コルフォルの力
スタルーグさんの剣を持つ手が、僅かに震えていた。
呼吸が促迫し、冷や汗が流れている。
私にも──覚えがある。まるで過去の記憶に溺れるように、恐怖で身が竦んでしまう。
きっとスタルーグさんは、魔獣に襲われた時のことを思いだしているのだろう。
それでも星見長として戦おうとしてくれている。
私も、怖がっている場合ではない。私が守らなくては。でも、そんなことができるのか。
敵意を剥き出しにして襲いかかろうとしてくる、人とは違う姿をしたばけもののを前にして、足が竦みそうになる。
それでも、これは人とは違う。
言葉を話さない。敵意はあるけれど、悪意はない。
ラウル様やお父様のほうが、よほど──怖い。
兵士の方々が、魔獣に斬りかかる。剣を突き刺し、その足や腕を斬る。
魔獣は塵のように消えていくが、空から飛来するものが彼らに襲いかかった。
「コルフォル!」
私が呼ぶと、コルフォルは大きく伸びをした。
小さかった体が、大きくなる。雪の結晶がその体の周囲に舞い散り、周囲の温度が一気にさがった。
コルフォルが尻尾を逆立てて姿勢を低くする。
輝く氷の粒が無数に宙に浮かぶ。それは一斉に魔獣たちに襲いかかった。
魔獣たちの体が凍り付き、パキンと割れる。
あれほどたくさんいた魔獣が──コルフォルに氷漬けにされて、ばらばらに崩れていった。
「……すごい」
その圧倒的な強さに、私は唖然と立ちすくむ。
「リリステラ様……ご助力、感謝いたします」
「私は、何も……スタルーグさん、怪我をした人たちをお願いします。フレアのことも、頼みました。シフォニア様たちが心配です」
私はスタルーグさんにそれだけ伝えると、走り出す。
あとからあとから湧き出てくる魔物たちを、コルフォルが氷漬けにしてくれる。
コルフォルがいれば、私は大丈夫だ。
こんなに──怖いぐらいに、強い。
ルーゼの力はこれ以上。この力を知っていれば、フェデルタに攻め込もうと思う国はいないだろうと思えるのに。
ラウル様はそれでも、戦おうとした。
──お父様に、唆されたのだと聞いた。
お父様は何を求めていたのだろう。お金だろうか、権力だろうか。
公爵家でお父様は不自由をしていなかった。
──欲望には、果てがないのかもしれない。
でもあのお父様が、何の勝算もなしにフェデルタに攻撃をしかけるだろうか。
「……リリステラ」
不意に、名前を呼ばれた。
背筋に悪寒が走り、私は立ちすくむ。
コルフォルが何事だというように、私を見つめる。
ざわりと、森の奥からなにか、不気味なものの気配を感じた。
地面を通じて寒気が伝わってくるような。靴底から足を、気味の悪いものがかけのぼってくるような寒々しさに、私は座り込みそうになる足を叱咤した。
この声を──私は知っている。
「リリステラ」
今度はもっとはっきりと、名を呼ばれる。
森の小道で、私はいつの間にか一人きりになっていた。
妙に、静かだ。生ぬるい風が頬に触れる。コルフォルが暗い森に、警戒した視線を向ける。
森の中から、音もなく男が現れる。
彼は、まるで配下のように魔獣を連れている。
まさかと、瞠目する。そんなはずはないと、己の正気を疑った。
これは、罪悪感が見せている夢なのかもしれない。
けれど確かにそこには──ラウル様が、立っていた。
「リリステラ。裏切り者め」
「……っ、ラウル、様……」
「私を裏切り、エルデハイムを裏切った。お前のせいで私は不幸になった。エルデハイムの民は傷つけられ、エルデハイムは滅亡をした」
「……それは」
「全てお前のせいだ。多くのものが死んだ。多くのものを殺した男の腕の中で、安寧を貪っているのか? 最低な、悪女め」
「……それは、違います」
私は首をふる。これは、幻覚なのだろうか。
私の頭の中にある、ラウル様への罪悪感が彼の姿を見せている。彼に、言葉を話させている。
「私は」
「全ていいわけだ。お前は国を裏切った。アルベールに縋り付き、エルデハイムの滅びを望んだのだろう」
「……違います、そんなことはしていません。ラウル様、道を踏み外したのは……」
「俺だといいたいのか? お前が俺に伝えていれば。まともに、会話をしていれば。俺はお前の父に騙されたりはしなかった。お前の義母の策略に嵌まったりしなかった。お前のせいで、多くの貴族が死んだ。エルデハイムの兵士に殺された。父も母も、死んだのだぞ」
「たしかに……そうかもしれません」
私に責任がないとはいえない。
エルデハイムの滅亡を、私は望んでいたわけではない。
フェデルタに来て、大切にしていただいて。
アルベール様に愛していただいて、私が幸せを享受している間に苦しんでいる人たちがたくさんいた。
ラウル様も、私が──不幸に。
心が暗闇に飲まれそうになる。
でも、それではいけない。過去は変えられない。戻らない。
戻らないからこそ、今からどう生きるかを考えなくては。
今までの私では、駄目だった。だから、私も変わらなくては。
「あなたは誰なのですか。ラウル様は、亡くなったはず。アルベール様が、あなたを──処断しました。そう聞いています」
「残念だが、私は生きている」
「……魔獣を連れるなど、人にできることではありません。あなたは、ラウル様ではない」
「泣き叫び、膝をつかないのか? 私の姿を見ても尚、私に刃向かうことができるのか。私の女だった分際で」
「……私は物ではありません。私には感情があります。意志があります。あなたの好きなようにできる人形ではありません!」
私が叫ぶと、ラウル様は口元を歪めて笑った。
「いけ、魔獣どもよ。この女が大切にしているものたちを殺せ」
「そんなことはさせません……!」
魔獣たちが、ラウル様の傍から翼をはためかせて飛び立った。
湖の方へと向かっている。そこには、シフォニア様とルディがいる。
「ではな、リリステラ。また会おう」
ラウル様が森の奥へと消えていく。私は、彼を追いかけるわけにはいかなかった。
それよりも、先に──シフォニア様たちを助けなくてはいけない。
私はコルフォルに声をかけると、湖に向けて駆けだした。




