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湖の救出



 不吉な予感に急く心を落ち着かせながら、湖まで走る。

 息がきれて、心臓がばくばく鳴った。自分の呼吸の音がうるさい。

 

 どうして、ラウル様が──。


 私の大切な人たちを殺すと、彼は言った。

 私はあの方の残酷さを知っている。


 湖では、不吉な予感どおりに魔獣の襲撃が起こっていた。

 空から飛来するものたちが、兵士たちに襲いかかっている。


 そして──湖の中央に浮かぶボートに襲来する、翼のはえた影たちの姿に、私は背筋を凍らせた。


「ルディ、シフォニア様っ!」

「皇妃様!」

「危険です、お逃げください!」


 兵士たちが私を庇おうとしてくれる。コルフォルが伺うように私を見る。


「コルフォル、お願い……!」


 コルフォルが魔獣たちを噛みちぎり、切り裂いていく。魔獣たちに襲撃されたボートが、湖の上で嵐に見舞われたように激しく揺れている。

 シフォニア様が、ルディに覆い被さるようにして庇っている姿が遠目に見えた。


 このままでは、二人とも──死んでしまう。 

 そんなことはさせない。絶対に。嫌だ。失いたくない。そんなことになるのなら、私の命が奪われたほうがずっといい。


「コルフォル、湖を凍らせて!」


 コルフォルは私の声が届いたかのように湖の前に駆けると、遠吠えでもするように首をあげて背を反らせる。


 湖面にぴしぴしと氷の膜がはり、凍り付いていく。

 コルフォルは私を見て、パタリと尻尾を振って姿勢を低くした。

 乗れと、言われている。私はコルフォルの背に飛び乗った。

 首にしがみつく。コルフォルが、氷の上を滑るように駆けていく。


「お願い、コルフォル! ルディとシフォニア様を助けて……!」


 湖面を駆けるコルフォルの周囲に、雪の結晶が現れる。それは氷のつぶてとなり、魔獣たちへと矢のように飛んだ。

 つぶてに当たった魔獣たちは凍り付いて、霧散していく。

 コルフォルが駆けるたびに、その足元の湖が凍る。もうすぐ、もうすぐボートまで届く。


「お姉様……っ」

「リリステラ様……!」


 ルディの涙声が聞える。シフォニア様の、震える声が聞える。

 スタルーグさんは、目の前で弟を魔獣に殺された。胸が潰れるような気持ちだっただろう。

 こんなにも、怖い。魔獣が怖いわけではない。大切な人を失うことが、怖い。


「ルディ!」


 コルフォルが魔獣たちを氷漬けにする。ルディが私に向けて手を伸ばした。

 大きくボートが揺れる。その小さな体は、シフォニア様の手をすり抜ける。

 ざばんと、水飛沫があがった。ルディが──湖面に吸い込まれるようにして、水の中へと落ちていく。


「コルフォル、魔獣をお願い! ルディは私が……!」


 私はコルフォルから飛び降りると、ルディを追って冷たい水の中に飛び込んだ。

 水飛沫のせいで水泡に塗れた湖の中で、ルディを探す。その小さな体は、透明な水の中に投げ出されている。

 

 水面に叩きつけられた衝撃にか、ルディは意識を失ったように目を閉じている。

 投げ出された白い両手、水の中で広がるドレスが、まるで魚の尾鰭のように見えた。


「……っ」


 口から空気を一気に吐き出さないように気をつけながら、私はルディの元まで泳ぐ。

 体にまとわりつくドレスが邪魔だ。両手で水をかいて、必死に手を伸ばした。


 ルディの体を抱きしめると、今度は浮上のために、片手を動かし、足で水を蹴る。

 水面に顔を出したところで──私の体は力強い腕によって引きあげられた。


「無事か、リィテ!」

「……アル、様……」


 それは、アルベール様だった。凍り付いた湖の上に引きあげられる。彼の隣には、コルフォルとルーゼが佇んでいる。

 魔獣たちの姿は消え去っていて、氷上に浮かぶボートの上から、シフォニア様が呆然としながら私たちを見ていた。


 アルベール様に引きあげられた私とルディの姿を目にうつすと、彼女の大きな瞳から涙が流れ落ちる。


「リリステラ様、ルディ様……っ」

「シフォニア様、お怪我は……!?」

「私は無事です! ルディ様は……」


 アルベール様は、ルーゼの背の上にルディを乗せた。ルディはけほけほと何度か咳をして、薄らと目を開く。


「お兄様……」

「よかった、無事だな」

「……っ、ぅわあああん……っ」


 アルベール様の顔を見た途端に、ルディはその体に飛びつくように抱きついて、泣き声をあげはじめる。

 私は胸に手を当てて、深く息をついた。

 ルディが無事でよかった。寒さに震える私の体に、ルーゼが労るように額を擦りつけた。

 アルベール様がいる。ルーゼがいる。

 もう大丈夫だと思うと、足の力が抜けそうになってしまう。


「大丈夫だ、ルディ。もう、魔獣たちはいない。リィテは無事か? 怪我はないか?」


 ルディの背を優しく撫でながら、アルベール様は私に心配そうな視線を向ける。

 私は頷いた。話したいことはたくさんあったが、今は──寒さからか、安堵から恐怖を思いだしてしまったからか、体が震えてしまって、声がでてこなかった。


 ルーゼやコルフォルの背に乗って、湖から岸まで戻った。

 シフォニア様の体も震えている。気丈にも取り乱したりはしなかったが、その心中を思うと胸が痛んだ。


 これは、私のせいなのだろうか。

 ラウル様は私を恨んでいる。だから、シフォニア様たちを襲わせた。


 私のせいで、大切な人たちを失うところだった。 


「リィテ。ルディや皆を守ってくれたんだな。ありがとう」


 ルディやシフォニア様たちは、布でその体をくるまれて馬車に乗せられている。

 アルベール様は、私の体をご自分のマントを外して包んでくださっていた。


 震える体を引き寄せられて、きつく抱きしめられる。

 

 ──私は、皆を守れたのだろうか。


 私が皆を危険にさらしたのではないか。

 ふと湧いてきた疑問に、心の奥が冷たく凍えた。 



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