たいせつな約束
晩餐会を抜け出して、アルベール様は私を抱き上げたまま中庭を見下ろすことのできる広いバルコニーへと向かった。
「リィテ、人に酔ったりしていないか? 少し風にあたろうか」
「はい、アル様。ご心配、ありがとうございます」
「楽しめただろうか。時々、表情が硬い時があった。緊張だけならいいが、何か嫌なことがあれば言ってほしい」
「アル様……」
アルベール様はバルコニーの手すりの手前へと、私をおろしてくださる。
中庭には、青い炎がところどころに灯っている。
屋外用のランタンにルーゼの炎が入れられているものだ。
最初は不思議だったけれど、フェデルタで暮らし始めてから少したったからか、青い炎が照らす夜の幻想的な光景にもかなり慣れてきた。
空には星が輝いていて、地上にもまるで星の海が広がっているみたい。
フェデルタで見る景色は、どこを切り取っても美しい。
「リィテ。俺に、隠し事をしないでくれ。君の考えていること、君の感じたことを、俺は全て知りたい」
「……はい」
背後から抱きすくめられて、私は頷いた。
アルベール様に、隠し事はできない。
微笑みを絶やさないようにしていたはずなのに、緊張も、少しの苦しさも、知られてしまっているみたいだ。
「とても楽しかったです。それは、本当です。晩餐会が楽しかったことなんて今までなかったですから、とても楽しくて……でも」
「でも?」
「緊張は、していました。それに、昔のことを少し思い出してしまって……同年代の方々にずっと、嫌われていましたから……少し怖いと、思ってしまって」
「リィテ、すまない。俺がもう少し、君の気持ちを察することが出来ていれば」
「そんなことはないです、アル様はいつも私を、大切にしてくださっています」
十分すぎるほどに、大切にしていただいている。
私が弱いから、いけない。
大丈夫だとわかっているのに、アルベール様は私を守ってくださるし、フェデルタの方々は私を受け入れてくださっているのだと信じたいのに、長く──忌み嫌われてきた、記憶が消えてくれない。
「私は強くありたいです。あなたの隣に立っていられるように。だから、できることなら隠していたかったのに、駄目ですね。アル様には全て、話してしまいたくなってしまいます」
「話してくれ、リィテ。気持ちを、隠されるよりもずっと嬉しい」
「大丈夫、なんです。少しだけ、怖いと思っただけですから」
「無理もないことだ。リィテ、その怖さや不安や怯えを、隠す必要はない。君は強くなる必要はないんだ」
「ですが」
「俺は、そのままのリィテでいい。弱くてもいい。震えても怯えても、泣きながら俺に縋ってくれても構わない。君が一人で強くなってしまうよりも、頼られたいと俺は思う」
それは、アルベール様が優しいからだ。
王妃は強くなくてはいけないと、私は教えられてきた。
どんな時でも凛として前を向いて、感情を隠して──。
「俺の妻だからと気負う必要はないんだ。君は君のままでいい」
「ありがとうございます。……私は、アル様にふさわしい自分でありたいのです」
「十分相応しいよ。そうだな、では、誰か他の者がいるときは、頑張っている君でいてくれて構わない。だが、二人きりの時は甘えて欲しい。リィテに甘えられたい」
どことなく拗ねたように、アルベール様は言った。
その口調が可愛らして、私の心を和らげようとわざとそうしてくださっていることが伝わってきて、私はアルベール様の手に自分の手を添えると、肩の力を抜いた。
私は、意固地になっていたのかもしれない。
アルベール様に迷惑をかけたくない、皇帝妃の役割を立派に果たしていると思われたいと。
自分を、飾って。
過去の自分に、縛られて。
「アル様、少し、怖かったです。私を嫌う人がいるのではないか、と。私は、認められないんじゃないかなと。誰かに嫌われることは……今でも、怖いです。痛いことも怖いことももう起こらないとわかっているのに」
「あぁ、リィテ。俺は必ず、君を守る」
「はい。……そんなことは起こらないとわかっているのに、私はあなたに嫌われることが怖い。失望されることが、怖いのです。おかしいですよね」
「おかしくなどはない。それは、……それほど、俺のことを君が愛してくれているということだろう?」
「そう、なるのでしょうか……」
「嫌われるのを怖いと思うほどに、俺が好きということだ。嬉しいよ、リィテ」
明るくそう言って笑うアルベール様は、まるで太陽のようで、私の悩みや不安などすぐに吹き飛んでしまうみたいだ。
気持ちを口にすることで、心が軽くなる。
不安を伝えることで、大丈夫だと思える。
「もし、不安を感じたら言ってくれ。君はきっと甘えるのが上手くないのだろうな。だが、俺は君を甘やかしたい」
「もう、十分甘えています。でも、もっと甘えますね、私」
「それは楽しみだな」
「アル様も……」
「俺も?」
「はい。アル様の話を、少し聞きました。……アル様は、辛さや寂しさを口にしませんけれど……幼い時からお一人で、ずっと強く、在られたのでしょう?」
アルベール様は自分の過去のことはあまり口にしない。
でも、きっとそこには寂しさがあっただろうと思う。
想像でしかないけれど。
「そうだな。俺も多分、君と同じ。人に甘えるのはあまり得意ではない。君に出会うまでは、孤独の意味も忘れていたような気がする。だが今は、君に甘えている。君のいる世界は輝いていて、君を失うことを想像するだけで、心が凍りそうになる」
首筋に唇が落ちて、軽く吸われた。
それから首筋を辿り、鎖骨を甘く噛まれる。
「リィテ、俺も不安だよ、君と同じ。嫌われることは怖い。君を失うことも怖い」
「……アル様を嫌うなんて、あるはずがありません」
「あぁ。でも、リィテ。約束をして欲しい。何かあったら相談をしてくれ。一人で抱え込むな」
「はい」
「俺は、君とずっと一緒だ。いつか訪れる穏やかな死が、俺たちを分とうとも、俺の魂は君と共にある」
「……アル様。私も。……私に何かが起こったとしても、私の心は、あなたと共に」
それはまるで秘密の約束のように、密やかな声は静かなバルコニーにそっと響いて夜に溶けて消えていった。
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