが、徐々に徐々に、エルデハイムはフェデルタを頼るようになり、自国の防衛費を他の費用にあてるようになった。


 つまり、遊興や、贅沢に。彼らはフェデルタの軍を頼りきり、自国を守るのをやめた。

 鳥の中には、他の鳥の巣の中に自分の卵を産み落とし、巣を守る親鳥に自分の卵を守らせる者があるという。

 それと、似ている。


 かといって、フェデルタはエルデハイムを見捨てなかった。

 エルデハイムから軍をひけば、そして──ルーゼの加護をなくせば、エルデハイムはヒルドバランやルーマスティアから攻撃をうけ、そして魔獣の脅威にさらされて、多くの死者がでることを理解していたからだ。


 フェデルタは内にも外にも多くの問題と仕事を抱えている。

 そして、光があれば闇があるように、フェデルタ人すべてが、清く正しく生きているわけではない。


 目の届かない犯罪も多い。

 アルベールが噂を聞いたというゲルゼン侯爵の件も、その一つだ。

 それはあくまで噂である。問いただしたとしても、知らぬ存ぜぬですまされてしまう類いのことだ。


「ジオニス、俺は、人間以下のゲス野郎が嫌いだ」

「おぉ……」

「何を感心している」

「まるで天使のような見た目のアルベール様の口から、ゲス野郎という言葉が出てくるので、頭痛がしただけです」

「馬鹿か。人の見た目など、ただの飾りだ。見た目がいいから何になる? お前は顔で人を判断しているのか?」

「そうですね。尻よりは胸派です」

「お前、な」

「冗談です」


 清廉な水の中で育てるなと主張してくるまだ十五歳にも満たない皇太子殿下に、ジオニスは本気とも冗談ともつかない表情で言葉を返す。

 アルベールがこのような口調で話すのは、ジオニスの前でだけだ。

 彼の、実父にもみせたことのない姿である。


「ゲルゼン侯爵について調べろ。噂が本当ならば、しかるべき罰をあたえる」

「皇帝陛下にはお伝えしますか?」

「父は忙しい。俺が全ての責任をとる。何もでてこなければそれでいい。だが何かあれば相応の罰を。全て終わったら、父に伝えろ。俺が采配したとは言うな。まだ父と義母には、赤子が産まれたばかりだ。気に病むからな」


 確かにアルベールの言うとおりだ。アルベールが十歳でルーゼの聖域に辿り着いたすぐあとに、皇帝は再婚をした。ずいぶん若い嫁を娶ったものだなとジオニスは思ったが、皇帝にはアルベール以外の実子がいない。

 アルベールに何かあったときのために、血を絶えさせないのはフェデルタにとって最も大切なことだ。

 だから、子を産める年齢の女性を選んだのだろう。

 もちろん──そこには、愛情があったのだろうとは思うが。


 皇帝と新しい皇帝妃の間に何があったかなど、ジオニスは知らない。アルベールも、興味を示さなかった。

 ただ、二人の邪魔をしたくないと言って、一人で判断をして離宮に移り住んだのだ。

 まだ十歳なのに、アルベールは異様に大人びていた。


 それからというもの、アルベールは皇帝の傍に控えている皇太子殿下ではなく、次期皇帝として立派に振る舞うようになった。


 ゲルゼン侯爵の件は氷山の一角で、同じようなことが幾度もあった。

 アルベールは表立って自分で動くことは少ない。それをしてしまうと、貴族たちが萎縮して、アルベールの前では本性を隠すようになるからだという。

 ジオニスは──アルベールのために働き続けた。


 情報を得るために、女を籠絡することもあれば、男を脅すこともあった。

 気づけば、独身のまま三十の坂を越えていた。

 この人生に後悔はない。

 

 唯一の心配事といえば、アルベールの潔癖さぐらいだ。

 言い寄る貴族女性に興味を持たず、恋人も婚約者も作ろうとしない。彼の友人の、女好きと評判のガウェインを見習って欲しいと、ジオニスはずっと思っていた。

 長く女性に感心を示さなかったアルベールが、ようやくリリステラという伴侶を得てほっとしていたのだが──。


「魔獣の大軍? 北地方と、西地方から救援要請……皇都に魔獣がでたのは、つい最近。どうなっているんだ」


 ジオニスの元に寄せられたのは、魔獣の出現の報告と、とても手が足りないために助けて欲しいという救援報告。そして。


「聖炎が消えた、だと」


 火分けによって各街や村に届けられている、ルーゼの炎が消えたと言う報告だった。




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