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失くしたくないもの



 アルベール様は辛抱強く、何も聞かずに私を抱きしめてくださっている。

 額に、そして頬や目尻に柔らかい唇が触れると、体の緊張が抜けていく。


 アルベール様が傍にいてくださるだけで、べっとりと体に張り付いていた嫌な記憶も恐怖も剥がれ落ちていくような気がするのが不思議だった。


「スタルーグから話を聞いた。魔獣たちが森から溢れるようにでてきたこと。君がコルフォルに命じて、皆を救ってくれたことを」

「……私は、何も。ただ、お願いしただけです」

「君は隠れることをせず、皆を助けるために魔獣の元に向かったのだろう? だからコルフォルは皆を救うことができた。君の呼びかけに応じて。君が皆を救ったんだ」


 アルベール様は私の隣に座ると、私の体を膝に乗せて背後から抱きしめてくださる。

 その逞しい体にすっぽり包まれるようになった私は、恥ずかしさに目を伏せた。


 正式に夫婦になってから、触れ合うことは多くある。

 けれど、羞恥心が薄れるということはない。

 私ではない誰かが、私の体に触れている。

 他人の体温が、苦手だった。それは痛みであり、苦しさだったからだ。

 不出来だと、鞭で打たれた。まるで魂さえも傷つけるように。

 苛立ちから、犯されそうになった。まるで己の所有物だと示すように。まるでお前など、ただの『女』という形をした人形でしかないと、嘲笑うように。


 アルベール様は、違う。そしてフェデルタの方々は、違う。

 エルデハイムにももちろん、心ある方々はいたのだろう。

 けれど私は、誰とも縁を繋げることができなかった。私の傍には誰もいなかった。

 お母様との思い出を大切に、生きていくことしかできなかった。


 フェデルタにはたくさんの、優しい人たちがいる。

 それはきっとアルベール様の国だからだ。アルベール様や歴代の皇帝陛下が正しく、人々を導いてくださっているから。


 だから──ここには、安らぎがある。


「コルフォルの力が使用されているのを感じて、君の元に向かうことができた。感謝する、リィテ。ルディを、失うところだった。シフォニアも。……二人になにかあれば、悲しむ者が多くいる。君がいてくれて、よかった」

「アル様、けれど、それは……」

「君のおかげだ、リィテ。……だが、俺は少し、怒っている」

「私の、いたらなさにでしょうか……?」

「そんなわけがないだろう。自分の不甲斐なさに。君から離れるべきではなかった。君は……そのしとやかで美しい姿の奥に、強い意思と清廉な魂を持っている。自分を犠牲にしてでも、皆を救おうとするのが君だ」

「そんなことは……」


 アルベール様の私を抱きしめる腕の力が強くなる。


「リィテ、君を失いたくない。もしそんなことが起これば……過去の記憶の中で、あの少女を失ったルーゼのように、俺も……ルーゼの力を誰かに譲渡して、君のあとを追うだろう」

「そんな……駄目です、アル様。そんなことをおっしゃらないでください。あなたは、皇帝陛下です。あなたには私の命以上に、大切なことがあります」


 私の首に、アルベール様の唇が触れる。そのくすぐったさに、私は身じろいだ。

 艶やかな黒髪が首にさらりと触れる。薄い皮膚に軽く歯を立てられると、指先に甘い痺れが走った。


「リィテ、俺は……ずっと、国のために生きてきた。だが……君と出会ってしまった。国のために律していた自我を捨てれば、君に恋をするただの男でしかない。君を失ってしまえば、生きる意味がなくなる」


 ごつごつしていて大きな手が、私の薄い腹部を撫でる。

 フリルの重なったネグリジェがたくしあげられて、露わになった皮膚に直接手が滑る。

 艶事の気配に、私は切なく眉をよせた。

 恥ずかしい。でも、嫌悪感はまるでない。アルベール様は私が嫌がることをしないことは、私はよく分かっている。

 信頼と愛情がそこにはある。だから──羞恥と、そして僅かな期待と、心が満たされる何かがそこにはある。


「ルーゼの飢えや孤独が、俺を殺すわけではない。君を失くせば、俺自身の悲嘆が、悲哀が、俺を殺す」

「……お願いです、アル様。そんなことをおっしゃらないでください。私だって、あなたを失いたくない」

「ならばあまり、無茶はしないでくれ。兄として、そして人としての俺は皆の無事を喜ぶべきだと理解している。だが、それ以上に……君が無事で、よかった」

「……ん」

「冷たい男だと思うかもしれないが」

「……そんなことは、ありません。……アル様は今まで、ジオニスさんにだけ本音で話をしていたでしょう?」

「そうかな」

「……はい。たぶん。……でも、今は私と二人きりですから。私にも、本心を、話してくださって……嬉しいです」


 首筋に唇が触れて、硬い指先が腹を撫でて、大腿を撫でる。

 愛しさとともに甘い痺れが体に広がって言って、私は吐息を逃がしながらアルベール様の大きな手に自分の手を触れさせた。




 

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